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norn.  作者: 羽衣あかり
“騎士と少女”
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49.夜明け

「それからの日々は…何もしても…誇りを持っていた任務を遂行しても…まるで、何も感じられなくて」


 ソフィアの瞳は揺らぎながら、空から降り続ける雪を映していた。


「…人はいつか死ぬ。…そんなことはよく___よく知っていたはずだったのに」


 一筋の涙が音もなくソフィアの頬を滑った。


「…どうして、あの人は死なないと、何処かで思っていたのだろう」


 ノルンは静かにソフィアを切なげに見つめていた。

 ソフィアが語る言葉はソフィアが自身に投げかけているようで。


「…よく、知っているはずだったのに。…父を失ってからもう戻らないのだと、…そう、気づくだなんて…私は……どこまで…………どこまで愚かなのだろう」

「……っ……ソフィア、さま」


 そこまで言うとソフィアの顔が歪む。

 そして、堰を切ったように涙が次々と溢れてはこぼれ落ちていく。

 ノルンは苦しげに顔を顰めて、そっと静かに目を伏せた。


(…どうして、もっと父と話さなかったのだろう)


 避けたりなんてせずにしっかりと会話をするべきだった。足が不自由になった父を本当は手伝いたかった。

 けれど、そんなことをしたら、また余計なことはするな、と叱られるのではないかと思って。

 それでも、こんな風に終わってしまうのなら、するべきだった。


 そもそも私がもっと、もっと強かったら。

 誰のことも死なせずに、魔物を討伐出来るだけの強さがあったなら。父のことも、仲間も、失うことなど無かったのに。


 やまない後悔がどっと押し寄せる。

 もしも、なんてありはしない。

 自分の実力が飛躍することもなければ、父も仲間ももう、戻ってくることは無い。

 それでも、ずっと、偉大な父の背中を追い続けていたかった。強く、優しく、市民に愛される勇敢な騎士の背中を。


「…その日から、剣を持つ手が震える。何のために、誰のために…剣を振るえばいいのか、分からなくなってしまった」


(…本当に、なんて無様で情けないのだろう)


 本来、守るべき対象であるノルンにこんな話をして。

 なんて滑稽なことだろう。

 ノルンの顔を見る勇気もない。

 そもそも視界が掠れて景色が上手く見えない。


「…雪が降れば、父を想う。一人家に帰っても、父を想う。…故人を引き摺っていては戦いの場になど到底出られない。今、守らなければならないものから目を逸らして…。私は……騎士失格だ」


 ぽつり。ぽつりとソフィアが呟く。

 力なく、言葉を口にするソフィアにノルンは胸が裂かれる思いだった。

 ソフィアの言葉を聞き終えて、ノルンは固く閉じていた口を静かに開いた。


「…ソフィア様。そんなこと、ありません。…決して」

「………」


 いつもの淡々とした声では無い。

 苦しげに、そして決して、という言葉を強調するようにノルンが少し力を込めて言った。


「…お父様を亡くされてからのこの一年間。ソフィア様はずっと騎士様としての任務を遂行されてきたと聞きました。…この一年間で、ソフィア様に救われた方々はどれほど居ることでしょうか。今回にしてもそうです。アランの代わりを勤めるためにこの地まで足を運んでくださいました」


 ノルンの言葉が一つ一つ、静かにけれどたしかにソフィアの耳に届く。


「…ソフィア様が、そう思われていたのだとしても、私達にとってソフィア様が立派な騎士様であること。そのことに、何も間違いはありません」


 その言葉にソフィアは目を見張った。

 瞬間、また涙が溢れ落ちる。

 ノルンの言葉は、否定も肯定もせず、ただ深い水底からそっと手を導くように、優しくソフィアを包んだ。


「…それに」


 ノルンが続けざまに何かを言おうとして、ソフィアは視線を隣のノルンに向けた。

 ノルンの視線は空に向いていた。

 その宝石眼で美しい月を捉えていた。

 いや、ノルンも本当は遠い何処かを見ていたのかもしれない。何となく、そう感じた。


「…今より幼い頃、師匠(せんせい)に言われた言葉がありました」


 一筋の月光をその身体に浴びたノルンはまるで神話の女神かのように、どこか触れてはならぬような、触れたら崩れてしまいそうな儚さを纏っていた。


「…思い出してもいいのだと。…思いを馳せることは決して悪いことではないのだ、と」


 ノルンの瞳がソフィアに向けられる。

 二人の視線が交わった。

 ノルンは初めて__まるで、この雪原に一輪の花が月明かりを受けて花開いたように。それは美しく、儚く微笑った。


「…私たちが思いを馳せる瞬間こそ、故人が生きた軌跡なのだと」


 その言葉にソフィアは目を微かに見開いた。


(…あぁ、)


 ___そうか。ノルン。

 君も、誰か、大切な人を失っているのだな。

 だから、そんなに、美しく、儚い雰囲気を纏っているのか。


「…ソフィア様。私がソフィア様の悲しみを引き受けることは、出来ません」


 本当に、ノルンが苦しげに言うものだから、どこかおかして、ソフィアは少し表情を緩めた。

 ノルンには本来関係の無いことなのに。

 どうして、そこまで。

 知り合ったばかりの私に。

 愛想などまるでない、まるで鉄で出来ているかのような私に。

 こんな、情けない話を聞かせた私に。


 ソフィアは濡れた瞳で、静かに頷く。


「…ですが、ソフィア様が戦えないのならば、その間は…私がソフィア様をお護りします」

「………っ…」


 言葉が、出なかった。

 そんなことを言われると、思っていなくて。

 そんなこと、誰にも言われたことなど無くて。

 どうして。


「…何故…?」


 震える声で小さくソフィアが問えば、ノルンは少しの間、ソフィアの問いの意味を考えるようにぱちくりと瞬きをした。そして、多真面目な顔で言った。


「…いつも、ソフィア様に守って頂いていました。…だから、ソフィア様が剣を振るえないのなら、私がソフィア様をお護りします」


 さっきまで酷く孤独に苛まれていたというのに。

 まるでこの世界には何も無くなったかのように思っていたのに。

 絶望も、空虚感も。

 目の前の少女の言葉が優しく救いとってくれた。


「…私に出来ることがあるなら…ソフィア様のお力になりたいのです」


 ソフィアは驚いたように目を瞬いたあと、とても優しい視線でノルンを見つめていた。

 その瞳はもう空虚を写してはおらず、ただ目の前の、同じ刻を生きる少女を写していた。


 いつも父が言い聞かせてくれた言葉があった。


 ___誰でもいい。いつも心に大切な誰かを留めておけ。それが私たち騎士が、剣を振るう意味となるのだからな。


 そこにはいつも父が居たように思う。

 けれど。

 ソフィアは目の前の少女を真っ直ぐ見すえた。

 雪原に咲く一輪の花を。

 ソフィアは薄く微笑む。


 ___私はきっと、また剣を握れる。

 もうその手が震えることはないような気がしていた。


「ノルン。ありがとう。恐らくもう、大丈夫だ」

「…いいえ。私は何もしていません」


 ソフィアが柔らかく微笑う。

 礼を言っても目の前の少女の想像通りの言葉にまた笑う。


 空が薄く白み始める。

 いつの間にか降り続いていた雪は止んでいた。


「ソフィア様、もう夜が明けそうですね」


 ノルンが静かに薄く光が差し始めた空を見上げて言う。


(…あぁ)

「…そうだな」


 ___きっと、もう夜は明けるだろう。



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