212.意志と尊重
ノルンは迷いつつも、アトラスに一度ポーラの言う男の子の元へ様子を見に行かせて欲しいと頼み込んだ。
ノルン自身それが最善の決断であるとは思っていない。
むしろ今起きた出来事を考えるのならば、今すぐにこの機会に身を隠した方が良い。
しかしそう思えば思うほどノルンの心はいたたまれない葛藤に苛まれた。
「………………」
「…ノルン〜…」
ノルンの服を大粒の涙で濡らしながら、ノルンを見上げるポーラとは対照的にアトラスは口を噤んで静かにノルンを見つめていた。
アトラスの何時だって真っ直ぐな黄金の瞳がノルンを見定めている様で。
ノルンは少し臆してしまいそうになりながらも、固く口を結んで揺るがない宝石目でアトラスと視線を合わせた。
仲間の安全を鑑みない行動にアトラスは怒るだろうか。呆れるだろうか。愛想をつかされてしまうだろうか。
視線を合わせる僅かな時間が、音もなく静かで、呼吸さえ憚られるようで苦しくて。
そんな事ばかりが頭に浮かんだ。
アトラスはノルンにとって初めて家族以外で深く関わろうとしてくれた存在だった。
アトラスが再びノルンに会いに訪れてくれた日。
言葉にならないほど胸がいっぱいで、溢れ出しそうな何かが苦しかった。
___アルに見捨てられるのは怖い。
それはノルンにとって何よりも苦しい事だ。
しかし心の奥底で怯えを抱えるノルンに、アトラスはほんの数秒の後、ふっと息を吐き出してその口元を優しく上にあげた。
そして、
「…わかったよ」
と優しげな声でそう告げたのだった。
思わずノルンはその言葉に驚く。
「…いいのですか…?」
「ん?おう。ノルンがそうしたいんだろ?」
「…はい」
恐る恐るノルンが確認をするように問えばアトラスは首を傾げて、それからいつも通りの眩しい笑みを浮かべた。
「おう!それならノルンのしたいようにすればいい。何かあった時は俺が守ってやる」
「…アル」
アトラスはにかっと笑うと力強くそう告げた。
その言葉にノルンはぐっと喉の奥で何かがせり上がってくるのを堪えた。
(…私の判断で…危険に晒されてしまうかもしれないというのに…)
アトラスはノルンに一切の責任を押し付ける訳でもなく、不安を煽らせる訳でもなく眩しく笑って見せた。
その姿が、頼もしくて、何よりも__あたたかくて。
ノルンは伝えきれないまでも、せめてと丁寧にアトラスに頭を下げた。
「…ありがとうございます。アル」
「!?おいおい!頭なんて下げなくていい…!」
それに対してアトラスはぎょっとして、焦ったようにすぐさまノルンの顔をあげさせていた。
アトラスの許可を得たところで、ポーラが言っていた男の子の元へ向かわかなければ。
けれど、その前に___。
ノルンは後ろを振り返ると木にもたれかかって倒れ込むアオイに視線を向けた。
「…男の子の前に行く前にアオイさんを…」
治療しなくては、そう続けて言葉にしようとした時だった。
「あ"あ"あ"あぁぁぁぁ………!!!!」
「…!?」
森の奥から悲鳴にも似たような叫び声が聞こえてきた。それは先程のゲイルのもので、ノルンは肩を揺らすと声の聞こえた方向を振り返り、眉を寄せた。
「ノルン、アオイの方は俺に任せておけ。それより先にお前は早く向こうに行ってやれ」
「…!…はい」
アトラスは素早く状況判断をしてノルンに指示を出す。
ノルンはアトラスの言葉にはっとするとすぐに頷いて途中トランクを手にすぐさま声のした方向へと駆け出した。
ポーラの案内で向かった少し先でゲイルを見つけることができた。
しかしどうやら様子がおかしい。
ゲイルは森の中の少し開けた場所にいて、地面に座り込んで声を荒らげていた。
「おいっ…!マル…!!マルッ!!!!どうしたっ!?なぁっマルッ…!!!!」
ノルンは少し上がった呼吸を整えながら、背を向けるゲイルにゆっくりと歩み寄る。
そして近づいてからはっと目を見開く。
たしかにゲイルが座り込んでいる地面には赤い血のような液体が流れていて、ゲイルの腕の中には小さな男の子が苦しげに目を閉じていた。
「マル…マル、聞こえるか…?兄ちゃんの声が聞こえるか…!?…どこか痛いのか?苦しいのか…?マル…!」
小さな男の子を腕に抱き、切迫した表情で男の子に語りかけるゲイルは先程とはまるで別人のようだった。
先程までは狩りをする猛獣の様だったのに今は弱々しく鋭く光っていた瞳に涙さえ浮かべている。
「………………」
ノルンが近くに立っていても、お構い無しにゲイルは悲痛な叫び声をあげていた。
ノルンはゲイルから視線を移しゲイルの腕の中の男の子の状態を観察する。
たしかに口からは吐血したような血の痕跡。
顔色は青白く、全体的に血の気がない。
か細い呼吸が繰り返され、ぐったり目を閉じている。
そして時たまこほこほと小さな咳を繰り返す。
その姿にノルンは苦しげに眉を寄せると、ゆっくりとゲイルの前に膝をついて地面に腰をおろしたのだった。




