33.薬師
全く追いつけないソフィアにアトラスからされた簡単な説明はこうだった。
騎士団にいることが、億劫になって一人旅に出ていたところ、ノルンと出会い助けられたのだと。その恩人に恩を返すため、アトラスはノルンと共に居るのだということだった。
「…はぁ」
自由奔放すぎる相変わらずの仲間に小さくため息を吐く。
そこで、一旦相変わらず自由人なかつての仲間から視線を外しノルンに向ける。
「…すまない。つい話に夢中になってしまって。アトラスのことは一旦置いておこう」
「おいおい」
「ノルンだったな。本当にありがとう。君がいてくれなかったら私は雪の中で息絶えていただろう」
ソフィアがノルンに向き直り素直に礼を述べると、ノルンは緩く首を振って口を開いた。
「…いいえ。フォーリオは雪の降る地域ではありますが、昨日ほどの大雪は滅多にありません。幸いソフィア様を見つけたのが早かったため、まだ凍傷などは起こされていませんでした」
ただ、と言ってノルンは続ける。
「恐らくソフィア様の身体は過労と栄養失調になっていたのだと思います。ソフィア様がよろしければもっと休まれた方がいいかと思われます」
綺麗な不思議な青とも緑とも言えぬ、輝きを放つ瞳に心配の色を浮かばせたノルンが言うと、ソフィアは少し驚いたようだった。
確かに最近は遠方に行き、しばらくは帰ることが出来ないということで業務の引き継ぎや上からの仕事に追われていた。
私生活もとても規則正しいものとは言えなかった。食事と言ってもあまり栄養のあるものとはいえなかった。ただ腹の虫を抑えるためだけに食していたようなものだった。
それにしても…
「…そうか。確かに最近はあまり寝ることが出来なかったり、まともな物を食べていなかった。…いや、だが驚いた。ノルン、君は医者なのか?」
「お前、相変わらずだなぁ…」
アトラスの呆れたような呟きと視線は無視する。
しかし医者というのはこの国にお世辞にも多いとは言えない。地域によっては文字を読めない者も多い。そんな中で技術と知恵をもつ医者は少ない。学べる場が少ないことも関係しているだろうが。
それなのに、この様な少女が医者の様にソフィアの身体の症状を丁寧に述べた。そのことに驚きを隠せなかった。
「いいえ。私はお医者様ではありません。そのような技術も知識もありません。…ただ、少しばかり薬の知識をもっているだけです」
医者という言葉を否定したノルン。しかし続けて薬の知識を持っている、とどこか言いにくそうに述べた。
つまり薬師ということだろうか。医者と同じく薬師もとても稀な存在だ。膨大な知識とこちらも技術がなければできることでは無い。
医者が患者を診察して診断をする。そしてその医者に言われたように患者の症状に合わせて薬剤を調薬する。それが薬師だ。最も今のこの国では医者も薬師もそこまでといって区別は無い。薬師が診断をして処方することも多い。
「…そうか。薬師か。その歳で…。君はすごいな」
思わず自分より幼い少女に感心してしまう。
それならば多くの人のあらゆる症状の知識をもっていても不思議ではない。
ノルンの言葉に頷いたあと、そっと部屋を見渡す。
綺麗に整頓されていて、家庭的な家だ。
しかし部屋の至る所に本が置かれ、積まれている。
それはソフィアが寝かされていたベットの横のサイドテーブルにも。
そこでふと見てしまった本のタイトルに思わず目を見開く。そこには“魔法薬学書”と表情に書かれた分厚い本が置かれていたのだった。
「…もしかして、ノルン。君は魔法が使えるのか?」
小さくぽつりと零れた声。
しかしその後すぐにしまった、と思う。
ノルンとは初対面で、それでいて命を救ってくれた恩人だ。いきなりこのようなことを聞くのは不躾だった。謝罪の言葉を口にしようとすぐに口を開く。
しかし次の瞬間発せられた音は自分の声ではなかった。
グゥ…。
「………………。……すまない」
「…ははっ!」
それなりに聞こえるほどの音で誰かのお腹が鳴った。
もちろん誰か、というのはソフィアである。
ソフィアは笑い声を上げたアトラスを少し睨む。
ノルンは話の途中でなった音に少し目を瞬いていたが、すぐに口を開いた。
「ベッドの上でお話というのもいいですが、よかったら一緒にご飯を食べませんか。ちょうどお昼ご飯が出来たこともあってソフィア様の様子を見に来たのです」
そこまでして貰っては申し訳ない。そうノルンに伝えるもすぐに言うもたくさん作りすぎてしまったので、と返され、こちらのための言葉だと理解しつつも、空腹には抗えずその言葉に甘えさせてもらう事にした。
(…何から何まで申し訳ないな)
「お!いいな!ソフィア!ノルンの飯はうまいぜ!」
「なぜお前がそんなに得意げなんだ…」
こちらは罪悪感を感じているというのにアトラスはまるでお構い無しだ。
どこか得意げなアトラスに呆れたように言いながらもアトラスについてあいき、席に着く。
キッチンに入っていったノルンは3つのお皿を盆に乗せて戻ってきた。
コトリと木の木目がついたテーブルに置かれたのは暖かな湯気を立ち昇らせるシチューだった。ごろごろとしていて程よくとけて角が丸くなっている野菜と少し大きめにカットされた鶏肉。
そしてこれまた少し溶けていて、それでいて存在感のあるかぼちゃ。
それを見た途端人知れずまたお腹がくぅと鳴った。
キッチンに戻ってバケットが入った籠を持ってきて机に置いてからノルンはソフィアの向かいに腰をかけた。
そしていただきます、と言おうとして手を合わせたところであ、と言うようにソフィアを見た。
「ソフィア様はまだ起きられたばかりですし、何かもっとお腹に優しいものが良かったでしょうか?…お粥くらいなら少し待っていただければ用意できます」
ノルンの申し訳なさそうな表情に首を振る。
「いや、大丈夫だ。ありがとう。先程の音でバレていると思うがとてもお腹が減っていて、このシチューはとても美味しそうだ。食べてもいいだろうか」
私がそう言えば、その言葉に安心したようにノルンはもちろんです、と言うと再度手を合わせた。3人が「いただきます」と声を出したのは同時だった。