242.蒼蝶
淡く、幻想的に青白い柔らかな光を放つフォーリオの街を目下にアオイとポーラ、アトラスはその光景に魅入られていた。
そんな3人の様子を見つめたあと、ノルンは一人静かにコートのポケットに手を入れ、あるものを取り出した。
そこでアオイがノルンに気づいたように微笑んだままノルンの手元をのぞき込む。
「ノルンちゃん。それはなあに?」
「…これは蒼蝶です」
ノルンの手元に乗っていたのはノルンが言った通り、蝶の形を型どった薄い紙型だった。
「…蒼蝶…それって確か、お祭りの日に願い事を吹き込む、っていう…?」
「はい。家を出る前に師匠が持たせてくださいました」
「なになに〜?ちょうちょ〜?」
「はい。ポーラの分もあります」
アオイの言葉に頷きながらノルンは手元に乗った蝶の紙型をアオイ、ポーラ、アトラスに手渡す。
「お、これ去年もやったな」
「わぁぁ〜!きれい〜!ねぇね、アトラスは何のおねがい事をしたの?」
「ん〜?そうだなぁ。…おっと、そういえば願い事は口にすると叶わなくなるんだったな。悪いが秘密だポーラ」
アトラスは蝶の紙を受け取ると空にかざしてそれから月の光を透かした。
蝶の紙は極めて薄く、それでいて光に透かすと美しい繊維が模様のように見える。
蝶をもらったポーラが嬉しそうにアトラスに願い事を聞けばアトラスは少しわざとらしくそう言って悪戯っ子のように瞳を細めて見せた。
そんな2人のやり取りを見守ったあとでノルンはフォーリオの街を見下ろす。
「…恐らくもうすぐ時間になるはずです」
「時間?」
「はい。フォーリオの街には大きな鐘塔があります」
「あ、あったね。すごく立派な鐘がついてた」
思い出したように言うアオイにノルンは頷く。
「時間になり次第、鐘が響きます。その音を合図に、蒼蝶に願いを吹き込むんです」
「吹き込む…?ノルン〜どうやっておねがいするの?」
「蝶の型紙を手にした状態でポーラが頭の中で自分の願い事をお願いすれば大丈夫です。そして、願い事が終わったら、その蝶にそっと息をふきかけてください」
「息を?」
「はい」
ノルンがアオイの言葉に優しく頷けばアオイは少し不思議そうな表情をしたが、素直にノルンの言葉にわかったと笑って頷いた。
そしてそれと同時に、高らかな音が辺り一帯に響き渡る。
カラーン、カラーン、と何度も繰り返されるその音はノルンの言った通り、フォーリオの鐘塔から鳴らされているようだった。
「お。鳴ったな」
「もうおねがいしていいの?」
「はい」
ポーラの言葉に頷き、それぞれが瞳を閉じて手元の紙型に願いを送り込んでいる様子を見たあと、ノルンは自身の手元に残った一枚の型紙を見つめる。
自分の手のひらに乗せられた一枚の蝶。
ノルンはそこで何を思ったのか、一瞬口を小さく開く。そして、それから静かに瞳を閉じた。
願いを願い終わりゆっくりと瞳を開ける。
ノルンが目を開いて数秒後にそれぞれが閉じていた瞳を開いた。
「えっと…これで息を吹きかけるんだっけ」
「はい」
アオイがそういえばノルンは静かに頷く。
そしてどう息をふきかければいいのかわからない様子のアオイとポーラを前にノルンはすぅ、と息を吸い込むと吸い込んだ息を細く吐き出す。
ふぅー、とノルンの唇から囁かれた吐息が蝶に触れる。
するとその瞬間蝶は柔らかな羽を震わせる。
「…え…」
目を丸くするアオイとポーラ。
ノルンはほぼ笑みを浮かべそっと蝶を空へ掲げる。
その瞬間蝶はまるで生命を吹き込まれたかのように内側から淡く青白い光を発光させ、透き通る羽をはためかせた。
ノルンの手の上ではためく蝶は一周、ノルン達の周りを旋回するように上空でくるりと回ったあときらきらと光る金粉を振りまきながら空へと高く登っていく。
アオイとポーラは呆気にとられているようだった。
驚く2人を横にアトラスも優しく蝶に向かって息を吹きかける。
そしてアトラスの蝶もまたぴくりと動き始める。
その様子を見てアオイとポーラははっとすると自分たちの手の中にいる蝶を見つめ、それからゆっくりと同じように息をふきかけた。
するとアオイとポーラの蝶も同じようにゆっくりと羽を震わせて空へと舞う。
ノルンの蝶を追いかけるようにして、3人の蝶が夜空へと向かって羽ばたいていく。
その様子をアオイはただひたすらに見つめ続ける。
蝶から落ちてくる鱗粉はまるで魔法の粉のようで、まるで夢の世界の様だった。
「…ぁっ…わぁ」
足元から聞こえてきた少し驚くような声と、それから感嘆するような声。
アオイとノルンはポーラの声につられるようにしてポーラの視線の先を追う。
するとその瞬間アオイは更に大きな瞳を見開いた。
ポーラが見ていたのは目下に広がるフォーリオの街。
そしてその街からゆっくりと浮かび上がってくる何か。
それはきらきらと美しく輝いて空に浮かぶ数多の輝きと遜色のないほど。
「………っ……」
それは何百、何千もの美しい蝶の羽ばたきだった。
ノルン達の蝶を先頭にして、数え切れないほどの蝶が夜空へ旅立っていく。
ふとアオイは何気なくちらりと顔を横に向け、ノルンの表情を伺う。
そしてまた薄く目を見開く。
ノルンは薄く微笑んでいた。
夜空に羽ばたいていく蝶を見ては柔らかな笑みを浮かべていた。
夜、だからだろうか。
夜空を静かに見上げるノルンの表情は普段より一層際立って美しく、そして儚く見えた。
それは触れてしまえば消えてしまいそうなほどに。
美しい宝石瞳の奥底できらきらとまるで星同士がぶつかり合っているように反射して輝く。
それからしばらくして蝶が見えなくなるまでノルンはずっと何を言うでもなく、蝶の羽ばたきを見つめていたのだった。




