172.絶体絶命
アトラスの無事に安堵したのも束の間。
悲鳴のような叫びをあげてのたうち回っていたワイバーンの動きがぴたりと止んだ。
しんとした静寂が広間に落ちる。
思わず異様な気配にアオイ、アトラスはごくりと唾を飲み込む。
「…やったのか…?」
アトラスが怪訝な顔をして一歩伏せているワイバーンに近づく。
もう魔力弾は撃ち込めない。
先程の二発がアトラスの放てる最後の魔力弾だった。
どうかもう起き上がらないでくれ。
アトラスはそう懇願しつつワイバーンに近づく。
しかしそんなアトラスの願いは虚しく、ズゥンという低音が響くと共にワイバーンは鋭い瞳で目の前に小さく佇むアトラスに睨みをきかせつつその巨体を起こしたのだった。
「……うそ」
「………………」
アオイは思わず絶句の表情を浮かべる。
自分の剣などではワイバーンの首を落とすことは愚か爪すら砕くことは出来ない。
強靭な鱗は刃すら通さず、刃こぼれをおこしただけだった。
もう手の打ちようがない。
アオイの頬を冷や汗が滑り落ちた。
しかしその傍らでノルンだけは静かに佇み、温度の変わらない瞳でただワイバーンをじっと見つめていた。
(___確かに先程のアルの魔力弾はワイバーンの鱗を貫通したはず)
ノルンの瞳がワイバーンの分厚い胸板を凝視する。
そして視線を動かす中である一点を捉える。
それは狂うことなくワイバーンの胸部のど真ん中。
そこには1つの弾痕が残されていた。
アトラスの放った魔力弾は確かにワイバーンに到達していた。
ほとんどの魔物のエネルギーとなる核は人と同じく胸部中心部に位置することが多い。
それで言えば確かにワイバーンは核を損傷したはず。
しかし現に今ワイバーンは再び立ち上がり、殺気だち、ノルン達を細い瞳孔で捕える。
「…まじかよ。もう魔力弾は残ってないってのに」
アトラスといえど、さすがに絶体絶命の状況に苦笑を漏らす。
しかしそれでも尚、ノルンだけは変わらず殺気立ち鼻息を荒くさせ今にも襲いかかってきそうなワイバーンを前にもその姿を静観する。
(…核が損傷したにも関わらずまだ立ち上がる___恐らく核へのダメージが足りていない)
そこでノルンは自身の手に握られた魔法の杖に一瞬視線を移す。
アトラスは魔力弾を撃ち込み、確実にワイバーンにダメージを与えてくれた。アオイもずっとワイバーンの攻撃を防ぎ隙を作る危険な役目を担ってくれた。
それならば次は自分の番だ。
否。違う。そうでは無い。
むしろ、これは___
(___私がやるべき事)
そう。父に会うため。父への手がかりを得るために、自分が選択し臨んだ道だ。
ノルンは再びゆっくりと視線をあげる。
刃物のような鋭いワイバーンの視線と宝石瞳を重ねる。
「…ノルン、ちゃん?」
アオイがノルンに声をかければノルンはワイバーンから視線を逸らすことなく、普段と変わらぬ滑らかな湧き水のように透き通った声でで淡々と告げた。
「アル。アオイさん。次は___私にやらせてください」
それは、サポートではなく、ノルン自身が前面に出て戦闘するということを意味していた。
ノルンの言葉にアオイとアトラスは目を見開き動揺を浮かべる。
「…ノルン?」
アトラスは困惑した表情のままノルンを振り返る。
しかしそれでもすぐに否定することはせずノルンの意図を図ろうとしているようだった。
「___私はアルのようにワイバーンの鱗さえ貫通させる魔力弾を撃つことはできません。アオイさんの様に刀をふるえるわけでもありません」
「…………」
ノルンが言葉を連ねる正面で再びワイバーンが天まで轟く咆哮をあげる。
その凄まじい声音が空間に反響してがらがらと瓦礫が崩れる。
「___それでも、私がやらなければ」
「ノルンちゃん…」
「___私には無理かもしれません。それでも私は…きっと…今、いま」
ノルンは眉をひそめ一瞬口を結ぶとぎゅ、と杖の柄を握る手のひらに力を込めた。
「___それでも、諦めたくない…と感じています」
ノルン達の周辺に大小の瓦礫が崩れ落ち砂埃が舞う。
そんな中アトラスとアオイはただ、息を呑んで目の前の少女の言葉を聞き届けた。
一瞬の間を置いて、アトラスは見開いていた目を柔らかく細めると、優しく微笑んだ。
それはアオイも同様だった。
「___分かった。サポートは任せろ」
「うん。僕も。きっと倒そう。ノルンちゃん」
アトラスとアオイが優しくノルンの背中をおし、そして再び隣に並ぶ。
ノルンは二人の表情、言葉に眉をひそめ、一瞬瞳を潤ませたあと、一度きつく目を閉じて俯く。
次に顔を上げた時には少女は眉をひそめたまま、しかしどこか嬉しそうにほんの少し口角を上にあげてほころんでいた。
「___はい」
その返事を聞き届けたアオイとアトラスもまた顔を見合わせて口角を上げるのだった。
次の瞬間ワイバーンがカチカチと口を鳴らすと再び炎の吐息を先程よりも熱量を上げて吐き出した。
すぐにノルンが防御魔法を展開する。
熱波は防ぐことが出来ず今すぐにでも肌が焼かれてしまいそうだが、ノルンの防御障壁が壊されることは無い。
ワイバーンが攻撃をやめた瞬間勢いよくノルンは浮遊魔法でワイバーンの顔先まで飛び立つとその鼻先に杖の切っ先を差し向けた。
「___天砕く雷の魔法」
そして少女の声と共に黒紫に空間を断裂する稲妻がワイバーンに放たれたのだった。