255.迎え人
フローリアはぎこちない動作でゆっくりと膝を折ると、一部分だけ雪が溶け、土が露出した地面に膝をついた。
ストールから薄く皺の刻まれた手を覗かせると、その指先を星鈴蘭の花弁へと近づける。
フローリアの指先が、花弁に触れるかと思われた瞬間、フローリアはぴたりとその指先を止めた。
そこからフローリアの指先が星鈴蘭の花弁に触れる様子はない。
「……………」
フローリアは一言も発することはせず、まるで何かを考え込んでいるかのようだ。
「…師匠。どうかされましたか」
そんなフローリアの挙動に、ノルンは思わず声をかける。
しんとした森の中に透き通る声が余韻を残して響いた。
ノルンの声が耳に届いたところでフローリアはようやく現実世界に戻ってきたかのようにはっとしてそれからゆっくりとノルンを振り向いた。
フローリアの視界に少し心配げにフローリアを見つめるノルンの姿が見えると、フローリアは微かに見張っていた瞳を優しく和らげた。
「…いいえ。少しぼぅっとしてしまったみたい。なんでもないわ」
フローリアは優しく首を振って、それから柔らかな微笑みを浮かべ、そう告げる。
それからすぐフローリアが立ち上がろうとすれば、ノルンはすぐ様手を伸ばしてフローリアの身体を優しく支えた。
ノルンの手を借りつつ、立ち上がるとフローリアはノルンに礼を告げる。
ノルンが当然の事とと言わんばかりに無言で首を振ればフローリアは嬉しそうに笑みを深め、それからもう一度だけ、視線をゆっくりと星鈴蘭の花畑へと向けた。
冷えきった気温の中、星鈴蘭の花々はただ、静かに、音もなく、そこに咲いていた。
月光を受けて、それはきらきらと真珠の輝きの如く美しい光を放つ。
そんな星鈴蘭の花を、フローリアは一人、静かに何を言うでもなく、見つめていた。
その後、少ししてノルンはフローリアと共に来た道をもどり、帰路に着いた。
フローリアの負担にならぬよう、速度を落として。
かつ、フローリアが寒くないか、体調に変化はないかとフローリアの機微を伺いながら足を進めた。
ベルの墓前まで戻ってくると、二人揃って墓石の前に並び立つ。
ノルンは墓石の前に膝を着くと、墓石の上に積もった雪を軽く払い落とした。
指先の感覚が薄れていくほどに雪は冷たかったが、ノルンは一切表情を変えることはなく、雪をはらう。雪を払い終えると静かに腕の中で大切に抱えていた星鈴蘭の花束をベルの墓に供えた。
冷たい墓石の上に花束を手向けると、ノルンは静かに瞳を瞑り、それから指先を重ね合わせる。
フローリアはノルンが墓に手を合わせて、母であるベルと言葉を交わしている間、ただ静かに目の前の母と子を見守っていた。
長い間、ノルンは目を瞑っていた。
以前は頻繁に訪れていた母の墓。
しかし、旅に出てからというもの手を合わせるということも無くなり、ノルンには募りに募った言葉が溢れていた。
しばらくして金糸のまつ毛が震えた頃、ゆっくりと美しい宝石瞳は姿を現した。
ノルンは手をおろして、静かに無機質な母の名が刻まれた墓石を眺める。
しばらくの間、墓をあけていたというのに墓石の周りはそれほど汚れていない。
自分がいない間にも、誰かがやってきて手入れをしてくれていたのだろうか。
ノルンは墓石を眺めながらそんな事を思う。
そして、もしそれが事実だとすれば思い当たるのは。
ノルンがゆっくりと後ろを振り返りフローリアの顔を見た瞬間、それと同時に静寂を割く音が聞こえた。
「____師匠ッ」
その声にフローリアも少し驚いたように肩を震わせて、声がした背後を振り返る。
ノルンも雪をはらいつつ立ち上がると視線を向ける。
「……はぁ…っ…はぁ…。…は……ノルン…?」
そこに居た人物は肩を上下させて、荒くなった呼吸を整えることもなく、珍しくその顔に焦りを浮かべて小走りで駆け寄ってきた。
「…………レオ…?」
フローリアが驚いたように近づいてきた人物の名を呼ぶ。
そこに居たのはどれだけ走ってやってきたのか、頬に薄らと汗さえ浮かべているレオだった。
レオがノルンとフローリアの前にやってくると、フローリアとノルンも驚いている様子だったが、レオの方も今の状況に追いつけていないようだった。
まず、呼吸を整えようとしたレオはフローリア、それから次にノルンを見つめた後にぎょっとしたように目を見開く。
普段全く表情筋が動かないレオであるが、兄であるアランとノルンが関わる時だけはそれなりに表情筋が動くことがある。
大抵アランが関わっている時は、気恥しげに眉を寄せている。
そして、ノルンが関わる時には想像を超えてくる妹に激しく動揺をしている。
現に今もそうだ。
レオは呼吸を整えている途中で、ノルンの姿をその瞳におさめると一気に眉を寄せ、目を見開いて口を半開きにした。
「………………」
口は開いたまま言葉は出ない。
レオの視線だけがゆっくりとノルンの上半身から下半身へと移動する。
そしてフローリアへと。
フローリアは何かを察したようにあ、と言いたげに口元に手を当て少し眉を下げ、ノルンを見た。
ノルンはフローリアの反応の意味がわからず疑問符を浮かべる。
しかしノルンがフローリアを見つめていた一瞬の間があいた次の瞬間には、ノルンは素早くコートを着せられ首が締まっているのではないかと言うほど、勢いよく何重にもマフラーを巻かれていたのだった。




