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norn.  作者: 羽衣あかり
“咎人と少女”
252/259

251.亀裂

 ノルンが静かに唇を閉じると、ゆっくりとシオンが振り返る。

 二人の間には少しの距離___。

 その距離が、今までシオンに悟らせなかったものを、月夜を通してその瞳に映し出す。


 ノルンの言葉に驚いたように、振り返った先。

 そこでシオンは何かを口にしようとして、それよりも先に視界に入った光景に思わず目を奪われる。


 ノルン、とそう口にしようとしたのだろうか。

 微かに彼の喉元から零れたような音がしたが、それはすぐに掻き消えて、その代わりフードの下に隠れていた瞳がゆっくりと、大きく見開かれる。

 ブルームーンを思わせる青白い、淡い光が瞳の奥底で揺らいでいた。


 シオンは、その瞳に、星の瞬きを見た。

 月明かりに照らされて深海のごとく深き闇夜の中を瞬く星々の輝きを___。

 柔らかな線を描いて背中まで落ちたホワイトブロンドは光に透けて。

 陶器のように真っ白な肌もまた月明かりを透かすように、青白く光る。

 まるで、この世のものではないと感じてもおかしくは無いほど、浮世離れした存在が、そこにはいた。


「……っ……____」


 シオンの瞳がぐらりと揺れる。

 唐突な衝撃を受けたように。

 そして、それは次の瞬間激しく歪む。

 眉を激しく寄せ合い、きつく結ばれた口元に、歪んだ瞳。


「………シオン様…?」


 ノルンは思わずシオンを案じるように声をかける。

 シオンからの返事はない。

 シオンは一歩、そして、また一歩と歩みをノルンに進める。

 酷く、苦しげな表情はそのままに、シオンは足を進める途中、薄く唇を開き何かを零す。


「___そう…か。…ノルン…………君は……_____」


 その先がノルンに到達することはなかった。

 そして丁度その時。

 シオンはノルンの間近へと、辿り着いた。

 ノルンはその距離の近さに、それから先程までとは明らかに様子の違うシオンに少しばかり、怪訝と戸惑いの入り交じった表情を浮かべる。


「…あの、シオン様…___」


 ノルンの揺れる瞳と、シオンの切なげに細められた視線が交わる。

 青い月は星を捉える。

 シオンは片手の手袋をゆっくりと外すと、そのまま細い指先をノルンの頬近くへと移動させる。


「……っ…__」


 今度は、ノルンが息を呑む番だった。

 脳が警鐘を鳴らしている。

 触れられてはいけない___。

 避けなければ____そう、思うのに、身体は動かない。

 薄く見開かれた瞳は目の前の男に釘付けで。


 長く感じられた一秒。

 遂にシオンの指先がノルンの真白い頬に触れたと思ったその瞬間。


 バチンッ、と電気が走るような音が鼓膜を震わせて、二人の肌に痺れを感じさせた。

 まるで、それは、その音の通り電流がはしりぬけたかのように。

 まるで___それは、少女の身体が、彼に触れられることを拒んだかのように。


「……っ…」


 ノルンは驚きで困惑の表情を浮かべる。

 そして、ノルンの目の前に立つシオンも、弾かれた指先に驚いたように瞳を見開いていた。


(……一体、何が…)


 状況を把握できていないノルンに対して、シオンはゆっくりと視線を、ノルンに触れようとしていた掌、そして指先に向ける。

 シオンの瞳が驚きの表情から、再び先程よりも一層苦しいものに変わる。

 そして、シオンは静かに指先の感覚を確かめるように拳を握る。


「……そうか…。……君は、今も……ずっと___」


 シオンが、何か呟いたような気がした。

 ノルンは疑問符を浮かべて、それから、


「…シオン様…」


 今、何と仰ったのですか___そう、口にしようとした時だった。

 ドクンッッ______。


「……っ…!?」


 突如今まで感じたことの無い程、鼓動が大きく音を立てた。

 ノルンの身体を一際大きな心臓の鼓動が振動となって指の先まで震わせる。

 突然の出来事にノルンは呼吸を止めて、目を見開く。


 ___一体、何が。


 しかし考える間も無くして次の瞬間、まるで、何か、心臓に、亀裂でも入ったかのような激しい痛みに襲われる。


 ぱさりとノルンの腕の中から先程摘んだばかりの星鈴蘭の花束が地面に落ちる。

 ノルンは空いた両手で思わず激しい痛みを繰り出す心臓部分を服の上から握るように抑え込む。

 呼吸がままならない。

 しかし、酸素を吸い込もうとすればする程、胸の痛みはまして、混乱に陥りそうになる。


 ノルンの喉元から声にならない呻き声が漏れる。

 視界が霞む。

 霞む視界の中で一瞬。

 ノルンの目の前に立つシオンが驚いたように目を見開いている姿が見えた気がした。

 心臓から体の細部に至るまで、毛細血管を通した全ての血管に痛みが伝播していくように連なって足元がおぼつく。

 立っていることさえままならない。


 ___痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。


 一呼吸するごとに、裂が深まっていくかのような、ガラス片が心臓に突き刺さっているかの如く痛む。


 ___助けて、誰か、たすけて、たすけて。


 俯いた視線の先に自身のブーツが映って、それからぼやける。

 足に上手く力が入らない。

 ノルンの身体が傾き崩れ落ちる、その時だった。

 倒れ込みそうなノルンを暖かな腕が抱き寄せた。

 そしてその人物はノルンの背中をゆっくりと宥めるように摩る。


「…大丈夫。ゆっくりと息を吸って。___大丈夫。僕を信じて。ノルン」

「………はぁっ…………はぁっ………っ……はぁ…」

「うん上手だ。…大丈夫。ゆっくり。痛くない。…痛くないよ。もう大丈夫」


 ノルンの頭を抱き抱えるように、頭部後方を大きな手に包まれる。

 視界が霞んでままならない中、ノルンはただ声の主を信じて、縋って、言われる通りに呼吸に意識を向ける。


「………シ…オン……さ………」

「…うん。大丈夫。ノルン、もうすぐ痛みは治まるよ」


 ノルンは声を出すこともできず、静かにシオンの肩口でゆっくりと頭を縦に振る。

 しかし。痛みは治まると、そう言ったシオンの声が、酷く、酷く、悲しげで、まるで何かを堪えるように、絞り出すように聞こえたのは気のせいか。

 鼓膜まで、痛みでおかしくなってしまっているのか。


 朦朧とした意識の中、ノルンに正しい情報を整理することなど出来るはずもなく、頭の片隅でそう思ったものの、意識は直ぐにそがれ、ノルンは静かに大きな瞳に幕を降ろしたのだった。



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