35.フォーリオ
昼食を片付け、軽く支度を終えて家を出るノルンに引き続きソフィアはノルンの家の玄関を出た。
しかしその瞬間、思わぬ事態にソフィアは思わず目を見張ると瞬時に腰にあった剣に思わず手を置いた。
ノルンの家の前の常葉樹の下でウルガルフが心地よさそうに眠っていたのだ。
「…!?…なぜこんな所にウルガルフがっ…!」
突如目の前に現れた魔物に剣を手にかける。
しかしその瞬間、ソフィアの目の前に瞳を丸くして酷く焦りをうかべたアトラスがウルガルフとの間に割って入って来た。
「おいおい待て待て!こいつはノルンの家族なんだ…!」
アトラスがソフィアの前に立ちはだかり小さな手をつきだす。
(…何だと?)
目の前のアトラスの言葉に思わず自分でも眉をしかめたのが分かった。ウルガルフと言えば凶暴な魔物の一種であり、その存在は脅威的だ。
思わず目の前のアトラスを凝視する。
「嘘じゃねぇ」
アトラスは真っ直ぐな瞳をソフィアに向けたまま静かに言う。ソフィアはぴくりと眉を寄せ、半信半疑でアトラスの奥のウルガルフに目を移す。
どうやらウルガルフも少しの騒ぎにこちらに気づいたようで横になっていた身体を起こし、ソフィアを見ていた。
そのウルガルフはとても綺麗な真っ白い毛並みを持っていてこちらを伺う瞳は透き通っていた。
首には藍色のマフラーを巻き、手首には青いリボンが結ばれている。
(…明らかに野生ではない)
ウルガルフが襲いかかってくる様子は無い。
ウルガルフは落ち着き払って静かにこちらの様子を見守っていた。
(…信じ難い)
ウルガルフの様子と同僚の言葉に、ソフィアは小さく息を吐くと戦闘態勢に入っていた身体をゆっくりと戻した。
そしてアトラスの言葉を確認するようにそっとノルンに視線を移す。
「…驚かせてしまい申し訳ありません。ソフィア様。アトラスの言ったことは本当なのです」
ノルンはソフィアの視線を受けて、申し訳なさそうに謝罪をした。そしてブラン、と小さくウルガルフに向かって呼びかける。
するとウルガルフはその声に答えるようにゆっくりとノルンに近づくと、ノルンの手に頭を擦り付け嬉しそうに目を閉じたのだった。
その姿は凶暴と謳われる魔物とは程遠く、ただの人懐っこい大型犬の様だった。
(…信じられない。あのウルガルフが…)
二人の仲睦まじい様子にただ驚きを隠せない。凶暴と恐れられるウルガルフが、人の手に擦り寄っている。
どうやらノルンの家族というのは本当のことのようだ。
「…そうか。それはすまなかった」
未だ動揺してはいるものの、そっと剣の上に置いてあった手を離す。そしてそう言えばノルンは緩く首を振る。
「いえ。驚かれるのも無理はありません。…街の人も驚かれる方が多いので、ブランにはいつもここで待っていてもらっています」
ノルンは顔色を変えることなく、ブランと呼ばれたウルガルフの頭を優しい手つきで撫でながら言う。
「そうか」
「はい。では行きましょうか。…ブラン、少し待っていてください。街に行ってきます」
魔物と意思疎通ができるのかは分からないが、少なくともノルンとブランと呼ばれたウルガルフは意思疎通ができているように見えた。ノルンがそう言えば、ウルガルフは頭を撫でられる手に心地よさそうに目を細めて、グルルルと気持ちよさそうに唸った。
ウルガルフが私たちに着いてくることは無かった。
◇◇◇
「ここがフォーリオの街か」
街に降りてきてその景観を眺めながらぽつりと呟く。
自然が多く、街のあちこちに街路樹が植えられている。今は冬ということもあり、木々は葉を落とし少し寒々しい。
街のあちこちから聞こえる声はとても活気がある。市場の呼び込みの声。人々が道端で話し合う声。自然の音。鳥のさえずり。それらどれも全て心地よく耳に入り、新鮮に流れていく。
「あら!ノルンちゃんじゃない!それにアトラスも」
「よう!」
突然通りがかった市場でふっくらとした体型の優しそうな四十代くらいの女性が声をかけてきた。
どうやらノルンとアトラスの知り合いのようだ。
「お久しぶりです」
「まぁまぁ!今日はどうしたの?師匠のおつかいかしら?」
「いえ。今日は自分の買い物にきました」
「そうなの。あら。そちらのお姉さんは?見ない方ね。でも観光で、って訳ではなさそうね」
ふいに女性の目がノルンの隣にいたソフィアに移る。
「こちらは騎士のソフィア様です」
今まであまり市民と会話をすることがなかったためソフィアは一瞬言葉が出なかった。
けれどノルンが紹介してくれたこともあり、自然と頭を下げる。
「ソフィア・エヴァンズと申します。この度フォーリオの騎士団に派遣されました」
「まぁ!そうなの!はじめまして。ソフィアさん。私はこの街でパン屋をやっているベーグルといいます。これからよろしくお願いしますね」
そういうとベーグルと名乗った女性はにっこりと微笑んだ。ソフィアはそれを見て何故かどう反応したら良いか分からず、少し戸惑う。
「そういえば前に主人がノルンちゃんがとても美味しそうに試作のクリームMAXクリームパンを食べてくれたって喜んでいたわぁ。ありがとうね。またぜひお店の方にも来てちょうだいね」
「はい。とても美味しかったです。また買いに行きます」
それじゃあね、とにこにこと手を振るベーグルを後にして三人は歩き出した。
「ベーグルさんはこの街でご夫婦でパン屋さんをやられています。市場にもよく出店されていてお店はもう少し先にあります」
「そうか」
「あそこのパン、美味いよなぁ。俺のおすすめはカレーパンだな。ピリッと辛くてうまい」
その後も兵舎に着くまでノルンはすれ違う街の人から声をかけられていた。ついでと言ってはなんだがアトラスも。どうやらアトラスはその陽気で兄貴分な性格から既にフォーリオの街に溶け込み、街の人々から親しまれているようだった。
ノルンは声をかけられる度に丁寧にソフィアを街の人に紹介した。
それなりに広さのあるこの街でノルンは有名なようだった。
しかしそれを言うとノルンは首を振って自分の師匠が有名なのだと教えてくれた。
街のシンボルである大きな湖を通り越して街の南側までくるとレンガ造りの大きな建物が見えてきた。
「お!見えたな」
「あれが兵舎か」
「はい」
ソフィアが言うようにレンガ造りの建物の前には旗が掲げてあり、そこには騎士団の象徴である鷲が描かれている。
門の前に行けば見張りの兵が1人立っていた。そしてノルンを見ると来た理由を察しているというふうに気さくに話しかけてきたのだった。




