244.__________“ありがとう”
少しの間暖炉の火にあたっていれば、冷えきった身体はすぐにじんわりと熱を持ち、足先から頭の先まであっという間に温かな温度に包まれた。
あと一分もたたない内にアトラスは寝落ちてしまうのではないかというその時。
レオがノルン達の元までやってくると食事の用意ができたと言ってダイニングへまで案内してくれた。
その言葉にノルンは立ち上がり、また半分うつらとしているアトラスをアオイが頑張って起こすと四人はキッチンの方へ向かった。
レオがダイニングへと続く扉を開き、それに続いてノルンもダイニングへ足を踏み入れる。
その瞬間思わずノルンは目を見張る。
綺麗にセッティングされたダイニングテーブルには、幾つもの手の込んだご馳走と美しい花が生けられた花瓶に、装飾用のリボン。
そして、
「誕生日おめでとう。ノルン」
口を揃えて伝えられた言葉。
ノルンは驚きで声が出せなかった。
これは、一体どういう事なのだろうか。
状況を飲み込めないノルンの表情にフローリアは一歩一歩とノルンに近づくとくすくすと笑い、優しげに細められた瞳でノルンを見つめると優しく微笑んだ。
「ふふ。お誕生日おめでとう。ノルン」
「…師匠、一体これは…」
フローリアの祝福の言葉にも反応できない程にノルンは戸惑っていた。
しかしフローリアはほぼ笑みを浮かべたまま優しくノルンの手を握る。
「…ふふ。だって今日は貴方の誕生日でしょう?皆でお祝いしたかったの。驚かせてごめんなさいね」
フローリアの言う通り、今日はノルンの生まれた日である事に間違いはない。
しかしあまりにも想定していなかった出来事に呆気にとられてしまう。
「お誕生日おめでとう。ノルンちゃん」
「だな。おめでとさん」
「おめでとう〜!ノルン〜!」
胸に飛び込んでくるポーラを受け止めながらノルンは目を見開く。
どうやらアオイやアトラス、ポーラ達に驚いている様子はなく、三人は知っていたらしい。
「………………」
ノルンは思わず戸惑った表情を浮かべたまま、口を噤む。
___何と、言えばいいのか。
___このような時どう、返せば。
礼を伝えるべきだとわかっているのに、戸惑いで言葉が出てこない。
するとそんなノルンの手を引いて優しく微笑んだアランがノルンを席に座らせる。
座らせられたテーブルの上を見てまたしてもノルンは唇を結ぶ。
目の前にはオーブンで焼き上げられた丸鶏のローストチキンに生ハムとチーズのグリーンサラダ。
色とりどりのフルーツにポテトパイ。
どれもフローリアの手料理だ。
「ノルン!師匠が作ってくれたんだ。さぁ温かいうちに頂こう」
「そうね。せっかく作りたてなんだもの。温かいうちに食べて欲しいわ」
二人の言葉にそれぞれが席に着く。
そして、皆が席に着くと改めてもう一度皆の視線がノルンに向けられた。
ノルンは珍しく困惑している様子で、視線を揺らす。
「それじゃあ改めて。ノルン、16歳の誕生日おめでとう」
アランがそう言うと同時に、手にしていたグラスを軽く掲げる。
そして、「乾杯!」と告げると皆、ほぼ笑みを浮かべてノルンに向けてグラスを掲げた。
ノルンは困惑しながらも自分の手元にあったグラスを掴むと小さく倣うようにして上に掲げた。
その瞬間皆は微笑みあって乾杯、と声をあげるとグラスに口をつけた。
そこからはフローリアお手製の料理に全員舌づつみを打った。
ほくほくのポテトパイをポーラは口にした瞬間頬張りすぎて火傷をおいしばらく涙目になったものの、その後あまりの美味しさに感動していた。
アトラスはローストチキンが気に入ったようで満足そうに舌をぺろりとさせては再び切り取って皿によそっていた。
