176.迷宮最深部
こぢんまりとした木製の、それでいてどこか趣漂う扉に手をかける。
ゆっくりとノルンが戸を奥に押せば、その先にはそれほど広くない小さな空間があった。
石畳の床、朽ちた柱は所々植物で覆われている。
部屋の奥には大きなガラス窓が取り付けられており、そこから部屋中を包み込む黄金の柔らかな光がさしこみ、まるで部屋に訪れたものを祝福しているかのようだった。
部屋に足を踏み入れたノルンは少し想像と違った部屋に驚きつつも興味深しげに周囲を見渡す。
「わぁ...。ここが最後の部屋...?何だか想像と違ったかも」
「俺もだ。迷宮最深部には金貨や宝石が分かりやすく山になってると聞いたことはあったが...」
こんな空間は聞いたことがない、とアトラスも呟く。
ポーラはくるくると部屋を走り回って花に顔を近づけ
その香りを堪能する。
鮮やかな白、桃、黄、ダークレッドに色付いた花がポーラが走る度にふわりと揺れる。
コツコツとノルンがブーツを鳴らす音が響く。
朽ちた柱には蔦が絡みつき、植物が自然に生い茂っている様子を見るとこの神殿が長らく放置されてきた歴史の遺物であることを実感する。
そこでふと周囲を観察していたノルンはある一点を目にするとその足をピタリと止めた。
(…あそこに、何か)
光に反射してきらりと光って見えた何か。
思わずその場所を凝視する。
それは石畳の先、数段の階段を登った先にあった。
この空間全てに光を充満させてしまうような大きなガラス窓。
その前にまるで何かに捧げるようにして置かれている何か。
ノルンはゆっくりと足をそちらに向ける。
そして気づけば吸い寄せられるようにしてガラス窓の前までやって来ていた。
(…これは)
「本…?」
ガラス窓の手前。そこには木製の立派な譜面台がひとつ置かれていた。そしてその譜面台の上にはひとつの分厚い書物が置かれている。
書物の表紙には窪みがあってそこにひとつの宝石が埋め込まれていた。先程きらりと光ったのは宝石が光に反射した輝きだったのだろう。書物の表紙には植物のような模様が入っていた跡が残っている。元は金箔が貼られていたのだろうか。今はほとんど見る影もないが一部金色の色彩が残っている箇所もある。
何だか不思議な本だとノルンは思う。
触れてもいいものなのか、分からない。
けれど、気になる。
そんな不思議な感覚を与える本だった。
ここにあるということは古代の書物なのだろうか。
そうだとしたら余計に好奇心が湧いてしまう。
いや、しかしそれほど長い間此処へは誰も訪れなかったというのだろうか。
頭の中でそんなことを考えながらも、ノルンは気づけばその書物に手を伸ばしていた。
そしてその指先が書物の表紙に触れる。
その瞬間だった。
本から眩い光が発せられ、部屋中を満たす。
「…っ…」
「えっ!?ノルンちゃん!?」
「うおっ!?」
「わあぁぁぁ…!?」
思わずノルンは反射的に書物から指先を離す。
すると書物はその光を段々と収めていく。
気づけばアトラスとアオイがノルンの近くまでやって来ていた。
「ノルン!どうした?」
「ノルンちゃん、大丈夫?」
心配の表情を浮かべる二人にノルンは振り返るとこくりと頷いてみせる。
「…はい。すみません。私が書物に触れてしまったばかりに」
「書物?」
アトラスが首を傾げる。
ノルンがもう一度小さく頷いて視線を目の前の書物に向ければアオイは本当だ、と零す。
とにかく光が収まって良かったとほっと小さくノルンは胸を撫で下ろす。
しかしノルンの思いとは反対に目の前の書物からぱちんと音がした。
「え?」
「なんか音がしたな」
アオイとアトラスもノルンの両サイドから書物を眺める。ノルンは書物を見つめてからふと気づいた。
「…金具が、外れています」
「金具?」
書物には簡単に開閉ができぬように金具で作られた留め具がされていた。
しかし今、金具は表紙から外れている。
つまりは本の開閉が自由に出来るようになっていた。
「これ、最初は閉じられてたの?」
「はい」
「なるほどな。それが勝手に開いたのか」
アトラスの言葉に頷きつつ、ノルンは書物を眺める。
アトラスとアオイはじっとノルンを見つめる。
「…手に取って、いいのでしょうか」
「いいだろ。迷宮の最深部にあったんだ。ここの迷宮はその本が宝なのかもしれないぜ?」
宝と聞くと何故か少し書物に触れる意欲が落ちる。
ノルンは別に迷宮に宝を求めてやってきた訳ではない。
しかしそれでも目の前の書物を目にしてしまえば自然とノルンの手は伸びてしまう。
恐る恐るもう一度書物に触れる。
しかし今度は何も起こらなかった。
少しほっとしつつ両手で書物を持ち上げるとぱらぱらと中身を確認する。
「…え?この本…」
「あぁ。読めねぇな」
ノルンの手元を見ていたアオイとアトラスが首を傾げる。ノルンもまた真剣な瞳でその書物に記された筆跡を見つめる。
「…これはどうやら古代文字で記された書物のようです」
「古代文字?」
いつの間にやってきたのかポーラはアオイの腕に抱えられてノルンの言葉に首を傾げる。
「はい」
そう。書物は古代文字で記されていた。
それはハルジアの大陸で古代に使われていた現代とは異なる言語文化だ。
ノルンはじっとその筆跡を見つめながらさらりと本を撫でたのだった。




