181.向かうべき先
アオイがシリウスと会える方法があるかもしれないのか、とグレイに問うとグレイはその口元の笑みを深めて頷いて見せた。
思わずノルンはグレイの動作に目を見張る。
俄には信じられない。たった今父に会うことは難しいという話をしていたのにそんなに都合の良い話があるだろうか。
しかしそう頭では疑いを持ちつつも、身体は正直だ。落ち着こうと試みても勝手に鼓動はとくとくと音を立て、頬にはじわりと熱が籠る。
(…お父様に…会える方法が…本当に…?)
ノルンは揺れる瞳で目の前に座るグレイを見つめた。
グレイの瞳が優しげに弧を描き、ノルンを包むように優しげに微笑む。
まるでノルンが問うのを待っているかのように。
ノルンは浅くなった呼吸をゆっくりと吐き出し、呼吸を整えると真っ直ぐとグレイを見つめる。
「…グレイ様。それは…それは、どのような方法なのでしょうか」
透き通る声は清らかで秋の朝にしんと溶け込んだ。
一同が息を呑んでグレイの言葉を待つ。
緊張した空気が漂う中、グレイだけは変わらずえみを浮かべていた。
「___簡単だよ。あいつの家に行くといい。今どこにいるかは分からないが、あいつの帰る場所ならわかる。君はそこへ行けばいい」
「___!」
___父の、帰る家。
ノルンははっとしてグレイを見る。
グレイはただ静かに笑みを深めた。
「…確かに…今いる場所は分からなくても、帰ってくる場所さえ分かれば、会える___か」
「そういう事だ」
「…うん。確かにそれならノルンちゃんのお父さんが帰ってくるまで待っていればいいんだもんね」
「あぁ。だが、何時帰ってくるかは分からないけどな。あいつも多忙みたいだしな」
アトラスとアオイも納得したように頷いて表情を明るくさせる。
しかしそこでノルンは重要なことに気がつく。
まだ幼い頃の自分は父と母と暮らしていた。それからヘレナの戦いで自分と母は父の元から離れ、その後フローリアの元で育てられた。
だが、肝心の父と母と住んでいた頃の記憶は殆どが霞みがかっていて上手く思い出せない。
勿論住んでいた地名は愚か、どの様な場所であったかさえも___ノルンには、どれだけ思い出そうとしても思い出せなかった。
突如表情を暗くして俯いたノルン。
そんなノルンの膝に小さな毛玉に覆われた手がのせられた。ノルンがふと顔を上げればそこには丸い眉を心做しか下げて心配そうにノルンを窺うポーラが居た。
「…ノルン…?大丈夫…?」
小さな口で問いかけるポーラを見るとノルンは一瞬間を置いてからゆっくりと頷いた。
そして心配をしてくれているのであろうポーラに大丈夫だという意と礼を伝えるとノルンは顔を上げた。
「…申し訳ありません。グレイ様。せっかくそう言って頂けたのに…私には幼い頃父と母と住んでいた場所が…思い出せません」
「…ノルンちゃん」
ノルンが瞳を伏せて少し困ったように笑う。
どれだけ思い出そうとしても思い出せなかった。
既に自分に残っているのは脳裏の記憶のみだというのに、それさえも霞んでしまっていて。
どれ程恋焦がれても。手を伸ばしたくても、まるでそれは空を掴むようで。
無意識に苦笑するように言葉を途切れさせたノルンはもう既に冷えてしまったココアのマグカップを両手でぎゅっと持ち直した。
しかしそんなノルンに対するグレイの返事は思わぬものだった。
「…いや。ノルンちゃん。問題は無い。グレイの今の帰る場所ならわかる」
「え…!父さん、それ本当!?」
「おう」
そうグレイはきっぱりと断言した。
ノルンはぱっと顔を上げて驚いたようにグレイを見る。
すぐさまアオイがそれって何処なの?、とノルンが抱く疑問をグレイにぶつけてくれる。
こくりと唾を飲み込んで固唾を飲んで見守る。
そんな中荷物の中からグレイは細い束を取り出すと麻紐を解いて、くるくると丸められていた紙を押さえて地面に広げた。
それは随分年季の入ったハルジア大陸の地図だった。北と南に大きく展開する大陸。そしてその大陸の四方八方には小さな島々や程々の大きさの他の大陸。
そんな地図を広げてグレイはトンと人差し指をある場所へと立ててみせる。
その地名は___。
「……ベルン…?」
アオイは思わず声に出したあとで此処って…とアトラスとノルンに視線を送る。
ノルンも何も口には出さず、地図のやや北部中心に指を置くグレイを見つめた。
「あぁ。ハルジア大陸の首都。ベルン。間違いない。此処へ行けばシリウスと会える可能性はある。少なくとも情報くらいは手に入るだろう」
シリウスが説明をしてくれている横でノルンは小さく英字で書かれた地名を口の中で繰り返す。
「___ベルン…」
そう。その地とは正にノルン達の旅する目的地として定めていたハルジア王国の王族も住まう由緒正しきハルジアの王都だった。




