197.夢と現実
小鳥のさえずりだけが静かな森を彩る。
ノルンがたった今告げた言葉に、エルガーは眉を顰めて、きつく結んでいた唇を緩めるとちらりと横目でノルンを見る。
ノルンは微動だにしない。
ただ真っ直ぐ紅葉の中を映える瞳がエルガーに注がれていた。
エルガーはそんな少女にふっ、と苦笑にも似た笑みを零して再び視線を膝の上で固く組まれた両手のひらに戻した。
そしてぽつりと呟く。
「…聞いてたんだろ?俺と爺ちゃんの言い合ってたこと」
「…はい。申し訳ございません」
「ふ、正直なんだな。いいよ、どうせ大した事じゃない。いつもの事だ」
エルガーは盗み聞きをしていたノルンを責める様子はない。
「…いつも、エルガー様はロバート様と口論をされているのですか」
「…口論てほどでもない。…うちはさ、靴屋なんだ」
「はい。存じています」
「この街唯一の靴屋でさ。あんな街の隅にあるのに、家には昔から街の人たちがたくさん来てた」
「はい」
エルガーは昔話をするようにぽつりぽつりと話し出す。
「俺は爺ちゃんと二人暮しで…昔から、爺ちゃんが作業をする所を見て育った」
エルガーはロバートの作業を見るのが好きだった、と話す。その表情はいつの間にか柔らかなものに変わっていて先程の険しさはない。
革を裁断する音。靴底をはめる音。やすりをかける音。
全てが好きだった、とエルガーは呟く。
「ある程度大っきくなったとき、俺も靴作りがしたいって爺ちゃんに頼み込んだ。爺ちゃんはすごく渋ってたけど結局は折れてくれた」
そこからは、靴作りの面白さに魅入られ、どんどん自分で新しい靴を作っていった。
「…靴を作ることは俺には向いていたんだと思う。昔から何かを作るのが好きだったし手先は器用な方だった。でも、それだけだった」
「……………」
エルガーはふっと小さく息を零し自虐的に言ってみせる。
「去年、この街にヴァイオリンの楽師の旅人がやって来た。その人は広場でヴァイオリンを弾いて街の人に聞かせていた。綺麗な…聞いたこともないほど…綺麗な、初めて聞く音だった」
エルガーはその瞬間を思い出しているのか拳をぐっと握り、瞳に光を煌めかせる。
ばっとノルンの方を見たかと思えば興奮した様子で話を続ける。
「一瞬だった。俺もヴァイオリンが弾きたいと思った。あの人みたいになりたいと思った…!」
まくしたてるようにして話すエルガー。
立ち上がってその時の興奮をノルンに伝えるように語気にも力が入る。
さぞ美しい音色だったのだろう。
このように人をたった一瞬で虜にしてしまうのだから。
「すぐに家に帰ってヴァイオリン制作に取り掛かった。楽器なんて作ったことはないし、触ったことだってろくに無い。でも、それでも俺は毎日毎日爺ちゃんの工房で試行錯誤し続けた。たまに、街に音楽家が訪れたらアドバイスを貰いに行ったりもした」
それは傍から聞けばとんでもない挑戦に思える。
触れたこともない。目にしたのも、耳にしたのもたったの一度きり。それでもエルガーは諦めがつかず記憶の中の憧れだけを追い続けた。
そして、ついにヴァイオリンを作り上げたのだ。
「やっと、やっと___少し前に出来上がった。ずっと、夢見てたヴァイオリンだ」
エルガーは眉尻をさげ、瞳を細める。
「それからはこの森へきて毎日毎日、弦を引いた。…昨日ノルンにも聞かれちゃったけど…上手くなんかない。全然下手だ」
エルガーは今度は気まづそうにノルンから視線を逸らす。
「…でも、それでも、思うんだよ。どうしても、あのヴァイオリン弾きが頭から離れなくて」
「___はい」
「___俺も、ヴァイオリン弾きになりたいんだ」
それは、小さな声だった。
弱々しくて、それなのにどこか決意を感じさせるようなそんな声。
エルガーが固く拳に力を込める。
「…それを今朝、爺ちゃんに言った。言うつもりなんてなかった」
それでも、気づけば胸の内に隠していた本音は口をついて出ていた。
ロバートは愕然として、そのあと怒った。
「…ロバート様は、エルガー様には靴職人としての素質があると仰っていました」
ノルンはエルガーが出ていったあとで、遠くを見つめるようにして話していたロバートを思い出す。
「…ノルンは、得意なことはあるか?」
突如脈絡もなく問われた質問にノルンはきょとんとするも真剣に考える。
得意なこと、なんだろう。
そこでふと以前フローリアに言われた言葉を思い出す。
「防御…が得意…なのかもしれません」
防御魔法と言おうとして、踏みとどまる。
エルガーはそんなノルンに怪訝な顔を浮かべるが、続けて聞いた。
「それじゃあ好きか?」
「え………」
エルガーはじっと真剣な瞳でノルンを見つめる。
ノルンは思わず言葉につまる。
「ノルンの得意なことと好きなことは同じか?」
「……………」
「…俺は、違う」
皮肉めいた笑みでエルガーは独り言のように呟く。
「…得意なことと、好きなこと。これは決して同じじゃない。それが重なり合ってたやつは幸運だ」
吐き出すようにエルガーは言う。
ノルンはエルガーが何を言いたいのか、何を伝えようとしているのか理解できたような気がした。
昨日よりも冷えた風が頬を撫で、エルガーの金髪が揺れた。
「俺は靴作りが得意だった。でも、俺が好きなのは___俺が夢みるのは…ヴァイオリンなんだ」
エルガーの顔が苦々しく歪む。
その言葉の羅列はエルガーが日々抱える葛藤だったのだろうか。
重々しく吐き出されたそれらを、ノルンは否定することもなく、ただ静かに、言葉を真摯に受け止め飲み込んだのだった。




