228.不甲斐ない
ぱちぱちと暖炉の火花が爆ぜる。
机の上に組んだごつごつとした傷だらけの両手。
その手を呆然と見つながらアランは起こった出来事の全容をノルン達に話してくれた。
その間、途中で表情を歪めるものもいたが、誰一人、途中で声を上げるものはいなかった。
「___本当に、すまない。ノルンを襲った…あの凶暴な男を…俺は再び解き放ってしまった」
アランが両手を固く握りしめる。
絞り出された声は掠れていて、アランが自分のことを責めているのだということが、人の感情に疎いノルンでさえも理解できた。
「…騎士として…隊長として、これ程までに不甲斐ない事は無い」
今まで彼が…アランが、弱音を吐くことなど見てきたことは無い。
俯いている姿など見たことは無い。
何時だってアランは、真っ直ぐ、ただひたすらに、実直に前を向いて歩いていた。
落ち込む人間がいれば、即座に膝を着いて励まし、再び歩めるように手を貸していた。
そんなアランが、今、酷く自分を責めていた。
「……………」
「…アラン」
フローリアが静かにアランの名を呼ぶが、アランが俯かせた顔を上げることは無い。
ノルンは静かに、美しい瞳でアランを見つめ続けた。肩を震わせて、自身に憤り、悔しさに固く口を結ぶ___兄を。
そして気づけば静かに薄い唇を開いていた。
静寂に、透き通るような声がすべって、優しく静寂を裂く。
「___私は、今の話を聞いて更に…ただ、アランが無事でいてくれた事に………安堵、しています」
席につくみなの視線がノルンに注がれる。
アランがゆっくりと顔を上げる。
普段は揺らぐことの無いエメラルドは、今はゆらゆらと不安げに揺れていて。
ノルンはただ、その瞳をいつもアランがそうしてくれるように、正面から真っ直ぐと捉えて、ただ、自身の心の内を言葉にして渡す。
___安堵、という言葉の使い方はここで合っているだろうか。
今、自分が胸に感じているこの気持ちは、安堵と呼んで相違ない気持ちなのだろうか。
辿たどしい言葉で、それでも、少女は瞳を逸らすことなく、伝える。
伝えようとする。
___伝わって、ほしいと、そう、願う。
「…アランが…無事で…本当に、良かった」
それだけが、ノルンの本心だった。
その瞬間、アランの透き通るエメラルドの瞳がきらりと光を放って、ゆっくりと見開かれる。
漸く、ビー玉の様な綺麗な緑が深い蒼と交わる。
大きく見開かれたその瞳に映っていたのは、瞳に柔らかな弧を描き、ほんの僅かに口角を上げる自分の姿だった。
___少女はただ、家族の無事を祈った。
___街の人々の無事を願った。
自分がこの街に滞在する事で、再び自分には関係の無い人々に被害をもたらす事を恐れた。
それ故に、旅立った。
それを、家族であるフローリア達も了承した。
心優しい少女の考えていることなど、手に取るように、分かっていたから。
幼い頃から彼女の決断の軸は誰かのためであると痛いほど理解していたから。
そして、今度のその決断は自分たちのためであると、気づいていたから。
それでも再び、とある巡り合わせによって、少女は自身が育った街、フォーリオに危機が訪れると知った。
もう、目的を達成するまでは訪れることはないだろうと思っていた。
そうする、つもりだった。
___しかし、出来なかった。
気づけば、フローリア、アラン、レオを思い浮かべて、無事を祈って、雪山を歩いていた。
そして、今、どれだけ無事を祈ったか分からない、三人がこうしてノルンの目の前に変わらずいた。
___それだけで、良かった。
それだけを、望んだ。
「…ノルン」
「はい」
噛み締めるように呟かれた名前。
ノルンは普段と変わらず返事をする。
そうすれば、アランは静かに眉を下げ、瞳を細め微笑んだ。
「…ありがとう」
「…はい」
何かを含みをもたせるように優しく、囁かれた言葉。
その言葉の真意はノルンには到底分からないけれど、せめて、せめて、自分の心の内の一欠片でも、伝わっていればいいと願った。
それは、アランだけでなく、フローリア、レオを含めて。
こんな自分を心から想ってくれる優しい人たちに、たった一欠片でも、感謝が、そして、私は貴方達の無事がこれ程までに嬉しいのだと、伝わって欲しかった。
「…そうだな。ノルンの言う通り。とにかくお前が無事で何よりだ」
「…アトラス」
「…本当に皆さんが無事で良かったです」
アトラスの言葉に隣でアオイも静かに首を盾に振る。
「…えぇ。本当に。アランから夜中に手紙が届いた時は驚いたわ…」
「手紙?」
「あぁ。夜中に兄さんから、急ぎ兵士たちの治療を頼みたいってね」
首を傾げるアトラスにレオが完結に答える。
「兵士の方々はお怪我を…?」
「…あぁ。数人の兵士が重症を負った。しかし、殆どは近くに転がされていた魔道具によって眠らされていた様だ」
「…なるほどな。それで兵士の援護がなかったのか」
「あぁ。重症の兵士だけ、師匠に頼んで手当を頼んだ」
「…なるほど。それで先程も師匠は…」
「えぇ。傷を負った兵士の方の様子を見に行っていたの。もう殆どの方は回復されていたわ。ふふ、さすが騎士団の方々ね」
そこまでいって、フローリアは突如はっとして、それよりも、とノルンに振り返る。
「…アランから聞いたわ。ノルン、貴方こそ大丈夫なの…?怪我は無い?貴方も…戦ったのでしょう…?」
フローリアは不安げにノルンに問う。
そんなフローリアを安心させるようにノルンはこくりと頷いてみせる。
「はい。私は問題ありません。アル達が守ってくれました。それにゲイル様も途中で…戦闘どころでは無くなりましたので…」
「それは…一体どういう事…?ノルン」
「…そういえば、あの男はノルンに借りがあると言っていた…。何かあったのか?」
フローリアとアランはノルンの含みを持たせるような言葉に心配そうに首を傾げる。
そこでノルンはゲイルが借りと言っていることに関して心当たりのある出来事をフローリア、アラン、レオに向かって説明をするのだった。
「___実は………」
思い当たることがあるとするなら、それは彼の弟であるマルトの治療以外思い浮かばなかった。




