256.叱責
「ば……馬鹿なのっ…!?」
それが、ノルンに向けられた第一声だった。
普段声を荒らげることのないレオだが、この時ばかりは普段よりも大きめの声量で、美しいエメラルドの瞳を見開くとノルンに向かってそう放った。
レオがここまで感情をあらわにすることは中々に珍しい。普段は何時だって無愛想な表情を浮かべているというのに。
これには僅かにノルンも驚いたのか数回瞬きを繰り返す。
しかしその後表情は一切変えることなく、ただ眉間に皺を寄せるレオを見つめていた。
「…有り得ない有り得ない有り得ない」
ぶつぶつとレオはそう呟きながらマフラーをぐるぐるぐると何重にもノルンの首に巻き付けていく。
そして最後にきゅ、とマフラーを結び終えると同時にぐいっと勢いよくノルンに顔を近づけた。
その瞳は今まで小言を言われたどんな時よりも険しく、影がさしていた。
「…本っ当に……正気!?」
「…………」
思わず呼吸さえ苦しくなるほど首に巻かれたマフラーの中、小さく呻き声が漏れそうになるが何とかノルンはそれを我慢する。
「………どうして…レオが…此処に?」
「ちょっと…!今それ所じゃないから…!…もう…本当に馬鹿。兄さんよりも馬鹿。今何月だと思ってわけ?そんな薄着で雪の中にいるとか本当に死ぬから… !」
「はい。ですからレオの服を借りる訳にはいきません。レオが凍傷を起こしてしまいます」
「…………違う。そうじゃない!」
「…よくありません」
「……もう、うるさい。本当に反省して」
ノルンが言い返せば、レオは更にヒートアップをする。傍から見ればどう見ても返答を間違えているノルンだが、ノルンは今もマフラーを解こうとしてレオに勢いよく押さえつけられていた。
ノルンは口元にマフラーを押さえつけられて怪訝そうにレオを見つめる。
そんな時、二人の間に入ったのはどこか申し訳なさそうな表情を浮かべたフローリアだった。
「…ごめんなさいね、レオ。…ノルンは…その、私に貸してくれたのよ」
「………………師匠」
レオはノルンのマフラーを一層きつく結んだ後でフローリアを振り返る。
フローリアが羽織っていたコートを撫でれば、レオはそれを見て、ようやく眉間から力を抜いて、ゆっくりと呼吸を吐いた。
「………はぁ…。…分かりました。…これ以上はいいません」
「ええ。そうして頂戴。…良かったわ」
レオはため息を吐きつつ、肩をすくめ、フローリアはほっとしたように表情を緩めた。
そこでレオは未だ少し困惑した表情を浮かべてフローリアを見た。
「それよりも…どうして師匠とノルンはこんな所に…?」
その事についてはノルンも気になっていた所ではあった。
丁度シオンが去った瞬間にフローリアは現れた。
ノルンはフローリアの答えを聞くために視線をフローリアに向ける。
フローリアは小さく頷いて、それから帰路に歩き出したところで口を開いた。
「…そうね。突然家を出てきてしまったものね。レオはきっと私を探しに来てくれたのでしょう。ごめんなさい。心労を…かけさせてしまったかしら…」
「…いえ。俺は…ただ…師匠が居ないことに気づいて、勝手に出てきただけです」
「…ふふ。えぇ。ありがとう。…そうね。家を出た理由は…なんて…言えばいいかしら」
フローリアは雪の地面に視線を落とし、言葉を選ぶように声に出す。
「…何だか、嫌な気配を感じた気がしたの」
「…嫌な気配…」
「そう…胸騒ぎがして…気がついたら家を出ていたのだけれど…でも、結局何もなかったわ。私の勘違いだったのね」
「…そう、ですか」
「えぇ。…そうしたら丁度森の中にノルンが居たのよね」
「はい」
フローリアはほぼ笑みを浮かべてノルンを見つめる。
ノルンはフローリアの言葉に小さく頷いた。
レオは未だ怪訝な表情を浮かべていたが、とにかくフローリアが家を出た理由については納得したのかそれ以上質問を投げかけることはなかった。
「…まぁ…何もなかったなら…」
「そうね。ありがとう。次からはちゃんと貴方に言うようにするわ」
「…はい」
レオは師であるフローリアに対しては誰よりも従順である。それはフローリアを尊敬しているからこその対応である事は同じ師を持つノルンにとっても良く理解ができる。
恩人であり、恩師であるフローリア。
それはノルン、レオ、アランにとって揺るぎない事実だった。
ノルンが2人の会話を聴きながら視線を送れば、突如レオのエメラルドグリーンに輝く瞳と視線が交わる。
ノルンは真っ直ぐとその瞳を見つめ返してレオの言葉を待つ。
「…ちょっと。何きょとんとしてるの。ノルンもノルンだから。…こんな遅くに一人で森に入るとか危険だって分かるでしょ?そういえばブランはどこ?」
「ブランならアルと暖炉の前で寛いでいたので、断ってきました」
「…はぁ…?…寛いでたから、じゃないでしょ。普段離れずにいるくせに…。これからは絶対に一人で夜に森には入らないこと。あとブランか、アトラスでもアオイでも誰か連れてって」
「しかし」
「分かった?」
「…はい。承知しました」
ノルンはそれぞれの時間があるため無理強いは出来ない、と反論するつもりだったのだが、珍しく声を低くして、睨みをきかせるレオの圧には耐えられなかった。
ノルンが了承の意を示せばまだ不服そうで、言いたいことは山ほどありそうなレオだったが、どうにか口を閉ざしてくれた。
フローリアはと言えば、片腕をレオの腕に重ね、先導をしてもらいつつ、久しぶりに見た僅かな二人の日常をくすくすと微笑みながら見守っていた。




