198.交錯する思い
エルガーは再び顔を暗くすると力が抜けたように再び切り株に腰を下ろした。
ふぅ、と小さく息を吐く音が聞こえてエルガーの顔に影がさす。
その様をノルンは静かに夜空のような、深海のような深い輝きを放つ瞳の奥で捉える。
エルガーとロバート。
二人は今、意見を互い違えていて険悪な状況にある___のだと、そう思う。
エルガーに早く職人として独り立ちをしてほしいロバート。
今はヴァイオリンに時間をつぎ込みたいと願うエルガー。
両者の主張はそれぞれの正論で、どちらが正しい事なのか、ノルンには分からない。
しかし、今、両者の話を聞いて、ただ一つ確かな事はあった。
それは___。
「…エルガー様も、ロバート様もお互いの事を本当に大切に思っていらっしゃるのですね」
「…なんでそうなるんだ」
ノルンが正直に言えばエルガーは不機嫌そうな視線をノルンに向ける。
ノルンはその視線を受け止めて、いえ、と呟くと少しばかり表情を緩める。
「…ロバート様は本当にエルガー様をヴァイオリンから引き離したいと願うならエルガー様のヴァイオリンを隠すなり、方法は幾らでもある様に思います」
「………………」
「それでも、現時点でロバート様はその様なことはされておりません」
「…当たり前だろ、爺ちゃんはそんな事はしない」
「はい。そして、エルガー様もヴァイオリンに時間を使いたいと願うのならば、その通りに行動ができるはずです。この地にいる事で、それが叶わないのならば街の外へ出て、ヴァイオリンを好きな時に弾くことも出来たはずです」
ノルンがそこまで言うとエルガーは言葉につまる。
そして、居心地が悪そうに視線を逸らす。
「…出来るわけないだろ。爺ちゃんは…たった一人の家族だ」
エルガーがぽつりと呟いた。
その言葉にノルンは脳内でゆっくりとその言葉の音を繰り返す。
(___家族だから、)
そして、一瞬何かを考えるように瞳を閉じて、再びゆっくりと開ける。
(…家族だから。例え、自分の願いを阻む存在であっても、離れることはできない)
少し、羨ましいとさえ感じてしまう。
ノルンの脳内にフォーリオでノルンを送り出してくれた育ての親であるフローリア、アラン、レオの姿が思い浮かぶ。
ノルンはフローリア達と共に過ごす日々の中、自分からなにか意見を言うことはほとんどなかった。
エルガーのように強い情熱を持って譲れないものなど無かったし、いつも、いつも、どうすればフローリア等の負担にならないかを考えて過ごしていた。
ノルンがフローリアに意見をしたことなど僅か二回程しかない。
一つは攻撃魔法を教えて欲しいということ。
そして二つ目は旅に出ることを許して欲しいという事だった。
フローリアはどちらも最終的には許してくれた。
しかし今、旅に出て様々な人達と触れ合い、人と人との結びつき、関係の作り方を少しずつ学び始めて。
もしかしたら、自分はきっと、フローリア達と話したいこと、聞きたかったことが本当は、心の奥底にたくさんあったのではないかと___そう思った。
だからこそ、自分がそう実感する今だからこそ、素直にお互いの本音をぶつけ合えるエルガー達がノルンには少し眩しく、羨ましかった。
「___エルガー様。私には…家族というものがあまり分かりません」
「……………」
エルガーはノルンの言葉の真意を探るように眉をひそめつつも黙ってノルンの言葉に耳を傾ける。
「それでも___何も根拠のない励ましを今のエルガー様にお伝えするとしたら」
「………」
ノルンは大きな瞳に弧を描いて薄い唇を開いた。
「___きっと、エルガー様ならば大丈夫です」
それは本当に何の根拠もなく、聞く人によれば薄っぺらい励ましの言葉だった。
エルガーも思わずノルンの言葉にはぁ?、とでも言いたそうな顔をしている。
「…本当に根拠も何もないな」
「申し訳ありません。しかし、きっとエルガー様ならばロバート様の願いも叶えて___エルガー様ご自身の願いも叶えられる。そんな気がしました」
エルガーは目の前に立つ少女を無言で見つめる。
姿勢よくまるで服屋のトルソーの用に美しい佇まい。
そんな少女がお気楽に告げた言葉にエルガーは目を丸くしていた。
何を言い出すんだ。
結局は他人事だ。そんなこと出来るはずもない。
爺ちゃんの願いを叶えて、靴職人をしながら、楽師を目指せというのか。
エルガーは責任もない言葉に一瞬苛立ちを覚え、それから落胆する。
ノルンはどこか不思議な魅力を持っていて、何故か彼女ならばいい方法を、いい助言をくれるとどこかで期待していたのかもしれない。
期待を裏切られた時の衝撃というものは大きい。
愕然とした気持ちの中、エルガーはもう一度ちらりとだけ、ノルンに視界を向ける。
ノルンは変わらず少し前に立っていてただ静かにエルガーを見下ろしていた。
一言文句を言おうとして、顔を上げて、そこでエルガーはふとノルンの表情に釘付けになった。
少女は自身の言葉を確信しているように、いつも通りの一縷のゆらぎすらない綺麗な表情で瞳だけに弧を描き、静かにエルガーの言葉を待っているようだった。




