250.贖罪
月明かりを背後に映し出された男の姿。
上半身を覆うマントにはフードが付いていて、頭の先にはピンと空に向かって立ち上がる大きな耳が二つ。
肩から首元にかけて真っ白な毛並みのファーが巻かれている。
一際異質さを感じさせる真っ白な仮面には大きく笑みを浮かべる口に、大きな二つの目。
白目の部分が黒く塗りつぶされており、そこに描かれた小さな白い眼球。
ノルンの仮面に子供の落書きのような不気味さがあるとすれば、彼の仮面は正に無の恐怖。
ただ、背筋を凍りつかせるような恐怖がそこにはあった。
ノルンは振り向いた男の姿に一瞬目を見張って息を呑んだものの、後退する事はしなかった。
ただ、静かに彼の名を問うた。
男はシオンと名乗った。
マントの下から手袋をつけた指先でそっと仮面を外して素顔をノルンに見せた。
柔らかそうな真っ白な髪が彼の顔周りから見える。
月明かりの逆光になって彼の顔色はうまく窺えない。
それでも、優しげな声色と、優しく緩められた口角。
そして仮面の隙間から覗いた淡く光る優しげな瞳だけがノルンの視界に映った。
「…シオン…様」
「うん。………僕も…君の名前を聞いてもいいかな」
ノルンの身体はシオンの影に取り込まれたように光を閉ざす。
月を隠すようにノルンの目の前に立ったシオンにより光が遮断される。
今度はシオンがノルンの名を問えばノルンははっとして少し申し訳なさそうに頷いた。
「…申し訳ありません。シオン様の名前を聞いておきながら…。私はノルンと申します。シオン様」
ノルンが軽く視線を伏せて頭を下げればシオンは柔らかく笑う。
「気にしてないよ。ノルン…。そうか。綺麗な名前だね」
「ありがとうございます。シオン様も美しいお名前です」
「そうかな。ありがとう」
「いえ」
ノルンがシオンの名を褒めればシオンは嬉しそうに微笑んだ。
するとそこでシオンはノルンの腕の中の花束に気づいたようだった。
ノルンの腕に抱かれた星鈴蘭を見ると視線を止める。
「…それは、星鈴蘭の花?」
シオンの指先がノルンの腕の中を指す。
ノルンは静かに頷く。
「はい。先程ここで摘んだものです」
「………そう。そういえば僕がここに来た目的も聞かれていたね」
「はい。シオン様が差し支えなければで構いません」
ノルンが頷けばシオンはきょとんとした表情を浮かべて、それから可笑しそうに表情をゆるめた。
「…ふっ。変わった子だね。ノルン。勿論だよ」
シオンはそう言うと一歩後ろへノルンから距離をとるとくるりとノルンに背を向けて、星鈴蘭の花畑の方へ一歩一歩とゆっくり歩いていく。
ノルンはその場に立ったまま動くことはせず、シオンを見守る。
「…僕がここに来たのは…弔いを……する為なんだ」
「………弔い…」
「うん。僕は…昔、この地で大切な…友人を…失った。僕にとって…唯一無二の人だった」
ノルンは静かにシオンの言葉に耳を傾ける。
シオンの声色はその友人を思い出しているのか、どこか寂しげで切ないもののように聞こえた。
「…友人を失った時…僕は……自分の過ちに気づいて、後悔に取り殺されそうだった」
___それでも、僕は自分を殺すことができなかった。
シオンはそう静かに呟いた。
とても、空虚な呟きだ。
「……………」
「…気づけば、一年が過ぎ去って……無意識に…僕は、此処に来ていた。…どうしていいか分からなかったけど、ただ謝罪だけを繰り返した」
ノルンに向けられた背中は、ノルンより遥かに大きな男性のものであるに関わらず、どこか寂しげで小さく見える。
「…それから、ずっと。気づいたら毎年此処に来て…どうか僕を…こんな僕を許して欲しいと、願っている」
シオンはそこまで言うと静かに口を閉じた。
それから足元の星鈴蘭を揺らぐ瞳で静かに見つめていた。
背中を向けられたノルンからはシオンがどんな表情をしているのかは、全く検討がつかない。
俯いて足元の星鈴蘭に視線を送っているように見える、その瞳が何を映しているのか、全く検討がつかない。
シオンとその友人の間に何があったのかなんて、ノルンは知らない。
知り得ない。
ノルンは、ただ、この数分。
たった数分、言葉を交わしたシオンのことしか知らないのだ。
深く知る意味も、必要もない。
今、ここで、それは自分がすべきことでは無いと理解している。
だからこそ、安易に言葉をかけるべきでは無い。
無いと、ノルンもそう理解していた。
それなのに、気づけばノルンは小さく息を吸って薄い唇を開いていた。
「…私には..シオン様の苦しみや悲しみを全て理解することは出来ません。...どうしたって、きっと...分かり得ないのです」
しんとした静寂の中、シオンの耳に届いたその声はまるで雪解け水のように透き通っていて、それでいて、突き放しはしない優しさを持ち合わせていて。
シオンの顔がピクリと動いて、俯いていた顔が少しばかり上げられる。
ノルンはフードで窺うことの出来ないシオンの横顔を見つめ、言葉を重ねる。
「………それでもひとつ…分かることがあるとするならば..………シオン様がこうして、この地へ訪れること___その意味は、きっと…確かにあるのだということです」
言葉を連ねる間、一瞬たりとも少女の表情が変化することはなかった。
ただ真っ直ぐとシオンだけを揺らぐことなく見つめる瞳だけがそこにはあった。
優しく微笑んで諭すこともない。
赦すこともない。
ただ静かにノルンはそこに居て、背を向けるシオンに向かって言葉を重ねたのだった。




