31.白銀世界
視界に白い綿が舞い降りていく中、頭の中には幼い頃に見た父と、息を引き取る前の父が思い出されていた。
父が居なくなったのは丁度一年ほど前のこと。
仕事に私情は挟んではならないとこの一年間、父を失った喪失感を振り払いながら仕事に取り組んできた。
しかしソフィアの思いとは裏腹に、周りからの評価は良いものではなかった。
___父親を亡くしたんだろ?それなのに葬儀の後から1日も休まず働いてるんだぜ。
___心がないんだよ。あの女は。まさに鉄の女。
___いつもいつも命令口調で正直鬱陶しいんだよなぁ。
___そうそう。だからあの女の周りに誰かいるのなんて見たことないだろ?誰もあんな女に近寄らねぇよ。
(…そう、か。…私はそう思われていたのか)
男たちの笑い声が脳裏に蘇る。
雪のせいか。はたまた別の何かか。胸に霜が降りるように冷えていくのを感じた。
あぁ。どうして今、こんな言葉を思い出すのだろうか。騎士団の兵舎で部下の男達がそう話していた。自分の話だと気づいた時には思わず柱の陰に隠れてしまった。
何も間違っていない。彼らにとっての自分の評価など気にする事はない。自分はただ職務を全うしているだけ。仕事は仲良しごっこをするための場所では無い。特に騎士という仕事は。
しかしこの虚しさはなんだろうか。誰かと仲良くなりたいと願ったことは無い。必要性を感じなかった。
けれど父を亡くし、懸命に働いていた姿を否定される。自分の傍には誰もいない。鉄の女。その響きがいつまで間も耳に残った。思わず握っていた拳には爪がくい込んでいた。
◇◇◇
父を思い出したら、仲間であるほかの騎士達からの言葉が脳内を流れていった。
雪はずっと降り続いている。
___私は何のために、誰のために剣を降るっているのだろうか。何を、守るために。誰の、ために。
「………」
足は止まったまま。ソフィアが踏み出す気配は無い。
果てしのない孤独感と虚無感がソフィアを襲う。
今の気持ちを表すとするならばどうでも良くなってしまった、だ。何のために命を張っていたのか、何のためにこれから頑張っていけばいいのか分からなくなってしまった。
凍えるほどに降り積もる雪が余計そう思わせる。
もう、動けない。
こんなことを考えていたわけではなかった。普通に任務のためにフォーリオに向かっていただけ。
恐らくフォーリオはもうすぐそこだろうに。
視界少し上にやれば暖かな光が灯っているのが見える。
あと少し頑張れば街に着く。
一晩休めばこんな気持ちも忘れる。
けれどもう足を動かす気力はなかった。
ただもう寒さも感じなくなってきた手足が自分のものでは無くなったかのように感じられ、ソフィアはそっと目を閉じた。
目を閉じた後に、ザッ…ザッ…という何かが近づいてくる音を感じながら。
◇◇◇
ソフィアの家は代々続く騎士の家系だった。
男児が生まれると騎士になり、女児が産まれると多くの習い事や勉強をして立派な淑女に育てられた。
ソフィアには物心ついた時から母親がいなかった。ソフィアを産んで間もなくして亡くなってしまった。そのためソフィアは父親に育てられた。
ソフィアの父親は厳しくも暖かく優しい人物だった。国家騎士団の総長であり部下からの信頼も厚かった。街の人も皆父を慕っていた。
そんな父にソフィアは幼い頃から憧れ、尊敬の念を抱いていた。将来は父のような騎士になりたいと。
初めて騎士になりたいと父に告げた時、父は驚いた顔をしてしばらく考え込んだ後に口を堅く結んで首を横に振った。幼心にショックだったことを覚えている。応援してくれると思っていたのに。父のようになりたいと思ったのに。
それでもその後も諦めず騎士になりたい、と父にしつこく何度も言い続けた。しばらくは頑なに首を縦には降らなかった父だが、幼いソフィアが諦めず父の鍛錬所に行っては木刀を振るう姿を見て、決意したようだった。
___ソフィア。騎士というのはとても危険な仕事だ。騎士になった瞬間から私たちは市民、王族を守るために命をかける。それでも騎士になりたいか?
___うん!私はお父さんみたいに格好いい騎士になりたい。お父さんみたいにみんなを守りたい!
幼いソフィアの真っ直ぐな目と必死な姿をしばし目に焼きつけるようにしてからソフィアの父はそっと切なく、優しく微笑んだのだ。
そこからは毎日が訓練の日々だった。淑女になるために、と続けていた習い事は全てやめ、その時間を稽古に当てた。父が休みの日には手合わせをした。
父に勝てることなどなかった。手合わせをする度に父との差を痛感した。まるで敵わない。天と地の差とはこのことだ。父は訓練になるととても厳しかった。ソフィアを娘ではなく1人の騎士として本気で育てた。
今まであまり叱ることをしなかった父が本気で怒鳴り声をあげ、ソフィアに剣を持つようにと言った。
それがつらく苦しい時もあったが、それでもソフィアも本気で木刀を振るう父に本気で立ち向かった。
しかし、9年前のある日。
騎士としてある闘いに参じていた父はその日、片足をなくして帰ってきた。
当時ソフィアはまだ11歳でやっと剣の扱いがマシになってきたという頃。
その戦いは後に、戦いが起こった土地にちなんで“ヘレナの戦い”と呼ばれることとなる。
この戦いは過去の“イアの戦い”と呼ばれる大戦の首謀者が新たに従者を引き連れて国に挑んだものだった。その大戦はイアの戦いよりも遥かに上回る被害をもたらした。幾つもの村や街が滅ぶこととなった。
ソフィアの父もこの戦いにより負傷した騎士の1人であった。無敵と謳われたソフィアの父もこの戦いで片足を失い義足をつけての生活になってしまった。
そしてこの頃から父はソフィアに厳しくあたるようになった。足を失った父をソフィアが心配して鍛錬に集中出来ないでいると父は容赦なくソフィアを叱責し、剣をソフィアの胸寸前で止めた。そんな父の目はぎらついて、ひどく恐ろしく見えた。
___相手が手負いだからと手を抜くのか?もし私が敵であったならお前の迷いなど一瞬で見抜かれ心臓をこの剣で貫かれていただろう。
その殺気に思わず心臓が冷えきって凍ったようだった。
それからというもの気づけばソフィアは屋敷内で父と顔を合わせることを避けるようになっていた___。




