192.お礼のお礼
薄暗くなり始める空の下、エルガーの半歩後ろを続き、ノルンはハニー・ウィックの街まで歩いていた。
ハニー・ウィックの街に帰ってくる頃には日は完全に沈んで、宵の明星が煌々と光を放っていた。
街に戻り次第、ロバートの工房へ向かおうと思っていたのだが、その途中にある宿屋でノルンはアトラス、アオイ、ポーラに出迎えられた。
「お、ノルン!良かった。無事だったか」
「はい。ただ今戻りました」
ノルンに駆け寄ってくる三人をエルガーは隣で黙って観察する。
するとそこでアトラスが少し後ろに控えるエルガーに気づいて視線を向ける。
「お、お前がロバートの孫か?」
「あ…あぁ」
「こちらエルガー様です」
「そっか!よろしくな!エルガー」
「あ…うん。よろしく」
ノルンが片手でエルガーを指し示していえばアトラスは納得したように頷いて眩しい笑顔を見せた。
エルガーは一瞬アトラスの眩い笑顔に気圧されたようだったが差し出された手をぎこちなくも握り返した。
「ロバートが心配して待ってるぜ?早く会ってやれ」
アトラスのその言葉にエルガーは少し気まづそうに視線を逸らしつつ頷く。
そしてそこでノルンもアトラス等にマロンタケの確認をしなければならない事を思い出す。
「アル。アオイさん。実は____」
ノルンが先程エルガーから森で聞いた話とマロンタケを渡してもいいかということを簡易的に説明し、問えばアトラスもアオイも笑顔で快諾をした。
「ん?おう!勿論いいぜ!」
「うん。僕も。丁度今日森で採れて良かったね」
柔らかな笑みを浮かべてノルンに話しかけるアオイ。
ノルンも2人の返事に頷く。
そしてやはり2人の反応が想像通りであったことに安心し、表情が緩んだ。
「え、ええ…。ホントに、良いのか…?」
「はい。仲間からの了承も得られましたので遠慮なくお使いください」
ノルンはトランクから再び必要な分のマロンタケを取り出して空っぽのエルガーのバスケットに並べていく。そして全て乗せ終わると両手でエルガーに差し出す。
エルガーは申し訳なさからか中々バスケットに手を伸ばそうとしなかったが、ちらりとノルンたちを見上げてからゆっくりとバスケットを受け取った。
「はぁ…。なんか、ごめん…。探しに来てもらった上にマロンタケまで…」
「おう!ま、俺はロバートの爺さんなこの靴を修理してもらったからな。お互い様だ」
「はい。お気になさらないでください」
エルガーはアトラスとノルンにそう言われ、そこで少し気が抜けたように肩の力を抜く。
「…うん。ありがとう。ありがたく貰うよ」
「はい」
エルガーは緩く微笑むと俯かせていた顔をあげる。
そしてあのさ、とぽつりと呟く。
ノルンはただエルガーから視線をそらすことなくエルガーの言葉を待つ。
「やっぱり、さすがに悪いから何か俺からも礼をさせてくれ」
「…お礼、ですか?」
「うん」
エルガーはしかと頷く。
その瞳は真剣でノルンは何も要らないと言おうとして言葉を出す前に踏みとどまる。
そして片手を顎に添えて考える。
礼と言われてもぱっと頭に浮かぶものが出てこない。
しかしそんな時ふと少しばかり俯いた際にノルンの視界にエルガーの片手に掴まれているものがとまる。
そしてノルンはそれを見るとゆっくりと顔を上げた。
「…では、エルガー様がよろしければもう一度ヴァイオリンの演奏をして下さいませんか」
「え…」
ノルンのリクエストにエルガーは少し動揺したように声を詰まらせる。
ノルンの後ろではアトラスとアオイが首を傾げている。
「いえ。失礼致しました。勿論無理にという訳では…」
思わずエルガーの反応に触れられたくないことだったのかもしれないと先程の願いを訂正しようとする。
しかしエルガーははっとすると首を横に振った。
「あ、ごめん。違う。なんでもないんだ…。それより、僕の…あんな演奏でいいのか…?」
エルガーは続けて自信が無さげに言う。
少し肌寒い夜風がエルガーの前髪を揺らしその瞳を隠す。
「はい。とても、嬉しいです。エルガー様」
「…そっか。わかった。ノルン達は何時までこの街に?」
ノルンはエルガーの問いに視線をアトラスとアオイに移す。
アトラスはん〜、と瞳を閉じて考える素振りをする。
「まぁ明日の祭りに参加して…そうだな。明後日の午前中には発つと思うぜ」
「明後日…。そっか、分かった。なら、明日。明日の夜に弾くよ」
エルガーはヴァイオリンが収納されているケースを持つ手に力を込めながら言う。
それを聞いたノルンはエルガーの言葉に小さく頷いた。
「はい。楽しみにしています」
ノルンがそう告げるとエルガーはほんの少し口元を緩めて微笑した。
しかし次の瞬間にはアトラスのそろそろロバートの爺さんに怒られないか?、という言葉により焦ったようにヴァイオリンのケースとバスケットを抱えて顔を青ざめさせて走り去っていったのだった。




