208.生きる目的
ゲイルの言った通り一瞬一瞬が命の綱引きだった。
ノルンは思考することすらままならず、ゲイルの攻撃を掻い潜ることだけに神経を注ぐ。
防御魔法を展開して身を守るが、ゲイルの人とは思えないほどの威力のパンチを前に結界は1分もしないうちに叩き割られてしまう。
そうすれば次の魔法を展開する前に既にゲイルは1秒あればノルンに触れるほどの距離まで接近していた。
「ノルンッッ…!!!!」
「…っ___」
ギラリとした瞳と視線が絡んでゲイルが口角を上げた瞬間がスローモーションのように見える。
息が止まり、背筋がゾクリと凍る。
そして次の瞬間ノルンの腹には受けたことの無いほどの重さの拳が炸裂した。
「…がっ__」
「ノルンーーーーーッッ___!!!!!」
目を見開き、ノルンは声にならない悲鳴をあげる。
ミシミシとあばら骨が軋む音が聞こえ、アトラスの切迫した叫び声を耳に、ノルンの身体は勢いよく後方に吹き飛ばされた。
何かに衝突するような感触を感じた数秒後にノルンの身体は停止する。
喉元からせりあがってくる何かを堪えるように震える手で口を抑えるが、耐えきれず思わず吐き出す。
「かはッ………」
その瞬間真っ赤な鮮血がノルンの手の隙間から吹き出した。アトラスの叫ぶ声が遠くで聴こえる。
視界が霞み、ぐらぐらと揺れる。
肺が酸素だけを求めて短く呼吸を繰り返す。
「………はぁ…………はぁ…………」
ノルンがぶつかったものはどうやらブランだった。
ブランが吹き飛んだノルンを既のところで受け止めてくれたらしい。
耳元でブランの激しく威嚇するような唸り声が聞こえる。それと一緒に誰かが近づいてくる足音も。
ノルンが霞む視界を何とか正面に向ければ、黒いブーツが見えた。
その人物はノルンの前にゆっくりとしゃがみ込む。
「なぁノルン。お前は何故生きてる___?何のために?」
そして真っ直ぐとつり上がった猫目をノルンに向けたのだった。
ノルンは未だ短く呼吸を繰り返しながら、眉を寄せてゲイルを見た。
髪色と同じく美しいアメジストの瞳と美しいグランディディエライトが交わる。
「てめェ……ッ…!!ノルンから離れろッ…!!」
視界の奥でアトラスがゲイルに二丁拳銃を向けていた。そんなアトラスをゲイルは片手をかざして動きを制す。
「いいのか?俺は今ならノルンを殺せるんだぜ?」
「……ッ……」
アトラスはその言葉に表情を今迄にないほど歪める。
ゲイルはノルンに再び視線を合わせると首を傾げた。
ノルンは覚束無い思考の中、ゲイルの言葉について考える。
(___生きる、意味)
何のため。
私は、何のために。
深く考えたことなどない。
気づけば呼吸をして、気づけば“生きていた”。
「……はぁ………はぁ…」
ノルンの瞳の照準はうつらうつらと揺れ定まらない。
すると何も発さないノルンにゲイルが表情を歪める。
まるで軽蔑をするように。蔑んだ瞳で。
「___ないのか…?___そうか、ノルン。それなら今からお前を殺す」
ノルンは呆然とゲイルを見上げる。
ゲイルが拳を振り上げる。その瞳には熱も、感情の欠けらも無い。昔からノルンはよく無表情で気味が悪いと言われてきた。
ふと、もしかすれば他人から見た自分もこのように無機質に見えているのだろうかと頭の隅で思う。
ただ拳が振り下ろされる様を、見つめる。
(___避けられない)
そうであれば、今この瞬間自分は死を迎えるのだろうか。こんなに、呆気なく永遠の眠りにつくのだろうか。___母と同じ眠りに。
そう___。そうか。眠りにつけば母に会えるのだろうか。
しかしその瞬間、ノルンの後ろにいたブランがとてつもない勢いでゲイルに噛み付きにかかる。
鋭い牙を剥き出しにして地響きさえ起こるような咆哮をあげる。
ゲイルは少し驚いた様子でその場から飛び上がり攻撃を避ける。
ブランに乗じてアトラスも拳銃を発砲する。
そんな戦闘が繰り広げられている中___ふと、ノルンの脳裏に以前出会ったグレイの言葉が蘇る。
___シリウスは生きている。
その言葉が流れた瞬間、ノルンははっと目を見開く。そして息を吹き返したかの如く咳き込む。
再び血がぼたぼたと土の上に落ちる。
息苦しい胸の上に手を置いて、息苦しさを抑え込むようにマントをぎゅっと握る。
片手で地面に手をついて前かがみになりながら、ノルンは眉間に皺を寄せた。
(___生きる、目的。___ある。わたし…わたしは、)
ノルンは震える手足でゆっくりとその場に立ち上がる。
生きる意味は、ある。
___逢いたい、人がいる。
「ノルンッ!!」
「ん?…おぉ?」
ゲイルはノルンを見ると瞳を丸くして、それから嬉しそうに口角を上げる。アトラスもまた、少し安打をしたように切なげに眉を寄せノルンの名を叫んだ。
ノルンはゲイルをしかと視界に収める。
それから意を決して薄い唇を開いた。
「…ゲイル様。…私___私は、父と再開するために、今、生きています」
決して大きくはない声。
しかしその決意の籠った声は揺らぎすらなくしっかりとゲイルの耳に届いたのだった。
「………ヘェ」
「ですから、ここでゲイル様に殺されることは出来ません」
「___そうか。ンじゃあどうする___?」
ノルンがはっきりとそう告げると、ゲイルは満足そうに頷き、それから好戦的な瞳でノルンを捉える。
「___戦います」
己の命を守るために。
ノルンは迷わず答える。力強い意思の宿った瞳がゲイルに注がれる。
それと同時にノルンは手にした杖の切っ先を勢いよくゲイルに突きつける。
(…避けられるなら避けられないまで撃ち込むのみ)
「物理攻撃魔法」
ノルンの瞳が太陽の光を受けてきらりと輝く。
ブランとアトラスがノルンの行動を予測したかのように飛び上がる。
次の瞬間、ノルンは呪文を呟くとゲイルに向かって途切れることのない攻撃魔法を降り注いだのだった。




