46.孤独の日々
優しく名を呼ばれ、必死に何かをこらえるノルンが静かにソフィアと目を合わせる。
その瞳は不安げに揺らめく。
「…大丈夫。案ずることは無い。そんな事にはならない。私はまだこの街に来たばかりだが、街の人達はノルンのことも、アランのことも大切に思っている人達ばかりだった」
この一週間、宿舎に向かうために毎日街中を歩いた。
街の人々は皆、ソフィアを見かけるとノルンは元気か、ご飯を食べているのか、そんなことを聞いてきた。
またアランの話もよく聞いた。
いつも明るく、頼もしく、街の人々を気にかけ守ってくれるのだと。アランをこの街の守護神だという人もいた。
「………」
「だから大丈夫だ。ノルンが不安に思う様な事態にはならない。…そしてもし、そうなってしまったとしても、これだけは忘れないで欲しい」
「……?」
ノルンが不思議そうに未だ揺れる瞳でソフィアを見つめる。そんなノルンに月明かりの元、ソフィアはそれは美しく、優しく、微笑んだ。
「アランにとって、一番大切なのはノルンだ」
ノルンの瞳がゆっくりと見開かれる。
「誰になんと言われようと。どんな態度を取られようと。あいつが一番大切にしているのは家族だ。それだけは、どうか分かってやって欲しい」
ソフィアの言葉をノルンはゆっくりと受け止めていた。
ここ最近、魔物が活発化していると聞いて。またアトラスからギルドや街で闇の眷属の復活が噂されていると聞いて。ふと、昔、今では優しい街の人たちから敬遠されていた事を思い出した。
そして、ふともし本当に闇の眷属が復活して、今度は自分だけではなく、大切な、今の自分にとって一番大切な、アランやレオ、フローリアまで邪険にされたらどうしよう、と思ってしまった。それからは不安で仕方がなかった。
どうしたら__何も無くなった、家族を失った自分を愛してくれた、居場所を与えてくれた優しい人たちを守ることが出来るだろうか、と。
しかし、美しく微笑って優しくノルンを宥めるように言葉を紡いだソフィアにノルンははっとする。しばしの間、縋るようにノルンは揺れる瞳でソフィアを見つめていた。
そうして少しの後彼女は一度美しい瞳を閉じるとゆっくりと顔を上げた。
「…はい。ソフィア様」
少しの間を置いて、そう、小さく頷いたノルンは月明かりに照らされて、どこか幻想的で儚い美しさを纏っていた。
ノルンの表情から少し重荷や不安が拭えたように思えた。少なくともその瞳はもう揺れてはいない。そのことにソフィアは密かに安堵する。
そして再び訪れた静寂の中、そっとまた雪空を見上げる。はらはらと舞うそれはソフィアの頬に落ちては、ソフィアの温度ですぅと溶ける。
そっと手をかざして手のひらに落ちた雪を眺める。
その雪も同様に自身の体温に触れて溶けるのを見て、あぁ、まだ私もちゃんと温かいのだな、と思ってしまう。
雪を見ているとどうしようもない孤独、虚無感に襲われる。父を失った翌日も雪はずっと降り続いていた。
雪が溶けて、春が来て、夏が来て、秋が来た。
そしてまた再び冬が来て世界は銀世界に覆われた。
それからいつも、どこかであの日を想っていた。
もう誰を守ればいいか、誰のために戦えばいいのかわからない。騎士としてそんなに情けなく馬鹿げた話は無い。だから、誰にも告げることはなかった。
けれど。ここ数日、父を思い出してはそれに連鎖するように仲間が話していた声が頭をよぎる。
(…“鉄の女”か)
何も、何も間違ってなどいない。
戦場において迷いとは死である。
だから一瞬たりとも迷うな。
___それが、父の教えだった。
けれど、
(そんな父も___もういない)
どうしたら、この無力感は救われるのだろうか。
否、救われる日など来なくていいのかもしれない。
父の死は自分が背負っていくべき業なのだから。
でも、もし。
もし、少しだけ本当の事を言っていいのなら。
誰かに、打ち明けたかった。
もう、剣を握る手さえ、あの日から震えてしまうのだと。本当はもう、騎士でいる資格などないのだと。
一人静かに雪を見上げるソフィアを、そっとノルンは背後から見つめていた。その瞳には美しく流れる銀が映る。
そして静かに口にした。
「…ソフィア様。ソフィア様の髪は本当に美しいですね。まるで本当に雪の様です」
「…っ…」
優しく口にされた言葉に思わずソフィアは目を見張った。どくん、と心臓が波打った。
___ソフィア。見てみろ。雪だ。綺麗だなぁ。お前の髪と一緒だ。
脳裏で、まだ幼かった頃に父が言ってくれた言葉が木霊する。太陽に反射された父の顔は影になっていてよく見えない。でもその口元は笑っていた。
思わず、目の縁に水が溜まりそうになる。
ねぇ、この子になら話してもいいかな。
誰に問いかけるでもなく、胸の内でソフィアは思う。
(…ノルンは…聞いてくれるだろうか。…こんな情けない騎士の話を…)
静かに一人、ソフィアは潤んだ瞳で苦笑する。
否、必ずノルンは静かに、寄り添って聞いてくれるだろう。
そういう子だと私は知っている。
ソフィアはどこか穏やかな顔でそっとその少女の名を口にした。
「…ねぇノルン。私の話を少し、聞いてくれるか?」
少女は透き通った声で答える。
それはもちろんソフィアが想像していた通りの二文字だった。




