143.叶うなら
ノルンが目を開くとノルンの傍らに立っていたアオイが目元を和らげてノルンを見ていた。
「ノルンちゃん。お願い、できた?」
「はい。…間に合った、かはわかりませんが」
「そっか。僕も」
にこにこと笑いながら嬉しそうに言うアオイにノルンはその顔をぼうっと見つめる。
いつも優しげに笑う彼は何を願ったのだろうか、とふと思う。
そして気づけば口を開いていた。
「…アオイさんは、何を願われたのですか」
「え?」
アオイが一瞬きょとんとする。
そこでノルンははっとして、慌てて訂正する。
人の願いを聞くなんて失礼なことだったのかもしれない。
「…すみません。軽率に聞いてしまいました」
ノルンが少しまつ毛を伏せて謝るとアオイはすぐにいつもの様に表情を和らげてううん、と首を振った。
「全然。僕は…在り来りかもだけど家族の幸せかなぁ。変わらず皆元気に過ごせますように、って。後は…」
「…?」
「あ…ううん。なんでもない」
「そうですか」
一瞬ちらりとノルンを見てアオイは言い淀むとどこか照れを隠すように笑ってで首を振った。
家族、と聞いてノルンは今日の昼間に話していたことを思い出した。
ノルンは家族というものの定義が分からなかった。
しかしアトラスは自分から見れば間違いなくフローリア、アラン、レオはノルンの家族だと言ってくれた。
むしろそうでないと言ったものならばアランは絶望すると。
(…家族___)
フローリア、アラン、レオのことを他の誰とも比べられないほど大切に思いながら、何処かでノルンは三人から一線を引いていた。
三人が物語の主人公であるならば自分はあくまで脇役であるかのように。
三人のいる場所にスポットライトが当てられているのならば、ノルンのいる場所は光が当たらぬ影のように。
「…アオイさん」
「うん?」
「…家族、とはどのような定義の元成り立つのでしょうか」
「え?」
アオイは突然ノルンの口から発せられた言葉に声を漏らす。
そして改めてノルンの表情を見ればノルンは少しばかり瞳を伏せてその下で暗く、美しく光を放つ瞳を揺れさせていた。
その表情はまるで道に迷う小さな子供の様だった。
質問の内容にしても普段の物知りで大人びた様子のノルンから出た言葉とは思えないようなものだった。
しかしアオイもまた少しづつではあるものの、ノルンと共に旅を初めて、ノルンという少女と接していて分かったことがあった。
それは彼女にも欠けているものがあるということだった。容姿端麗、冷静沈着である非の打ち所の無いように見える少女。
しかしその半面、どうもノルンは精神面で幼いところがあるらしい。
恐らく今も、その質問の裏には今日話していたフローリアやアラン、レオの事があるのかもしれない。
「う〜ん、定義かぁ。難しいね」
「…そう、ですよね。すみません。変なことを聞いてしまって」
「ううん。…これは僕が思うに、なんだけど」
補足するように言えばノルンは少し不思議そうな顔をしてアオイを見つめた。
「勿論、自分を産んでくれた人、一緒に暮らしている人、育ててくれた人は家族って言えるんじゃないかなぁ」
「……育てて、くれた人」
「うん。あとは…」
アオイは星空に向けていた視線をノルンに戻して、考え込むように少し眉を顰めるノルンに向けると柔らかく微笑んだ。
「どんな人でも、そこに愛情があればきっと家族なんじゃないかな」
アオイが優しく小さな子供を諭すように言えば、ノルンはその瞳を薄く見開いた。
まつ毛に陰っていた瞳にまるで光が宿ったように。
美しい瞳の中で星が瞬いた。
「…あい、じょう」
「うん」
薄く開いた唇から慣れていない言葉を使うように不格好にノルンが呟く。
アオイは微笑んで頷く。
「…きっとノルンちゃんはフローリアさん、アランさん、レオから愛されていると思うよ」
「………」
ノルンの瞳はアオイを見つめたまま揺れ続ける。
まるで初めてのものに触れた時のように。
不安定に、戸惑いを浮かべつつ、ノルンは必死にアオイの言葉を拾う。
「…フローリアさんはノルンちゃんを育ててくれたんだよね」
「………はい」
「アランさんはいつも沢山の手紙をノルンちゃんに届けてくれているよね」
「…はい」
「…レオも、ノルンちゃんに星を見に連れてってくれたんだよね?」
「…はい、」
頷くノルンにアオイはうん、と言うと嬉しそうに笑った。
「きっと全部、ノルンちゃんのことが大切だからだよ」
「……たい、せつ」
「うん。…ノルンちゃんはどう?」
突如名を呼ばれ、ノルンは少しの戸惑いをうかべたまま首を傾げる。
「…私ですか?」
「うん。ノルンちゃんもフローリアさん達のことを大切だと思うならきっと家族って思ってもいいんだよ」
アオイの言葉にノルンは息を呑んだ。
そして順に、フローリア、アラン、レオを思い浮かべた。
何故だかアオイにそう言われた今、3人のことを思い出すだけで胸が震え、涙が滲みそうになった。
大切だ。
大切に決まっている。
一人ぼっちになった自分に手を伸ばしてくれた最愛の人たち___。
微かに俯いてまつ毛を揺らしたノルンにアオイは少し眉を下げてそっと優しく囁いた。
「ノルンちゃん。大切なものはきっと___大切だって言っていいんだよ」
その言葉にノルンは伏せたまつ毛の下瞳を揺らすと眉をひそめて、唇を結ぶ。
そして震える声でアオイに返事をした。
「…はい。…大切、です。___私は、きっと師匠が…アランが…レオが、大切です」
ぽつりぽつりとそう初めて口にした言葉は、ノルンの胸にすっと馴染んで、今まで感じていた孤独感や寂しさを柔らかく溶かしていった。
少しの間を置いてノルンは顔を上げると優しく微笑むアオイを見つめ返した。
その表情はもう、道に迷う幼い子供ではなくて。
迷いを振り切ったような、清々しさがあった。
彼女はアオイの瞳を見つめ返してから一度、光が瞬く夜空を仰いで言った。
「…アオイさん。願い事はいくつでも良いのでしょうか」
「え?…ふふ。いいんじゃないかな。きっと」
___もう一度。願うなら、どうか最愛の家族の幸せを。




