1.おつかい
フォーリオと呼ばれる街は大陸の南東。高い山を背にした深い谷の奥に位置する。
白い煉瓦を基調とした家々が立ち並びそこでは多くの人々が生活をしている。
栗林が近くにあることで栗が名産として知られる街だ。
また夜になると数多の星が煌めき、降り注ぐことから“星の降る街"として知られている。
そんな街から少し森に入ったところに一軒の赤茶色の煉瓦造りの家が立っていた。
そこにはフォーリオで一番の魔法使いの薬師、いや大陸一といっても過言では無い程の魔法薬学に精通する魔法使いが暮らしていた。
その名をフローリアと言った。
そしてそのフローリアの弟子に当たるのがノルンという少女だ。
「ノルン。これ、お願いね」
家の中では初老の落ち着きがあって上品な女性がある包みをノルンと呼ばれた人物に手渡していた。
手渡されたのは少女だ。歳は十代前半程に見える。「はい」と頷くその表情はにこりとも微笑むことは無い。
窓から差し込む太陽の光を反射している流れるような柔らかいウェーブのかかったホワイトブロンド。
陶器のように白い肌。
長いまつ毛は彼女の瞳に影を作る。
開かれた瞳はまるでグランディディエライトの宝石のよう。
控えめな唇にうっすらと桜色に色づく。
黒地に銀の糸で植物の模様が刺繍された控えめで上品な膝丈のマント。その下には黒いリボンタイがついた白いブラウスを着ている。太腿程までのダークブラウンのスカートを履き、その下には黒いタイツ。足元はふくらはぎ辺りまでの編上げのブーツを着用している。
どこをどう見てもまるで物語から出てきたように全てが様になっている。
ノルン・スノーホワイトとはそういう少女であった。
そんなノルンはたった今師匠であるフローリアから渡された包みを大切そうに年季の入った、それでいて大切にされてきたであろう革のトランクにしまう。
ガチャリ。しっかりと留め具を止める。
「それでは行って参ります。師匠」
抑揚を感じさせない声でノルンが言う。
フローリアは少し皺のある口元で優しく微笑み頷く。
「えぇ。くれぐれも気をつけて」
「はい」
ノルンはもう一度頷くとフローリアの家を出た。
今から向かうのは2つ先のリアと呼ばれる街だ。
フローリアの薬をリアにいる患者の元に届けるのだ。
フローリアは力のある魔法使いであるが、歳もあり、また先の“ヘレナの闘い"で片足が不自由になってしまった。
この大陸、ハルジアは魔法が盛んである。
魔力を用いて実現不可能なことも、実現させてしまう。魔法といっても種類は様々で、攻撃魔法、防御魔法、日常魔法など様々だ。異質なものとしては治癒魔法なども存在している。
しかし高度な魔法ほど、使う者の素質と魔力が必要となる。そのため治癒魔法などを使えるものは滅多に存在していない。そもそも魔法使いの中でも日常魔法を使う者がほとんどで、それ以外の攻撃魔法、防御魔法などを使うのは危険を伴う冒険者か旅人くらいのものである。
それでも過去に治癒魔法を使える者は存在していた。
しかし強大な力を持つものはどんな時代も危険に晒されるのが常だ。
それがつい十数年前のこと。
一人の類まれなる才能を持った少女が治癒魔法を使いこなした。しかしその少女もまた何者かに襲われ命を落としてしまう。そしてその少女と共にいた青年が怒り狂い、怒りのままに虐殺を繰り返す。それが後に“イアの闘い"と呼ばれるようになる青年一人と国家騎士団の闘いである。
そしてその闘いで深手を負わされた青年はどこかに隠れてしまい、その後消息は不明となっていた。しかしその10年後、どこからともなく現れた男が魔法使い狩りを行った。それが“ヘレナの闘い"と呼ばれるようになる。
“ヘレナの闘い"でも国家騎士団の一人の騎士が深手を負わせることは出来たが、その後また男は仲間と共に消えてしまったという。
その闘いでは大陸中の有望なる魔法使いも集められ、大戦に参加したが、魔法使い達もまた大きな痛手を負ったという。そしてフローリアもまた大戦により、怪我をおった者の1人だった。
そんなフローリアに変わり、ノルンはフローリアの薬を届ける役を買って出ているという訳だった。
◇◇◇
雪が溶け日中の気温も少しずつ上昇して花々が咲き始めていた。ノルンはフォーリオで馬を借りてリアへと出発した。
心地よい風に髪が靡く。さらさらと馬の蹄の横で揺れる草は瑞々しい。木々も寒々しい姿から緑の葉をつけ始めていた。
動物たちも冬眠から目覚め、そこかしこで草を食んでいた。そんな春のハルジアを目に留めながら道を行く。
リアの街は馬で行くならばここから約2日程でつく。
そのため、今日はリアの街の手前の小さな集落で宿を借りて一晩を過ごした。
そして次の日。朝からまたリアの街へと進めば、その日の昼頃にはリアの街についた。近くで川が流れているのどかな街だ。
そこでノルンは迷うことなく客の家に向かった。今回の客は以前にも一度、薬を届けに来ていたので案外用事はすぐに終わってしまった。
客の家から出るとノルンはフードを目深に被り、更に不思議な形の仮面を身につけた。目の部分だけ少し穴の空いた顔全体を覆う仮面。黒地に目の周りが金色に縁取られたどこか不気味さを感じさせる仮面だ。
周囲のものは異様な黒づくめの者に少し不思議がってはいたものの、旅の者だと思い、特段不審がる様子はなかった。旅人の中には個性溢れる奇抜な格好をしている者も多い。
ノルンはそのまま帰るのではなく、街の中を歩き、なにかを探しているようだった。
そして案内板を頼りにある場所にたどり着いた。
店の看板にはGuildと記載されていた。
ノルンは面の奥でその文字を確認すると、もう一度フードを深く被り直し、建物の扉を開くのだった。
中に入ると受付をする場所が店の奥に設置されていて、壁には難易度、種類別に様々な依頼書が所狭しと貼られていた。
依頼書の内容は様々だ。農作物の収穫、家の手伝いなどの雑用から、素材集め、魔物討伐、など実に多岐に渡る。
その中からノルンは魔物討伐と見出しが書いてある壁に行くと静かに何かを探すように目を通していた。
しかし目当てのものがなかったのか、仮面の下で小さくため息をついた。
(…やはり、ない)
仮面の奥で寂しげにノルンの瞳が揺れたのを見る者はいない。
「おい!待ってくれよ!報酬を渡せないってどういうことだ!!」
店内に大きな声が響く。
ノルンは依頼書のボードから目を離して声のした方に目をやった。
そこには受付のカウンターに身を乗り出す見慣れない姿の者がいた。