199.晴れ
エルガーは切り株に座る自分を静かに見つめるノルンをちらりと見る。
ノルンは言った。
エルガーならばエルガー自身の願いも、ロバートの願いも叶えることが出来るだろう、と。
ひどく、無責任だ。そう思った。
自分のことなど何も知らないくせに。
しかし思わず言い返そうとして顔を上げて、ノルンの表情を見た時に、言葉は出てこなかった。
少女はほんの少しだけ。
薄い桃色の唇の口角をあげて、光を受けてきらきらと輝く美しい瞳に弧を描いていた。
それが、余りに、余りに___。
エルガーは言葉を失った。
そして先程の苛立ちは一瞬にして消え失せてしまった。
代わりに口から何とか出たのはたどたどしい声だった。
「…なん…で…なんで、そう思ったんだ」
ノルンはその際立った容姿から年齢の想像がつかなかった。自分よりずっと年上なのかもしれないし、はたまた同じくらいかもしれないと思った。
けれど今、目の前で静かに此方を見つめる少女は少しだけ、今までよりも幼く見えた。
「…何故、でしょうか」
ノルンはぽつりと呟く。
「…私にも、分かりません。しかし、エルガー様ならそうなさるように思えたのです」
エルガーは再び告げられた何の根拠もない言葉を頭の中で繰り返す。
(…俺なら…そうする、か)
そして気づいた時には強ばっていた表情から力は抜け、エルガーもまた眉を下げて薄く微笑んでいた。
不思議だ。
(…他の奴から同じことを言われたら、きっとむしゃくしゃするはずなのに、)
それなのに、ノルンにそう言われたら、きっとできると言われているようで。
背中を押されているようにさえ感じてしまっている自分がいて。
思わず口角がゆるく上がってしまう。
よく知りもしない相手のはずなのに。
少女の言葉は___ノルンの言葉は、優しく、エルガーを包み込み、肯定した。
気づけば胸が詰まるような苦しさも、切なさも、悔しさも苛立ちも無くなっていて。
胸に広がるのは爽やかな秋風のような爽快感だった。
「…………そっか」
「はい」
「そうか」
エルガーは柔らかく微笑む。
そして肺いっぱいに空気を取り込んで大きく伸びをした。折り曲げていた身体がよく伸びて、気持ちがいい。
そして改めてノルンを見返す。
ノルンはじっとただ立っていた。
にこりともしない真顔で。
真顔が故に余計に整った容姿が際立って見える。
しかしそれは決して冷たいものではなくて。
雪のように白い肌はひんやりとしていそうだけれど、美しい宝石目の奥には確かに自分達と同じ柔らかな熱が宿っていて。
エルガーはじっと見つめられることに少し不思議そうに首を傾げたノルンに薄く笑うと、膝に手をついてゆっくりと立ち上がった。
「…エルガー様。もう調子はよろしいのですか?」
ノルンが立ち上がったエルガーに問いかける。
エルガーは爽やかな秋風が通り抜ける森を見ながら頷いた。
「…うん。なんか…うん。…俺、爺ちゃんともう一回話して見ようと思う。ヴァイオリンは続けるけど…楽士になるのか、とか」
「はい」
「…俺、なんか焦ってたのかもな。一人で悩んで。俺ももう大人だと思って」
「……………」
「でも…さっきノルンに言われて思ったよ。俺も…多分、爺ちゃんに憧れてたからこそ靴作りは好きなんだ」
「はい」
「…俺を育ててくれた爺ちゃんには感謝してるし、恩返しもしたい。だから…もう少し、考える。そんで爺ちゃんとも帰って話す」
エルガーがそう言えばノルンは小さく頷いてそれから表情を和らげた。
それが少し嬉しそうに見えて、エルガーも釣られるようにして表情を和らげた。
「ノルンのお陰だ。ありがとな」
「いいえ。エルガー様。私は何もしていません」
想定内の返事が返ってきてエルガーは眉を下げて笑みを深めた。
「…よし。戻るか」
「はい。エルガー様」
気づけば空高く真上に登っていた太陽は少し傾き始めていた。
昨日と同じくしてノルンの隣を歩き、森を出て街に帰る。
森を出て少しすれば、賑やかな喧騒が街から聞こえてきて、思わず今日は収穫祭なんだった、と気づく。
「…悪かったな。せっかくの祭りなのに。…そういえばノルンの仲間達は?」
「いえ。問題ありません。まだまだ時間はありますから。アトラス達には街で待っていてもらっています」
きっと街では今年も例年通り、たくさんの料理が振る舞われているのだろう。
ロバートは最近はあまり出歩くことは出来なくなったが、この日は一緒に街を少し歩いて共に食事をとっていた。
ロバートは食事にこだわる方ではないが、そういえばこの日だけはパン屋に並ぶ限定のきのこのカンパーニュを買っていた。
「…ノルンはこの後祭りを回るのか?」
「はい」
「ならきのこのカンパーニュがお勧めだ。ホワイトソースとマロンタケが美味い。爺ちゃんはワインと合わせてたな」
「…きのこのカンパーニュ。美味しそうです。覚えておきます」
一瞬ノルンがぴくりと揺れた気がした。
心做しか宝石目が輝いているのは気のせいだろうか。
もうすぐで街に着く。
既に目前には街の入口が見えていて、ここからでも分かるほどに街は賑わっているようだ。
あぁそれと。何処かで隣の少女に約束通り、報酬替わりの演奏をもう一度しなければ。
できれば人気のない場所がいい。
まだまだ下手な自分の演奏を望んでくれた彼女は喜んでくれるだろうか。
エルガーは街に入り、どことなく楽しげに周囲を見渡す隣の少女を盗みみて、小さく微笑みを落とすのだった。




