144.いつか
柔らかな風に柔らかな髪が揺れる。
無限に広がる夜空に無数の大小の光の粒が弾ける。
イチョウの木の下で並んで星を眺めるノルンとアオイの前ではポーラが柔らかな草の上にごろんと寝そべっていた。
アトラスもポーラに続いて腕を頭の下に入れると、その大きな瞳に広大な夜空を移した。
もう幾度目かも分からぬ流星が空をかける。
それを目にする度にポーラは熱心にお願い事を呟いていた。
「ホットケーキがたべられますように、ホットケーキがたべられますように…ホットケーキがたべらりぇますように〜…!」
そんな可愛らしい願いごとにアオイは頬を緩める。
「明日のおやつはホットケーキにしなきゃだね」
「はい。楽しみにしています」
小声でポーラに聞こえないように呟く。
それは良い願い事だな、とポーラに返すアトラスの横でエールは腰を下ろして笑った。
「願い事は口にしたら叶わないそうですよ」
「えっ…!!」
「はは」
エールの言葉にポーラは衝撃を受けた顔をする。
その言葉を聞いたアオイとノルンもまた顔を見合わせる。ぱちくりと瞬きをするノルンの横で、アオイはくすりと微笑むとじゃあノルンちゃん、さっきの事は内緒にしておいてね、と言って微笑んだ。
頷くノルンの横でアオイはまた空を見上げる。
柔らかな風にアオイのさらりとした髪が揺れる。
美しく透き通った瞳が露になってはまた隠れる。
そんな様子を何故かノルンは目が離せずぼうっと見ていた。
そして先程願い事はいくつでもいいと言ったアオイの言葉を思い出す。
もし、本当に良いのならば。
ノルンはアオイから目を離して少し先でころころと笑うポーラとアトラスを見つめる。
そして、思う。
___どうか、この時間が永遠であって欲しいと。
いつまでも、この穏やかな幸せな時間が続いて欲しいと。
(…アルが…アオイさんが、ポーラが、ブランが)
誰一人怪我をおうことなくこうして穏やかに笑っていて欲しいと__そう、思った。
そう気づいた時にノルンはふと思う。
いつからこんなに誰かの事を願う様になっただろうか。
旅に出るまでは、フォーリオで暮らしていた頃はこんなにも自分は何かを望む方では無かった。
普段から関わりを持っていたのはフローリア、アラン、レオの三人だけ。
それ以外は極たまに街に降りた際に街の人々と会話をする程度だった。
それでも何時になっても街の人々との接し方が分からず、ノルンは一歩引いて接していた。
しかしアトラスと出逢って。
ブランと再び会うことが出来て。
それからは目まぐるしく何か歯車が、止まっていた時間が動き出したようだった。
旅に出て、色んな人々と関わった。
気づけば、自分の事を仲間だと言ってくれている人達が側にいて。
気づけば、誰かから感謝されることもあって。
ふとノルンは片手をそっとマントの上から胸に当てる。
自分の緩やかな鼓動の振動が伝わる。
そして胸の奥底は暖かい。
これが、心が満たされている、という事なのかと考える。これが、幸せという事なのかと。
「本当に、綺麗だね」
「はい」
「…ありがとう。ノルンちゃん」
夜空を見上げていたアオイの瞳は気づけばノルンに向けられていて。
暗がりの中、その表情が柔らかく緩む。
「…お礼をして頂くことは、私は、何も、」
突然の感謝の意にノルンは戸惑う。
アオイはううん、と言って照れたように、それは幸せそうに微笑んだ。
「僕を旅に連れてきてくれて、ありがとう。ノルンちゃんが居なかったら、僕はきっとこんな景色見られなかったから」
だから、ありがとうとアオイは言う。
ノルンは小さく息を飲んでから小さく零す。
「…いいえ、」
(…いいえ。アオイさん。それはきっと、)
___私の方なのです。
しかし小さく口の中で零した音は拾われることはなく、アオイは再び夜空を見上げては流星を見て嬉しそうに微笑んだ。
「あ。ノルンちゃん。また流れたよ」
「はい」
アオイの言葉に頷きながら星降る夜空の下、ノルンは静かに今を、その瞳に焼き付けた。
*****
「あの一つ一つが何処かで星の欠片となってこの世界に散らばるんです」
煌めく流星に頬を好調させてエールが言う。
「僕はそれを探したいんです」
「はい。…私も、いつか、見てみたいです。エール様の言う星の欠片を」
ノルンがそう言えばエールは嬉しそうに目を細めはにかんだ。
「それじゃあな。エール。お前も旅をしてるなら何処かで会うかもしれねぇな」
「はい。きっとまた会いましょう」
一晩中流星を眺めたあとで、薄らと明るくなり始めた空の下、ノルン達はエールと別れを告げる。
「エールさん。お気をつけて」
「はい。アオイさんも」
「また会おうね!エール!」
「はい。ポーラさん」
それぞれが別れの言葉を交わしノルンもまた口を開く。
「…エール様。フォーリオ、という街はご存知ですか」
「もっ…勿論です!…星が降るといわれる美しい街…!」
ノルンが首を傾げるとエールは興奮したように頬を染めてぐいっとノルンに近づく。
しかし直後、残念そうに、ただまだ其方の方には行けていなくて行ったことは無いのですが、と眉を下げて呟いた。
「そうですか。ではいつか、きっと訪れてみてください。きっと今度は空も地上も、星が瞬きますから」
ノルンがそう言えば、エールは一瞬意味がわからず、ぽかんとして瞬きを繰り返した。
ノルンはその様子を見て少しだけ表情を和らげると丁寧にお辞儀をした。
「それではエール様。エール様の願いが叶うよう祈っております」
「あっ…うん!ノルンさんも」
その言葉にノルンは頷く。
ブランの背中で後ろを振り返りいつまでもエールに手を振るポーラにエールは手を振り返す。
ノルンとアオイは一度振り返ってアオイは笑って一度手を振って、ノルンは頭を下げた。
アトラスは横顔だけ見せて微かに笑みを浮かべ旅路へと向かっていった。
彼らの後ろ姿が見えなくなったあとで、ふと不思議な夜だったとエールは思う。
白み始めた空の上には未だ星が薄く光を放つ。
不思議な旅人達だった。
馬鹿にする人も多い、浮世じみた夢を笑うことなく肯定してくれた。
また、会いたいな。
そう思ってエールもまたノルンたちが去った方向とは反対方向に足を向けた。
いつかの、その時にはきっと、眩い星をこの腕に抱えて___また星があまねく夜空の下で。




