213.葛藤と肯定
ゲイルは腕の中の男の子の事をマルと呼んでいた。
その子供はまだ小さく見た目5、6歳程の男の子だ。
「…ゲイル様、そちらの方は…」
ノルンがゲイルの前に膝をつき、質問をすればゲイルはぐらぐらと揺らぐ瞳で不安げにノルンを見た。
「…弟、なんだ。俺の…昔から身体が弱くて…」
ゲイルの声は震えている。
「…お名前はなんと仰るのですか」
「…マル…マルト、マルトだ」
ゲイルはそういうと、再びマル、マルと悲痛な声で男の子に呼びかけた。
ノルンはマルトの様子を観察しながら普段この様な状態になる事はあるのか、と聞いた。
「…っあぁ、たまに、たまに、なるんだ」
「その時はどのように対処をされるのですか」
「…ただ背中をさすってやるだけだ…」
「それでマルト様の状態は改善するのですか?」
「…なる時もあれば、ずっと苦しそうにしてる時もある…」
そうですか、とノルンは相槌をうつと、血の気のない顔色で咳を繰り返すマルトに視線を移した。
原因が分からない以上、根本的な解決をするような治療薬を服用させることは出来ない。
あくまで、今、ノルンに出来ることがあるとすれば対処療法。
咳を緩和させる薬を飲ませて、温めて様子を見ることくらいだ。
しかし___。
(…わたしは、アオイ様に傷を負わせた彼の家族に治療を……?)
迷っている場合では無い。
マルトの様子を見ればすぐにでも薬を飲ませて身体を楽にさせてあげたい。
しかし、ノルンの脳裏にアオイが意識を失って倒れ込む様子が蘇る。
「……っ…」
もし治療をしたとして、ゲイルが再び攻撃を仕掛けてきて、今度はアオイだけでなく、アトラスやブラン、ポーラまで傷を負わされてしまったとしたら__?
ノルンは胸が締め付けられるような葛藤に判断を下せない。
「マルっ…マルッ……!」
ゲイルの声にノルンがぐっと眉を寄せる。
「…おいおい、どうなってんだ」
その時、ノルンの背後から困惑したようなアトラスの声が聞こえてノルンははっとして後ろを振り向く。
そこにはおぼつかない足取りでノルンの元へやってくるアオイと、それを支えるアトラスがいた。
「アオイさん、お怪我は…」
「…っ…少し痛むけど大丈夫。ごめんね、心配をかけて」
「…いえ、いえ」
ノルンが思わず膝立ちになってアオイに尋ねればアオイは殴られた腹部が痛むのか、腕で抑えながらもノルンを安心させるように優しく微笑んで見せた。
その表情に、本当は傷が痛むはずなのに、ということを理解していてもアオイの透き通る瞳が開いていることに安堵してしまう。
「…それで、ノルンちゃん。一体…この状況は__」
アオイが蹲るようにして幼い男の子を抱えて悲痛な叫び声をあげるゲイルに困惑したように説明を求める。
ノルンは苦し気な表情で小さく頷くと先程ゲイルから聞いたことをそのままアトラスとアオイに伝えた。
ゲイルの腕にだかれている子供はゲイルの弟であり、マルトという名前であること。
マルトは幼い頃から身体が弱く、現在も咳き込んで吐血し、倒れてしまったのだということ。
「そんな…ノルンちゃん、治してあげる事は…できるの?」
アオイはマルトを一度見てから切なげにノルンに聞く。そこでノルンは小さく、しかし気まずそうに頷いた。
「…はい。今よりも症状を抑えることなら…」
ノルンは視線を逸らして、美しい瞳にはまつ毛の影がさした。
アオイはどう思うだろうか。
ノルンが治療をしてあげたいと告げれば悲しむだろうか。
ノルンは無意識にぎゅっと片方の手でもう片方の手首を握った。
アオイは何も言わない。
ただ先程のアトラスの様に静かにノルンを見つめていた。
「…ノルンちゃん」
優しくいつもの様にアオイがノルンの名前を呼ぶ。
ノルンは恐る恐る視線を上にあげる。
そこで瞳に写ったアオイの表情にノルンは薄く唇を開く。
「ノルンちゃん。ノルンちゃんはマルト君を治療してあげたいんだよね」
「…っ…」
アオイは眉を下げ、透き通るアクアマリンの瞳に柔らかな弧を描き、それは__優しく微笑んでいた。
「…いいんだよ。ノルンちゃん。君の優しさに…嘘なんてつかなくていいんだ」
ノルンはその言葉に薄く目を見開く。
目の奥がじんわりと熱を持った気がした。
「…っ…しかし、それでアオイさん達に…何か…あれば…」
ノルンの声もまた小さく震える。
しかしアオイはやんわりと否定するように首を左右に振った。
「ううん。ノルンちゃん。さっきは僕の油断で…情けないことになっちゃったけど…もしそうなったとしても、次はきっと僕が皆を守るから__。だから、大丈夫だよ」
アオイは申し訳なさげに眉を下げたあとで、優しくノルンを肯定するように微笑んだ。
その暖かな優しさにノルンは言葉が出てこなかった。
アトラスも、アオイも、ポーラも、ブランも、誰一人何時だってノルンを責めることは無い。
ただ、好きなようにしていいのだと___何かあっても自分たちが守るから、と。
何時だって優しくノルンの背中を押す。
「それに…僕たちが戦っていたのは彼であって…マルトくんじゃないしね。だから、マルト君を助けてあげて、ノルンちゃん」
アオイの言葉が優しくノルンに溶け込んでいく。
ノルンは鼻の奥がつんとするのを必死に堪えて、それから静かに頷いた。
「___はい」
ノルンが静かにそう返事をすればアオイは嬉しそうに顔を綻ばせてみせたのだった。




