38.師匠
兵舎を離れ、三人はもう一度来た道を歩いていた。ノルンの家は街からは少し外れた森の近くにあるので帰るにしても少し歩かなければならない。
段々と日が傾き始めていた。
街の至る所に掲げられているランタンにも明かりが灯り始めた。灯し人の少し腰を屈めた老人がランタンに火を灯し入れている。
レンガ造りの家々。今は葉を落とした街路樹。子供たちが家にむかい駆け抜ける音。また明日という声。
どれもベルンとは変わらない。しかしどこか寂しい。知らない土地だからだろうか。
沈んでゆく夕日が街に影を残し、次第に街は静かに闇に包まれる。
ノルンの家は街の外れと言っても見る人から見ればそれはもう森の中である。道はあると言えども暗い木々の間を歩くには少し足場が心もとない。
すると前を歩いていたノルンの手元がぽぅと優しく明かりを漏らす。いつの間に手にしていたのかノルンはランタンを手に持ち、その中に火を灯していた。
しばらく歩いた森の中でノルンは足を止まった。
「ソフィア様。少し寄り道をしてもよろしいですか?」
こちらを見て首を傾げるノルンにソフィアはもちろん構わない、と頷いた。
しかしどこに寄るというのだろうか。暗闇の森の中ではノルンの持つランタンがなければ迷ってしまいそうだ。こんな所に何があるというのか。
ソフィアの返事を聞いて礼を言ったあとノルンはまた少し歩いて途中で木々の間を曲がった。
街に行く時にこんな曲がり道などあっただろうか。
もしかしたら新しい場所でノルンについて行くことに集中して見逃していたのかもしれない。
そうして曲がって少しした時。
「…光?」
道の先の方から淡い光が見えた。
「はい。この先は私の師匠のお家です」
「…ノルンの言っていた薬師の魔法使いの」
「はい」
近づくにつれて光は大きくなっていった。そしてたどり着いた先には一軒の古そうでいてとても手入れの行き届いたレンガ造りの家が建っていた。家には蔦が絡み合い赤レンガの家によく映えている。
昼間だったならばもっと美しいだろう。
ノルンは慣れた様に家の玄関の前まで行くとコンコンと戸をたたいた。
「師匠、ノルンです」
そうすると少しもしないうちに木の扉がゆっくりと開かれた。そこに立っていたのは若い男だった。
「お、レオか」
「…師匠なら今キッチンにいる。とりあえず入ってて。すぐ来ると思う」
「レオ。ありがとうございます」
アトラスも面識があるようだ。
レオと呼ばれた青年は返事をするでもなく、素っ気なくそれだけ言うとちらりとソフィアとアトラスに視線をよこして何を言うでもなく家の中に入ってしまった。
その青年はどこか見たことがあるような気がした。
「ソフィア様」
「…私も入っていいのだろうか」
ノルンに家の中から名前を呼ばれ、ソフィアは少し躊躇うように言った。家主に挨拶もしないまま勝手に入って良いのだろうか、と迷う。
そんなソフィアの横をすり抜けてアトラスは慣れているように邪魔するぜ、と言って家の中へと入っていく。
「もちろんです。ソフィア様」
ノルンのその言葉に応えるようにそっと足を踏み入れた。
ソフィアを家の中に入れるとノルンはぱたんと戸を閉めた。少しの戸惑いと居心地の悪さを感じる。
すると家の奥から物音がして柔らかな女性の声が聞こえた。
「レオ?誰かいらしたの?…あら」
そしてひとつの戸が開くと、そこから優しそうな上品な女性が顔を出した。
「師匠」
「フローリア。久しぶりだな」
ノルンがその女性をそう呼んだ。
(…この人が)
師匠と呼ばれた女性はノルンを見た途端嬉しそうに柔らかく微笑んだ。
ソフィアも思わずその人物を見つめる。
「ふふ。いらっしゃい。ノルンにアトラスも。一週間ぶりね。またお家にこもって魔法の練習をしていたのかしら。それともお薬の練習の方かしら」
「魔法だな!」
アトラスがフローリアの言葉に笑顔で答えるとフローリアはクスクスと笑う。ノルンは少し気まずそうに目を逸らしていた。
「ふふ。相変わらず勉強熱心ね。でもあまり無理してはいけませんよ。…それでそちらの素敵な方はどなたかしら?」
ノルンの頭を優しく撫でたあと女性はソフィアに目を向けた。その目はとても優しくソフィアを見つめていた。
「…ソフィア・エヴァンズと申します。この度フォーリオの騎士団に派遣されました」
礼儀正しくソフィアが礼をすると、女性は微笑んだまま自分の名を述べた。
「まぁ。初めまして。ソフィアさん。私はフローリアと申します。これからよろしくお願いしますね」
ソフィアは顔を上げてフローリアを見た。フローリアはとても嬉しそうに微笑んでいる。
なんと返せばいいのか分からず、結局こちらこそよろしくお願いいたします、という言葉しか出てこなかった。
しかしフローリアは何も気にしていないというようにむしろ嬉しそうに笑みを深めた後ノルンに視線を戻した。
「ノルン。アトラスも。お夕飯は食べていくでしょう?ちょうど今出来上がったところなの。ソフィアさんも食べていかれるでしょう?」
フローリアの言葉にノルンを伺うように見る。ノルンと視線が合う。ノルンはソフィアと目を合わせるとフローリアに向き直って小さく頷いた。
「はい。それではぜひ」
「ふふ。良かったわぁ。それじゃあみんなでご飯にしましょう。レオはいるかしら?…あら。レオ?また上かしら。ノルン、呼んできてもらえる?」
ノルンはこくりとまた頷くと慣れたように部屋を出ていってしまった。しかし少ししてもノルンとレオと呼ばれた青年が降りてくることは無い。するとそれを見兼ねたのか隣にいたアトラスが2階を見つめた。
「あいつら降りてこねぇなぁ〜」
「…そう、だな」
「よし!俺も行ってくる!」
「…え」
アトラスはそう言うとソフィアの返事も聞かず階段を上っていってしまった。1階にはフローリアとソフィアだけになる。フローリアは今はキッチンにいるが。
この街に来てからまだ一日だが慣れないことばかりでどうしていいか分からい場面が多かったように思う。今もそうだ。フローリアと二人の空間になり、どうしたらいいか分からない。それでも食事を振舞ってもらうのだ。何か出来ることは無いだろうか。
そう考えると少し緊張をしながらもソフィアはフローリアがいるキッチンへと向かった。
そしてそこに居たフローリアに遠慮がちに何か出来ることは無いかと問う。
フローリアはその言葉に嬉しそうに目を細めたあと、ソフィアに食事をテーブルに持っていくように頼んだのだった。
 




