3.お礼
ギルドを出たノルンは何事も無かったかのように預けていた馬を引いてリアの街を出ようとしていた。
すると後ろから声が聞こえてきた。
「おい!待ってくれ!」
ノルンが不思議に思い振り返るとそこには先程のギルドで会ったウール族が走ってきていた。
ノルンはそれを見て不思議に思いながら彼の言った通りその場に立ち止まった。
「…ふぅ。追いつけて良かった。お前さっきのやつだよな。さっきは助かった。ありがとう。まだ礼が言えてなかったからな」
追いつくなり素直に感謝の意を述べられ、ノルンは少し戸惑った。わざわざ礼を言うために追いかけて来てくれたのだろうか。
彼は一度見せてくれた人懐っこい顔で笑った。きらきらと金色の目が太陽の光を反射して輝いている。
ウール族の言葉にノルンはそこまでのことをしてはいない、という意味で首を横にゆるく振った。
「俺、アトラスっていうんだ。お前は?」
名前を聞かれると思っていなかったノルンは少し驚く。そして少し考えたあとでそっと仮面を外し答えた。もう街を出たため、外しても良いかと考えたためだった。
「…ノルン」
その姿と声にアトラスは大きな瞳を見開く。
男だと思っていた人物は仮面を外すとそこにはあどけなさが残るもとても美しい少女だったのだ。
フードで影が作られているが、その顔の整い様だけは理解出来る。
大きな美しい瞳に魅入られる。
形の良い唇はほのかに色付き名前を言うと閉じられてしまった。
声も先程までとは全く違い、高くどこか儚い少女の声だ。
「…驚いた。女だったのか」
その言葉にはノルンは何も言わなかった。
「ははっ。そうか。こんなに可愛らしいお姫さんに助けられたのか」
アトラスは一頻り驚いたあと可笑しそうに笑った。
ノルンはアトラスを見ているだけで何も言うことは無い。自分とは正反対だ。アトラスはよく笑う。会ったばかりだというのに彼の眩しい笑顔はとても心地よい。
「なぁノルン。何でさっきは助けてくれたんだ?」
ノルンと共に歩きながらアトラスが聞く。
アトラスの身長はノルンの胸あたりまでだった。
「あのバングル。あいつらが何かしかけてたんだろ?」
今度はノルンが驚く番だった。どうやらアトラスは気づいていたらしい。その上で身を引こうとしていたのだ。
あの場では言葉を濁したノルンだったが、アトラスが気づいていたのならば隠す必要は無いだろう。
そう考えたノルンはこくりと静かに頷いた。
「…恐らく銅に変われの魔法がかけられていたのだと思います」
「そうだったのか」
物質を銅に変える魔法です、ノルンが補足するとアトラスは納得したように頷いた。
そして今度はノルンがアトラスに質問した。
あまり人と話すことは得意ではないノルン。
しかし今の話を聞いて、アトラスに聞いてみたいことがあった。
「…アトラス様…はどうして分かっていてあの場を退こうとしたのですか」
アトラスはノルンの様付けに少し驚き目を丸くしたあとアトラスでいい、と笑って言い、ん〜、と少し言葉を詰まらせた。
「…そうだなぁ。なぁノルンはウール族を見るのは初めてか?」
ノルンは素直に頷く。
ハルジアの大陸にはいくつかの種族が存在している。人間もウール族もその中の一種族だ。
しかしノルンはまだ他の種族を見たことがなかった。
そのためアトラスも初めてのウール族だ。
「そっか。…なぁノルンは俺を見てどう思った?」
意図を掴めない質問にノルンは一度その意図を考える。しかし分かりそうになかったので素直に自身の感想を伝えた。
「恐らく腕のたつ銃手なのではないかと思います。あとはとても綺麗な色の毛並みと瞳だと思いました」
ひとつも顔色を変えることなく、声色も変えることなく淡々と述べるノルン。
アトラスはノルンから告げられた言葉に想像と違っていのか目をぱちくりとさせる。
そして少しの間を置いてノルンの言葉を飲み込み、また声を出して笑った。
「…ははっ!そっか!ありがとな。ノルンは変わってるな」
「…そうかもしれません」
否定しなかったノルンに違和感を感じながらもアトラスは一度それを確認することも無く続けた。
「俺たちの種族に会っていけばわかると思うが、俺たち小さいだろ?だからまぁハルジアの大陸に出てくれば舐められることなんて日常茶飯事なんだ」
内心ではそれを良しとしていないが幾度も起こることに諦めをつけた、というように見える。
しかしノルンはアトラスの言葉を理解できないというふうに首を傾げた。
「身長、ですか」
「ほら。体格も小さぇし」
アトラスが自身を見直すように見たあと、柔らかい毛に覆われた手を握った。
「…そう、ですか。…ですが体格が決して全てを決定づける訳ではないと思います」
「!」
言葉を選びながらノルンが続ける。
「現にアトラス様…」
「アトラスでいいぜ」
「………アトラス…はディーグルを倒したと。ディーグルは攻撃力、凶暴性ともに高くある程度腕のたつ者でなければ渡り合うことも、ましてや討伐することなどできません」
「…ノルンは信じるのか?」
アトラスが一呼吸おいて、声を少し低くして問う。
それは何かの言葉を望むように。
しかしそれを聞くのが怖いことでもあるというように。
アトラスの鼓動が少しだけ低く、速く音を立てる。
しかし当のノルンは相変わらず声色ひとつ変えることなくまっすぐとアトラスを見て頷いた。
「はい。なぜ疑うのですか」
と。アトラスはまん丸の瞳を見開く。
思わず息を呑む。
切なく、少しの息苦しさを纏って胸が少しばかり締め付けられた。
それは嫌なものでは無かった。
今まで自分ですら見て見ぬふりをして、落とし続けてきたやるせなさと切なさが消え、満たされたような感覚だった。
ウール族はハルジアの大陸の最南端に位置する島で主に生活をしている。けれど中には何らかの理由から島を出てハルジアの大陸で生活をする者もいる。
アトラスは後者だった。
元々好奇心旺盛なアトラスはのどかな故郷を出て、新しい世界、様々な景色を見てみたいとハルジアの大陸に足を踏み入れた。
しかし体格も身長もあまり恵まれているとは言えない一族だということもあり、今日のような対応をされる日は珍しくなかった。
もちろん、優しい人間もたくさんいる。
それでもはっきりと言葉にしてくれたノルンにアトラスは知らぬうちに強ばっていた力を抜くようにふっと息を吐いた。
先程出会ったばかりの少女。
物語から間違えて出てきてしまったかのように美しい少女。
少しも表情を変えることもなければ、声色を変えることもない子どもらしからぬ少女。
それなのに彼女の言葉は確かな信用で満ちていた。
どうしても彼女の言葉に嘘はなく、全て本心なのだとアトラスは感じ取っていた。
(……不思議なもんだな)
出会いとはまさに運命である、と誰かがどこかで言っていた。 気がする。
そしてアトラスはこの時、金色の瞳でノルンの後ろ姿を見つめながらその意味をはっきりと理解した。