40.帰路
外はいつの間にか分厚い雲が夜空を覆い、雪がはらはらと舞っていた。
はぁ、と息を吐けばそれは白く広がり空気に熔ける。
呼吸をすれば冷えた空気が肺に入り込み、身体をまた芯から冷やしていくような気がした。
ガチャガチャとなる鉄の鎧は余計に寒さを加速させた。
「…ぅぅぅぅ…さみぃ〜」
「アトラス。このマフラーも使いますか?」
「…馬鹿言うな。レオにやられる」
前を歩いていたノルンとアトラスの会話が耳に入る。
相変わらずアトラスは寒さにとことん耐性がないようだ。ノルンがマフラーを外そうとすればアトラスはどこか遠い目をして首を振っていた。
そっと視線を二人から上にあげる。空を見上げるも雪を降らす雲はどんよりと暗く、綺麗な星空は見えなかった。
何気なく先程の光景を思い出した。
初めて出会った人々に暖かい食事。
温かい暖炉の火に、温かい食事。穏やかな空間。
一般家庭の食卓とはあのようなものなのだろうか。そうだとすれば自分は久しくあのような席につくことはなかった。
もともと唯一の家族である父とは帰宅時間が異なっていて食事を共にすることは無かったし、もちろん軍でも孤立していた自分は誰かと仕事の後に食事に行くなんてこともなかった。
何気なく前を歩いているノルンを眺め、その首に新しく巻かれたマフラーを見た。
「面倒見がいいんだな。レオは」
何気なく呟く。
ノルンはソフィアを振り返るとそっとマフラーに手を当て小さく頷いた。
「…はい。いつも何かと気遣ってくれます」
「ノルンにだけだけどな」
「…可愛くて心配で仕方がないのだろう」
「そう、でしょうか」
「あぁ。私には兄妹がいないからわからないが、きっとそういうものなのだろう。兄妹とは」
「…そう、ですね」
「……」
先程の光景を思い出して何気なく口にする。けれど今度はノルンは振り向かなかった。そればかりか少し俯いているように見えた。何を考えているのだろうか。どんな表情をしているのか、俯くノルンにそれは分からなかった。アトラスは一瞬ノルンの顔を下からちらりと見ると口を噤んで前を向いて再び歩き出していた。
フローリアの家から少し歩いた先にノルンの家は建っていた。
暗い森の中にひっそりと建つノルンの家は昼間とは違い、どこか不気味さを纏っていた。
ノルンが玄関に向かえばそこにはノルンの家族だというウルガルフが律儀に座ってノルンを出迎えていた。
(再びここに戻ってくることになるとは…)
そんなことを思いながらノルンの家を見つめる。
一人暮らしにしてはとても立派で大きくて、それでいて年代を感じられるどこか趣が漂う家を。
ガチャリ。音がしてそちらに目を向ければ玄関をあけ、こちらの様子を伺うノルンがいた。
「すまない。今行く」
ソフィアはノルンにそう告げるとノルンの後を追い、ノルンの家に入った。
家の中には既に暖かい光が充満していた。
その後ノルンの進めでソフィアは風呂に先にはいらせてもらうこととなった。
泊めてもらう上に家主より先に風呂に入らせてもらうことはできないと、そう言ったがノルンはふるふると無言で首をふるばかりで折れてくれなかった。
アトラスにもノルンは結構頑固だぞ、と笑われ結局ソフィアが折れたのだった。
「はぁ…」
髪と身体を洗い、ノルンが用意してくれた湯船につかる。湯船いっぱいにはられたお湯はソフィアが入ると溢れたぶんがザバァと床に流れて行った。
昨日の大雪で温度を全て奪われた身体に熱が戻ってきたような感覚だ。
ソフィアはぐるりと視線だけで浴室を見渡した。白、灰色を基調としたレンガの壁に少し薄暗い室内。レンガの壁にくぼみが出来ていてそこにランタンがひとつ置かれていて暖かい光が漏れ出す。湯船の少し先にシャワーがあり、浴室のあちこちには様々な植物がおかれている。ソフィアが浸かる湯船にも少しだけ花が浮かんでおり、その香りは心を落ち着かせる。
初めての人の家。緊張するはずなのにここはどうしてかとても心地がよい。自分の過ごしてきた家とは全てが違う。それなのに、どうして。
お湯を両手で掬い、ぼうっと湯が手から滴り落ちていくのを見る。全て空になった手のひらには小さな傷、固くなった豆だらけでとても年頃の女性のものとは思えなかった。
ソフィアは無言でそれを見たあとぎゅ、と固く拳を握り、ゆっくりと目を瞑り、息を吐いて湯船に身体を預けた。
風呂から上がり洗面台の前でノルンが置いていった服に着替え、タオルで髪を拭く。洗面台もレンガと木材を基調としていて雰囲気が良い。
所々に緑が垣間見える。どうやらノルンは植物を育てることが好きなようだ。この家のあちらこちらに観葉植物のようなものや、花が生けられている。それらはインテリアに馴染んでこの家を心地よくリラックスできる空間にしている様に思えた。
髪をある程度拭き終え、ダイニングへと向かう。
ノルンは一人本を手にしており、熱心に読み込んでいるようだった。ノルンの傍らにはぴったりとくっついて隣で目を瞑るウルガルフの姿があった。
さすがにそんな姿を見れば不思議と出会い頭の緊張感と恐怖心は無くなっていた。
少し視線をずらせばいつの間にか暖炉のそば、昼食をとった机の上には本が山ほど積まれていた。
ソフィアがある程度近づいてやっと気配に気づいたノルンが顔を上げる。
「…ソフィア様。すみません。身体は温まりましたか」
「あぁ。とても気持ちよかった。ありがとう」
実際久しぶりにゆっくり浸かった湯船で身体の疲れは取れ、ほぐされたように軽やかだった。
ソフィアの言葉にノルンは安心したようだった。
そしてそのままノルンは本を一度床に置くとソフィアが泊まる部屋に案内すると告げて立ち上がった。
どうやらアトラスは既に眠りについたようだった。
(そう言えばあいつは遅くまで起きていられなかったな)
そんなことを思いながらノルンについて行く。
階段を上りノルンは一つの部屋を開けた。
そこには大きなベッドと小物家具が置かれたシンプルな部屋だった。カーテンが開けられた窓からは柔らかな月の光が差し込んでいる。ノルンは手持ちのランタンから部屋のランタンに火を移した。
暖かな灯りが部屋を照らす。
「狭い部屋で申し訳ありませんが…」
「そんなことはない。十分すぎるほどだ。ありがとう」
「いいえ。何かあれば遠慮なく仰ってください」
「あぁ。ありがとう」
ノルンは頷くと部屋を出ていった。
何も考えずそっとベッドへ腰掛ける。
程よい柔らかさに沈みながらそのまま身体を横にする。柔らかい掛け布団からは石鹸の香りとどこか優しい花の香りがして。
気づけば静かに微睡み、眠りについていた。
 




