45.内なる重荷
ソフィアの瞳とノルンの瞳が交わる。
ノルンの眉は苦しげに、切なげに寄せられて、その瞳は不安げに揺れていた。
「…“闇の眷属”の復活が…密かに噂されていると…お聞きしました」
ノルンの瞳が伏せられる。
長いまつ毛が彼女の瞳に影を落とす。
ソフィアは何かを言いかけて口を噤んだ。
“闇の眷属”とはこの大陸ハルジアで過去に起こった大戦の首謀組織のことである。
イアの戦いで多大な犠牲を出した一人の青年はその数年後再び立ち上がり、今度は彼の従者と共に再び大陸を脅かした。それがヘレナの戦いだ。そしてその者らを大陸のものたちは畏怖をこめて“闇の眷属”と呼ぶようになったのだ。
ノルンの言ったことは事実だ。
魔物が以前より活発化し始めたことで大陸には不安が広がり、かつてのヘレナの闘いが思い出されている。ヘレナの戦いでは国家騎士団の騎士である一人の青年が深手をおわせたと聞いている。しかし未だ捕えることは出来ておらず、逃亡を許してしまったことから世間では不安が拭えないのだ。
ノルンはそのことをアランに聞いたのだろうか。
それともアトラスだろうか。
俯くノルンはどこか所在なさげで、いつもの大人びた様子から一変、年相応のか弱い少女に見えた。
「…そうだ。しかし奴らが原因かどうかはまだわからない。まだ奴らが関係していると言える証拠も、彼らを見たという者も事件も何も起こってはいない」
ノルンを宥めるように声を柔らかくしたソフィアが静かに告げる。
「…そうですか」
ノルンは胸の前に手を持っていくとその手を握りしめた。俯いたノルンの白い首筋で何かが光る。不思議に思い少し視線を下に向ければ、ノルンの首にはネックレスがかかっており、1つの指輪がノルンの胸上で輝いていた。
「…あぁ。だから安心していい。すぐに各地の鷹が対処する」
しかしソフィアがそう言ってもノルンが顔を上げることは無い。
闇の眷属の復活に怯えてい訳では無いのだろうか。いつも大人びていて感情の起伏があまりないノルンが、眉をひそめ何か不安に怯える姿に心が痛む。
「…ソフィア様。私は…ヘレナの戦いの最中、母親に逃がされ…その後、師であるフローリア様に拾われたそうです」
ほんの少し顔を上げたノルンがゆっくりと紡ぎ出す。ぽつりと語られ始めたノルンの過去。
ソフィアは少し驚きながらも静かに頷いて、ノルンの声を待った。
「師匠は私を守るためにこの地…フォーリオへ連れ帰ったそうです。しかし…街の人々の反応は良いものではありませんでした」
ノルンの言葉にソフィアはハッとした後に眉をひそめ口を固く結んだ。
想像が、出来てしまった。
ノルンが次に何を言うのかが。
ヘレナの闘いで“闇の眷属”は“魔力狩り”を行った。
目的は定かでは無いが、そのために大陸中の多くの魔法使いが狙われ、命を落とした。
「………」
「……街の方には…私のせいで、とても不安な思いをさせてしまいました」
ノルンは手元のネックレスを握ると視線をしたに落とす。その瞳はどこか遠くを見ていた。
ソフィアは胸が締め付けられるような感覚になった。
そんなことは無い。ノルンは何も悪いことなどしていない。
いつか、アランから聞いたことがあった。
いつも太陽のような眩しい笑顔を浮かべるアランが悲しそうに、苦しげに嘆いていた日を。
___ノルンは幼い頃、街の人々によく思われていなかった。
___良く思われていない?
___あぁ。…あの子は何も…何も悪いことはしていないのに…あの子が持つ力故に街の人達から冷たく突き放されたんだ。その時の俺はノルンの笑った顔を見たことがなかった。兄として…不甲斐ない限りだ。本当は…ただの心優しい子なんだ。本当に…。
いつかの会話が脳裏に蘇る。
その時初めていつも笑顔を絶やすことの無い彼が泣きそうになっている姿を見た。その時はただ少しの同様と、同情で、不器用な言葉でアランを慰めることしか出来なかった。
それでもやはりどこか他人事だったのかもしれない。
しかし、今。
目の前で悲しげに瞳を揺らす少女が、その少女なのだと。自分の身をもって知った心優しい少女にそのような過去があったのだと知り、胸はきつく締めあげられた。
言葉を、選ぶ。
今にも消えそうな彼女を繋ぎ止めなければ。
そう、どこかで無意識に感じて。
「…そんなことは無い。それに、それはノルンのせいではない」
静かにソフィアがノルンに語りかける。
ノルンはそっと顔を上げる。眉を寄せ、小さな口は震えながら結ばれている。大きな瞳は揺れている。
その表情が余りに痛々しくて___今にも崩れてしまいそうでソフィアははっと息を呑んだ。
「…私…怖かったのです。…街の人達が私から離れていく中…アランと…レオ、そして師匠も…いつか…いつかは離れてしまうのではないかと」
「…っ…」
ゆっくりと紡がれるその言葉は余りにも悲痛でソフィアの心を揺らした。
「…ですが、今は…今は。…アランとレオ、師匠が私から離れていくことが怖いのではなくて…。そうでは、なくて。…私といることで、街の方たちからアラン、レオ…師匠がよく思われなくなるのではないかと…。それが、怖いのです」
ゆっくりと言葉を紡いだ後ノルンは再び口を噤んだ。
ソフィアはひどく顔をゆがめた。
それは、とても苦しげに。
(…この子は…自分のことを案じているのでは無い)
苦しい幼少期を経て尚。
自分のせいで自分に居場所を与えてくれた優しい人々に危害が及ばないか案じているのだ。
ねぇ、ノルン。そんなことは無い。本当にそんなことにはならないよ。
もしそうなったとしてもアランにとって…恐らく、レオ、フローリアにとっても大切なのはノルンなのだ。
「ノルン」
どうか、そのことをわかって欲しい。
そう思い、優しい声色でソフィアはノルンの目を見て名前を呼んだのだった。
 