「ノルン。ほら、こったはビーフシチューだ。好きだっただろう?」
ノルンは皆が食事にありついている際にも一人呆然としてしまっていた。
あまりに自分が見ている景色が眩しくて。
現実味がなくて。
そんなノルンにアランはビーフシチューの入った器をノルンに差し出し、それからもっと食べないと元気が出ないぞ?、と言いながらローストチキンとサラダをノルンの皿によそる。
「……………はい」
未だ心ここに在らずと言った具合だが、アランに小さく返事をする。
そして一口、小さく切り分けられたローストチキンを口に入れる。
じゅわりと溢れる豊かな肉汁に香ばしいパリッとして皮とすっと鼻に抜けるハーブの香り。
もぐもぐと小さく粗食を繰り返しながらノルンはこくんと嚥下をすると、そっとフォークとナイフを握ったまま俯く。
「……ノルンちゃん?」
思わず隣に座っていたアオイが心配そうな顔を浮かべてノルンをのぞき込む。
俯いたその表情には前髪がかかっていてアオイからはよく見えない。
アオイの言葉にフローリアやレオ達も気づいたように会話をやめ、心配そうにノルンを見つめる。
それぞれに声をかけられる中で、ノルンは思わず首にかけられた指輪のネックレスを服の上からぎゅっと握る。
___胸が、苦しい。
まるで心臓をきゅっと握られているような心地になる。言葉にならない感情にどうしたら良いかわからない。
心配そうにノルンの名を呼ぶ声を聞きながらノルンは一層強く指輪を握りしめると唇を結ぶ。
今までにも、フォーリオへやってきた翌年から毎年フローリア達はノルンの誕生日をこうして祝ってくれていた。
しかし、ノルンには祝われる意味が理解できなかった。
街の人々から邪険に扱われる邪魔な子どもをどうして祝福してくれるのか、わからなかった。
むしろ、自分の誕生日など忘れたかった。
嫌な記憶まで蘇ってしまうから。
悲しい事しか、思い出すことができないから。
しかしノルンが祝われることを拒否しても、フローリア、アラン、レオはこの日を必ず祝福してくれた。
そして決まって、貴方に会えて嬉しい___と、生まれてきてくれてありがとう___と、ノルンに伝えてくれていた。
それをノルンはずっと自分に対する同情心であると受け取っていた。
幼い頃に突然母親を失い、知らない地で生きていくことになった子どもに。
しかし、きっと___
(…きっと、それは、違くて)
胸が一層苦しくなってノルンは眉を顰める。
少し、旅をしてたくさんの景色を見た。
たくさんの、人を見た。
自分の、感情を知った。
フローリア、アラン、レオの事を家族だと、そう呼びたいと感じてしまった。
今なら、理解できる。
きっと、これは紛れもなく、嬉しいという感情で。
(…私、は…今を…嬉しい、と感じていて)
___だから、きっと何時だって師匠達の言葉にも嘘はひとつも無くて。
「___…ノルン?」
フローリアの不安げな声が聞こえ、ノルンはそっと顔をあげる。
その表情を見た瞬間目の前に座っていたフローリアは目を見開いた。
少女は微笑んでいた。
眉を下げて、どこか泣きそうな表情で、淡く頬を染めて。
星が瞬く瞳は普段より一層、輝いて。
少女は薄い唇をゆっくりと開く。
「…師匠。…アラン。レオ。アル。アオイさん。ポーラ…」
少女はほんの少し眉を寄せると僅かにあがった口角はそのままに続ける。
「…ありがとう、ございます。…うれ…しいです。…とても、嬉しいです」
少女の口から漏れた感謝の言葉はどこか歪でぎこちない不安定さがあった。
しかし、少女の全てが、その言葉に嘘はないと証明していて。
目の前に座っていたフローリアは思わず瞳をゆっくりと見開くとその瞳に薄い膜をはったのだった。




