175.ワイバーン撃破
ノルンは目の前に崩れ落ちたワイバーンに薄く美しい宝石目を見開いた。
ズゥンと音を立ててその場に崩れ落ちたワイバーン。
その分厚すぎる胸板には確かにアオイの剣が鈍く光っていた。
目の前に落ちたワイバーンの顔。
その凛々しい顔には視線だけで相手の息の根を止めてしまいそうだった眼光は既に失われている。
思わずノルンはしばし呆然とする。
ワイバーンは今度こそ息の根を絶っている。
それでも、どうしても実感が湧かず、ノルンは呼吸さえ止めてただじっとその顔つきを眺めていた。
しかしそんなノルンを前方から走ってくるアトラスの声が現実へと引き戻した。
「ノルン!アオイ!」
「………アル」
瓦礫の合間を走ってきたアトラスは、瓦礫の山から軽やかにジャンプをすると音もなくノルンの真横に着地する。
そしてアトラスに続くようにして、ワイバーンが倒れる直前にワイバーンから距離をとっていたアオイもゆっくりとノルンに近づいてきた。
その身体は傷だらけで、シャツは所々破け、様々なところに砂埃がついている。
「よくやったな…!アオイ!ノルン!」
アトラスは呆然とするノルンと同じように未だ実感が湧いていないのか、不安げに眉尻を下げて戸惑いの表情を見せるアオイに向かって眩い笑顔で二人を賞賛する。
「…ほんとに…本当に僕たちが…?」
アオイはアトラスの言葉に困惑の表情を浮かべ、ゆっくりと視線を崩れたワイバーンに向ける。
そしてしばらく無言でその姿を見つめる。
しばらく信じられないと言うようにワイバーンを見つめていたアオイだが、一歩また一歩とワイバーンに近づき、ワイバーンの胸に突き立てられた剣に目をやるとゆっくりと引き抜く。
しばらく手元の剣をじっと見つめていたアオイだったが、少しして漸く緊張に張り詰めていた瞳をゆっくりと和らげた。
「…………そっか……………そっかぁ。よかったあぁ」
そうして心から安堵したように柔らかく頬を緩めたのだった。
「…ノルンちゃん、やったね。本当にすごいよ、ノルンちゃん」
頬を緩め、淡く染めてノルンに向かってアオイは微笑む。その表情は安堵と嬉しさの入り交じった優しげな表情で未だ困惑しているノルンは思わず瞳を揺らす。
(………本当に、本当に…)
「…ワイバーンを」
「うん」
「………倒したのでしょうか、」
「うん」
未だ信じられないノルンがぽつりと言葉を零せばアオイは満面の笑みで頷く。
ノルンはワイバーンから視線を外して周囲を見渡す。
初めに足を踏み入れた時とは比べ物にならないほど崩れた広間。
壁や柱の至る所につけられた爪痕は戦闘の激しさを物語っている。
目の前に崩れた赤い獣。
そしてノルンは自身の前に立つアトラス、ブラン。最後にゆっくりとアオイに視線を向けた。
「…………………」
声も出ないノルンにアオイは優しげな眼差しで無言でノルンにほほ笑みかける。
その瞬間、一定だった鼓動が少しずつ速度を増し、胸からじわじわとした興奮のようなものが一気に硬直した体に駆け巡る。
無意識に止めていた呼吸を再開させれば肺いっぱいに酸素が届き、胸が膨らむ。
ようやく、今、実感できた。
目の前に倒れているワイバーンを、見事撃破することが出来たのだと。
安堵か、それとも感動か。
一言に形容できない感情が身体を駆け巡りノルンは思わず顔を俯かせる。
「…ノルンちゃん…?」
「……………」
アオイが気遣うように不安げにノルンの名を呼ぶ。
ノルンの片手に柔らかな感触が触れる。ブランがノルンの片手に頭を擦り付けていた。
ノルンはその柔らかな毛並みを撫でると、ゆっくりと顔を上げる。
その表情を見たアオイは思わず薄く目を見開く。
ノルンは眉をひそめ、その瞳に弧を描いて柔らかく口角を上にあげる。
切なさと安堵、喜びが含まれたその表情にアオイはただ魅入られた。
「…はい」
少女はただそう一言頷いた。
小さな声だった。それでも透き通ってよく響く声。
アオイには一瞬少女の瞳が光って揺らめいたように見えた。
ただ二文字のその返事にはノルンの全てが詰まっていたように聞こえて、アオイは薄く見開いた目をゆっくりと細めると、もう一度柔らかく笑みを返すのだった。
*****
ワイバーンを討伐し、ノルン等はワイバーンと戦っていた広間の奥。
その最奥に取り付けられた扉の前に立っていた。
その扉は今まで通ってきたものとは全くの別物だった。
今までが冒険者を試練へ送り出すものだとしたならば、これは正に秘密の扉。
それ程までに目の前の扉は今までと比べると小さく、ひっそりとそこにあった。
素材も木造りの少し金属で装飾がされている程度。
今までの豪華絢爛な扉と比べればとても質素な作りだ。
「ここが最後の部屋?」
扉の前に立つノルンにポーラが足元で首を傾げる。
「はい。そのようです」
「なんだか今までと随分雰囲気が違うみたいだけど…」
「だな」
ま、入ってみようぜ、そう告げたアトラスの言葉にノルンは頷く。
そして目の前の扉に触れるとそっと扉を押したのだった。




