152.切望
風がざわめく中告げられたグレイの言葉にノルンは大きな瞳を一層大きくした。
(____いま、なんて…)
唇が震え、瞳は揺らめく。
グレイはたしかに今知っている、とノルンに告げた。
聞き間違いではないだろうか。
本当に、本当に___。
動揺するノルンの横では、グレイの言葉にアトラスとアオイもまた驚きを隠せないようだった。
___今まで、何度この質問をしてきた事だろう。
何人に父の名を尋ねたことだろう。
それでもノルンの期待する返事が返ってきたことはなくて。
およそ10年前、父と母と別れた日から二人を思い出さない日はなかった。
ずっと心の中で無事を祈り、旅をするようになってからはその姿を探した。
それでも父の名を知っている人物に出会えることなどなかった。
そう、だったというのに___。
「___っ…」
呼吸がとまり、鼓動の音だけが低く、内に響く。
グレイに話しかけたいのに上手く言葉が出ない。
一気に乾いた口でノルンは一度こくりと唾を飲みこむと震える唇を開いた。
「…グレイ、様」
「うん」
「本当、なのですか」
「…うん。嘘じゃない。俺は今ノルンちゃんが言ったその人物を知っている」
「___っ__!!」
ノルンの瞳の瞳孔が開く。
そしてノルンは普段滅多に変化させることの無い美しい人形のような顔を激しくゆがめた。
「父は…、父はっ………!!」
グレイに迫り、その服を掴む。
その声は普段冷静な彼女から発されたものとは思えないほど、緊迫していて、大きかった。
張り詰めた空気にノルン以外の誰も声を発することは出来なかった。
ノルンがグレイの服を強く握りしめて、顔を勢いよくあげた。
その表情にグレイはおろか___その場の誰もが息を呑んだ。
美しい陶器のような真白い肌は微かに高揚し、眉は顰められて、美しい宝石瞳には涙が滲む。
ほのかに薄く色づいた唇が開かれ、彼女は切迫した声を上げる。
「父は________生きて、いるのですか、」
そして彼女は震える声で、縋るようにグレイを見つめ、そう零した。
ひどく繊細な今にも壊れてしまいそうな少女が、そこにはいた。
涙をこらえるようにきつく結ばれた唇。
揺れる瞳。
グレイは目を見開いたあとで、ノルンを真剣な瞳で見つめる。
そして、ノルンの頭に手を乗せると、柔らかく微笑んだ。
「___うん。生きてるよ」
「____ッ……!!」
グレイはノルンを宥めるように、落ち着かせるように、安心させるように、優しく頭を撫でた。
それが余計に真実なのだと、証明しているようで。
安心していい、と言っているようで。
「……っ…」
ノルンは柔らかく細められたグレイの瞳を見た瞬間、その場に崩れ落ちた。
「ノルンちゃんッ…!!」
「ノルンッ!!」
「ノルンっ…!」
その瞬間、アオイ、アトラス、ポーラの3人は崩れ落ちた少女に駆け寄る。
少女は顔を両手で覆っていた。
アオイはノルンの名を呼びながら恐る恐る震える肩に手を添えた。
すると小さく、小さく、少女から嗚咽が聞こえてきた。
「………ふっ………っ………ぅぅっ………」
ノルンは大粒の涙を零して泣いていた。
その姿にアオイは目を見開く。
少女は泣くことなど無かった。
以前フォーリオに滞在していた頃、ノルンは幼い頃から一度も涙を零したことは無いと、フローリアは零していた。
アラン、レオも一度も見たことがないと、そう、言っていた。
なのに___。
なのに、
「…ノルンちゃん」
少女は今、目の前で肩を震わせて大粒の涙を流していた。アオイは息を呑む。余りに目の前の少女が儚くて、今まで表情を変えることのなかった少女が肩を震わせているのが___余りに切なくて、胸がしめつけられて。
アオイは一瞬躊躇った後にその肩を抱いて、ノルンを優しく抱きしめた。包み込むように背中に腕を回せば一瞬ノルンの身体が強ばったように感じたものの、ノルンはすぐに身を預けるようにしてアオイの肩口を濡らした。
ポーラはおろおろとして、自身も涙を浮かべノルンを慰めるようにその身体にしがみついて擦り寄った。
暖かい仲間の腕の中ノルンは泣き続けた。
それはまるで少女の十年の月日を全て体現しているかのようだった。




