195.迷子の少年
「もう一度、エルガー様を探しに行かせてください。ロバート様」
肩を落とすロバートに気づけばノルンはそう告げていた。
ロバートはゆっくりと顔を上げて分厚いレンズの奥の小さな瞳を静かに細める。
ロバートは昨日のように今度はノルンを止めたりはしなかった。
「…あぁ。頼む」
「はい。お任せ下さい」
静かに告げられたその一言にノルンは瞳を伏せて小さく頭を下げた。
ロバートの家を出てノルンは華やかに飾り付けられた活気溢れる街の中を一人で歩いていた。
初めはアトラスとアオイも着いていこうか?、と言ってくれていたが、迷ったあげくノルンは丁寧に2人の申し出を断った。
今は何故だかはわからないが、自分一人で行った方が良いと思ったのだ。
そして二人もそれを理解したように心配している様子ではあったものの、そっか、と言って柔らかくノルンに微笑んだ。
エルガーは何処へ行ったのだろうか。
そう、ノルンはロバートの家を出る前にぽつりと呟いた。
昨日初めて出会ったエルガーの事をノルンは知らない。しかしそこで口を開いたのはやはり家族であるロバートだった。
___昨日と同じ東の森だろう。あいつは何かあるとすぐにあの場所に逃げ込むんだ。
ロバートは気持ちを落ち着かせるように取り出した煙草を吹かしてそう言った。
その口元には少しの笑みが浮かんでいた気がした。
ノルンは昨日と同じようにロバートの家から東の森へと向かう道を再び辿る。
途中何人かの人に収穫祭のご馳走の試食をしないかと問われたが、ノルンは丁寧に断った。
エルガーを見つけ、帰ってきた時にアトラスやアオイ、ポーラと一緒に食事がしたい。
アオイはきっとどんなメニューを見ても、食べても楽しそうに笑い美味しいと言って作り方を知りたがるのだろう。
ポーラは甘いものに目がなくて蜂蜜たっぷりのパンケーキを気に入りそうだ。
(…アトラスは先程見た鶏肉の香草焼きを気に入るのかもしれない)
そうしたら、ブランにも同じものを食べさせてあげたい。
街の中を歩いていれば気づけば考えているのは先程まで一緒にいた仲間たちの事で。
ノルンはその事に気づくと静かに仮面の下で口角を上げたのだった。
*****
森にやって来ると昨日よりも早い時間に訪れたからか森はまた違う姿を見せてくれた。
昨日は既に夕暮れ時で沈みゆく太陽に赤く照らされていた森も今日は晴れやかで秋晴れという言葉がぴったり当てはまるような景色だ。
ノルンは何となく昨日エルガーと出会った場所まで足を運ぶ。
森には木の葉を踏みしめる音だけが響き、残念ながら昨日エルガーのもとまで誘ってくれた美しい音色は聞こえてこない。
静かな森を進み、昨日エルガーと出会った切り株の木までやって来る。
そこに来てノルンは安心して胸をなでおろした。
切り株の上には昨日と同じように、金色の髪をもつ少年が座っていた。
両手でゆっくりと顔に着けていた仮面を外す。
視界がよりクリアになって目の前の人物を捉えた。
「___エルガー様」
ノルンは切り株に座って足の間に顔を埋めるようにして背を丸めている少年に少し離れた場所から声をかける。
エルガーの肩が少し揺れた気がした。
しかしエルガーが顔をあげることはない。
二人の間に沈黙が落ちる。
ノルンはそれ以上何を言うでもなく、ただ静かにその場に佇んでいた。
「…何で来た」
エルガーが口を開いたのはそれから数分後のことだった。ぶっきらぼうに告げられたその言葉には不機嫌さが滲み、ノルンを責めているようだった。
けれどノルンは怯むことなく、ただ変わらぬ真顔で長いまつ毛の奥に秘められた宝石目はじっとエルガーを見つめ続ける。
エルガーの問いにノルンは咄嗟に言葉を返せなかった。ここへ来た理由。
(…エルガー様を探しに来た理由、)
そう言われてみれば、どうしてだろう。
どうして、自分はあの時エルガーを探しに行きたいと言ったのだろうか。
長く緩やかなカールを描いたまつ毛が風に揺れる。
真剣に考えてみたけれど分からなかった。
自分のことだけれど、分からなかった。
だから、ありのままを伝えることにした。
「…何故、でしょう。私にも、わかりません」
「…はぁ…?」
ノルンが素直に言葉を紡げば一拍置いて間抜けな声が聞こえてきた。
エルガーは怪訝な表情を浮かべて、先程までは埋めていた顔をゆっくりとあげた。
不機嫌そうに顰められた眉と瞳。
ノルンは自身に向けられたその瞳を真正面から見つめる。
「…はい。何故此処へ来たのか、私にも、よくわかりません」
本当に分からない、といった具合に。
むむ、と片手を顎に添えて軽く小首を傾げるノルン。
何故か探しに来た側のノルンが少しばかり悩む仕草をして眉を寄せて見せたので、エルガーは思わず気づけばぷっ、と口から息を吐き出していた。
「何だそれ」
「申し訳ありません」
まるでお人形の用に真面目な顔をして謝るノルン。
そんなノルンにふっ、とエルガーは柔らかな笑みを浮かべる。
気づけば先程までどうしようもない程にむしゃくしゃして、強い衝動に駆られていた苦しいほどの感情は、深く吸い込んだ酸素と一緒に吐き出された空気に混じってすーっと収まっていくようだった。




