252.夜に問う
その後シオンの言う通り、すぐにノルンの症状は治まり、次第にノルンも落ち着きを取り戻した。
「…落ち着いた?」
「…はい。ご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした」
小首を傾げて心配げにノルンを覗き込むシオン。
ノルンは小さく頷くと謝罪を述べた。
シオンから身体を離せば、シオンもゆっくりとノルンを支えていた腕を解き、立ち上がる。
「…いや。気にしなくていい」
シオンはそう呟いたが、その呟きはやはりどこか空虚だ。
シオンは立ち上がると自分の片手をぼんやりと見つめていた。
しばらく無言でいたシオンだが、視界の端に何かを見つけたのか、数歩歩くとある物を拾い上げ、それからそれをノルンに差し出した。
「ノルン。落としものだよ」
「…ありがとうございます。シオン様」
それはノルンが先程落としてしまった星鈴蘭の花束だった。
ノルンはシオンから花束を両手で受け取るともう一度しっかりと腕に抱いて、それから美しい花を見て安心したように息をつく。
無意識か___はたまた意図的か。
シオンはどこか心ここに在らずと言った様子で、ノルンの姿を見つめていた。
ノルンが視線に気づき、どうかしたのかと首を傾げれば曖昧に否定する。
ノルンがシオンの様子に何も言葉にすることができないまま、顔を逸らしたシオンの姿を見つめていればシオンは一歩、湖に向かって足を進める。
一歩。また一歩。
そして水辺の近くにある岩に近付くと、ノルンがシオンを初めて視界に入れた時と同じようにゆっくりとその上に腰を下ろした。
ノルンから見えるシオンの姿は横向きで、彼の上空では静かに月が世界を照らしている。
シルエットのように影になってしまったシオンの姿。フードの奥にあるその瞳が何を映しているのかはわからない。
「…ねぇ。ノルンはさ」
二人だけの空間にシオンが口を開く。
「はい」
ノルンは数歩、シオンの声が聞き取りやすい場所まで近づく。
シオンの顔は湖に向けられている。
もしかするとその先には、湖面に映った揺らぐ月が見えているのかもしれない。
その後少しの間が空いてシオンはもう一度口を開いた。
「…………………愛していた人を___失ったことはあるかい___?」
それは、思いもよらなかった問いだった。
ノルンの鼓動が一度大きく音を立てた。
ノルンはシオンの質問の意図を探るように、その姿を見続ける。
しかし、未だフードを被って影に隠されたシオンの表情は窺えない。
(………愛して………いた人……)
その言葉を聞いた瞬間、脳裏に過ぎったのは柔らかなダークブラウンの髪を持つ女性だった。
もう、大分時が経って___その姿も、悲しいことに時間が経つ事に朧気なものに変わってきてしまっている。
それでも、何度も夢で逢う、その人は、紛れもなく___
(………お母様)
かつてノルンの家族であった母親である女性で。
無意識に花束を抱える指先に力を込める。
ノルンが言葉を発せないでいると、シオンがゆっくりと顔をノルンの方へと向けた。
「………………」
そして、シオンはノルンの表情を見て、それからすっと視線をそらすとまつ毛を伏せた。
「……………ごめんね。ノルン」
「………………いえ」
その謝罪は、悲しい記憶を呼び起こさせたことに対してだろうか。
そうだとするのならば、シオンが謝ることでは無い。
ノルンが否定の言葉を告げれば、また少しの間二人の間に沈黙が落ちる。
微かな風が、ほんの少し湖面を揺らして月が凪ぐ。
「……ねぇノルン」
「はい」
ぽつりと呼ばれた自分の名前。
ノルンが頷けば、もう一度シオンの視線がゆっくりとノルンに向けられて、もう一度二人の視線は交わった。
月を背にするシオンの顔色ははっきりとはわからないけれど、それでも横から微かに差し込んだ月光が静かな夜に淡く内から光を灯すブルームーンを照らし出す。
シオンが口を開くのを視覚で捉えながら、音が届くのを待つ。
さぁぁ、と温度の低い風が頬を撫で髪を攫った。
「……………もし、死者を蘇生出来るとしたら………君なら_____ノルンなら、どうする_____?」
「………………………ぇ______?」
闇夜に浮かぶ月は揺らがない。
対して、問いを投げかけられた星々は大きく揺らめく。
(………………シオン様は……………今……………)
_____何て。
届いた音を、言葉を、脳が変換して、ノルンに伝える。
けれど、___けれど。
それでも理解に、時間がかかって。
困惑と、動揺と、それからほんの少しの恐怖が入り交じって。
「…………死者の……………蘇生………」
「うん」
ぽつり。ぽつりと伝えられた単語を復唱するように、同じ音を繰り返せば、シオンはまるで間違っていないかのように頷いて。
ノルンは息を呑む。
そして、それを見届けたシオンはもう一度繰り返す。
「愛する人を…取り戻せるとするのなら、ノルン。…君ならどうする」
呼吸をする事さえ憚られるような、真剣な、ブルームーンが、静かにノルンを貫いた。




