232.恐怖の再来
フローリアが告げた言葉にアオイは絶句した表情を浮かべ、瞳を大きく見開いた。
そして、それはノルンも同様に。
「…え…っ………」
「…………………」
アランとレオは表情を険しくする。
アトラスもまた眉を寄せ、口を固く結ぶ。
ノルンは口を開くことができないまま、停止した思考を何とか動かそうとする。
(…もし、本当に、ゲイル様が指す“ノクス”が…)
“闇の眷属”であった場合。
「…ゲイルと名乗った男が助けにやって来たマレウスも彼の仲間であるとするならば…」
アランが一際低い声で語る。
「…あいつはノルンを狙って襲ってきた。それも、ノルンが魔法使いだと言うことを知ってだ」
レオがアランの言葉を引き継ぐ。
つまり___彼らが危惧していることは。
その先の言葉は誰もが口にしたくないと言うように口をつぐんで発せられることはなかった。
フローリアも、レオも、アランも、考えていることは同じはずなのに誰一人としてそれ以上口を開こうとはしない。
「…つまり、闇の眷属は未だ存在していて…彼らは魔法使いを再び探し出そうとしているのかもしれない、という事ですね」
沈黙を破ったのは雪解け水のように透き通った美しい声だった。
フローリア、レオ、アランはゆっくりと顔を上げて声を発した人物___ノルンを見る。
そこに居たのは、狼狽えることなどなく、怯える様子もなく、既に状況を理解し、揺るぎない瞳で凛と佇む少女だった。
「…あぁ」
アランが苦し紛れに低く頷く。
ノルンは真っ直ぐな瞳でフローリア達を見つめていた。
その瞳を正面から受けて思わずフローリアは困惑した。
その瞳には一切の脅えも映ってはいなくて。
ただ純粋に美しい深い夜空のような宝石がそこにはあって。
「…ノルン」
どうして、とフローリアが声に出さずとも問いかけている気がした。
どうして、恐くはないのか、と。
ノルンの母親はヘレナの大戦で息を引き取った。
ノルンにとっても“夜哭”は___“闇の眷属”は切っても切ることができぬ因縁の相手のはず。
そんな彼らが再び動き出し、今度は自分の命さえ狙ってくるかもしれない。
それでも、ノルンは___彼女は、ただ彼女のままだった。
全てを飲み込み、恐るるべき状況さえも、受け止めた。
母親を奪うだけでは飽き足らず、今度は自分自身が脅かされるかもしれないというのに。
そうだと、いうのに___。
「…状況は理解致しました。ここから先は一層注意を払って、先へ___進もうと思います」
彼女は前へ、進もうとした。
フローリアの瞳にきらりと光が反射した。
バンッと勢いよく机を叩き、アランが立ち上がる。
「何を言うんだノルン…っ…!!ノルンは既に、目をつけられてしまった…!…そして、あの男達を逃してしまった以上、君に魔の手が降りかかることは避けられないんだぞ…!?」
「アラン。しかし、魔法使いを求めることが…ノクス全体の意思なのか…マレウス様お一人の意思なのか…それは現時点では定かではありません」
激しく捲し立てるアランにノルンは冷静に返す。
確かにノルンの言うことにも一理ある。
それでも、常に最悪の場合を想定しなければならないと、アランはそうノルンに言って聞かせた。
騎士らしい、隊長を担うものとして最もな発言だった。
静かにアランとノルンが見つめ合う。
力強いアランの瞳には動揺、それから恐怖が揺らいで見えた。
「……………」
ノルンはその瞳から視線を逸らすことはせず、真っ向から受け止めた上で小さな口を再び開いた。
「…生きて、いたのです」
ぽつりとノルンの口から零れた言葉。
その言葉にアランは思わずノルンが何を言いたいのかが分からず、険しい表情のままぴくりと眉を動かす。
フローリアとレオもまた小さく小首を傾げた。
ノルンは膝の上に重ねられた両の手にぎゅっと力を込める。そして、一度瞼を伏せて…脳裏にアオイの父であるグレイを思い返した。
ゆっくりとノルンが顔をあげる。
その表情に思わずフローリア、レオ、アランは動きを止め、呼吸を止めて目を見張った。
「___父が…………おとう…さまが…生きて、…生きていらっしゃると伺ったのです」
ノルンは眉を微かに寄せて、それから美しい宝石の瞳に水の膜を張って、必死に唇を食んで言葉を零した。
頬は薄く淡く染まり、その表情はまるで今にも泣き出してしまいそうなのを堪える幼い子どもだ。
「…ノルン…まさか、本当に……………?」
フローリアは動揺した表情で信じられないというようにノルンに問う。
その言葉にノルンはこくんと小さく頷いてみせる。
これにはさすがに驚いたと言うようにレオとアランも動揺の表情を浮かべている。
そんな中、ノルンの旅に同行してくれていた仲間であるアトラス、アオイ、ポーラは優しく微笑んで静かにノルンを見守っているようだった。
___もう、立ち止まることなど出来ない。
貴方が生きてくれていると知ったから。
貴方がまだ同じ世界で息をしてくれていると知ったから。
まだ自分は全てを失ったわけではないとわかったから。
だから、もう、私は___。
「…危険が伴うと理解していても、止まることはできません。___アラン。私、お父様に逢いたいのです」
___貴方が私を覚えていなくても。
例え、そうであっても。
この瞳で見るまでは。
「…何があっても死にません。漸く…ようやく」
___死ねない理由が出来ました。
ある日、父と母、ブランを___全てを失い、感情も、意思も全てを失った少女。
世界に絶望し、全てを遮断したただ息をするだけの人形の様であった少女。
そんな少女が今、確かに、断言した。
その瞳は出会った時とはまるで違い、深い深い海の奥底ではきらきらと星が瞬いて、はっきりとそこに意志を宿していて___。
そんな少女に、一人。
フローリアは思わずぽろりと一粒の雫をその瞳から零したのだった。




