138.約束
金花草はゆらゆらと揺れる。
銀杏の葉がサナエを包み込むようにはらりと螺旋を描いて舞い落ちた。
貴方が居なくなってしまってから世界は白黒になって匂いも音もしなくなった。
けれどサナエの前には金色に輝く金花草が揺れている。懐かしい華やかな香りが鼻を掠めて余計に涙が出る。
___きっと君は私の願いを聞き届けてくれると信じている。
サナエ。本当に心から感謝している。
君と出会えて良かった。
手紙は最期にそう締めくくられて終わっていた。
サナエは思わず手紙を持つ手を額に着けてしゃがみ込んだ。
言いたいことは山ほどある。
でもきっと、それはしばらく告げることは出来ないのだろう。
年甲斐もなく小さな嗚咽が盛れる。
口に手を当てて声を抑える。
(…あぁ。会いたいわ。…マサトさん。貴方に会いたい)
叶うはずもないことを願う。
今になって漸く、一年も経て、漸く。
マサトが居なくなったことがストンと胸に落ちてきた。もうあの人は居ないのだと、今になって漸く理解した。
金花草の前でしゃがみ込むサナエをノルンは静かに見守っていた。
サナエが手紙を読む間一言も発することはなく、気配を消して見守っていた。
しかし目の前で膝を折りたたんで涙をこぼすサナエにノルンの瞳が揺れた。
肩を震わせるサナエを呼ぶ声がした。
傍らに人の気配を感じる。
「サナエ様」
涙を流しながらサナエがそちらを向けば人形のような少女が眉を寄せて切なげにサナエを見ていた。
「…ごめんなさい。ごめんなさいね。ノルンさん」
すぐに止めますから。
そう言おうとするが声が出ない。
涙は止まらない。
しかしそんなサナエにノルンは小さく首を横に振った。そして何を言うでもなくサナエに可愛らしい刺繍のついたハンカチを差し出した。
その不器用な優しさにまた涙が零れた。
ハンカチを差し出すその表情は不安げで先程よりも随分と幼く見えた。
サナエは情けないと思いながらもノルンの好意に甘えることにした。ハンカチを受け取って涙を拭う。
サナエの涙が止まるまでノルンはただ何を言うでもなくサナエの傍に寄り添ってくれたのだった。
しばらくして漸く涙を止めることができるとサナエは改めてそこで年甲斐もなく泣きじゃくってしまったことに情けなく恥ずかしくなり苦笑する。
「…ごめんなさいね。すっかりお客様の前で取り乱してしまって…恥ずかしいわ」
「いいえ。…いいえ、そんなことはありません。決して」
口数少ない、その言葉にサナエは頬を緩ませる。
そして改めて金花草を見ようと立ち上がろうとすればノルンの手が差し出される。
申し訳なく思いつつもその手を借りて立ち上がれば可愛らしい金花草が小さな庭一面に咲き誇っていた。
サナエは涙を未だ滲ませながら皺のついた頬を緩く引き上げた。
そして両手で手紙を慎重に折り畳むと、それを胸へと押し当てた。
___どうか君が私の元へ再び来るまでは金花草で出迎えてはくれないか。
マサトの手紙の一文が蘇る。
サナエは一度まぶたを閉じるとゆっくりともう一度目を開けて可愛らしく揺れる金花草を視界に入れた。
___えぇ。えぇ。そうしましょう。それが貴方の最期の願いであるのなら。
(…きっと、きっと。毎年この庭に金花草を植えて咲かせるわ)
だから。そうしたらきっと、会いに来てくださいね。
約束ですからね。
マサトさん。
金花草を見つめるサナエの瞳は柔らかく、雨の後の雨露の様に光ってもうノルンが来た時のように悲しみに暮れてはいなかった。
*****
サナエに金花草の庭を贈るとノルンはサナエの家を去っていった。
サナエはノルンに礼がしたいと言ったが、ノルンは優しく首を振るだけで何も望まなかった。
しかしそれではサナエも納得がいかず、自分に何があげられるだろうかと悩んでいたところ、目の前の少女は遠慮がちに口を開いた。
「…では、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「…え?」
夕日に照らされて輝くその宝石目に魅入られる。
少女はその後小さく呟いた。
___シリウス・スノーホワイトという人物をご存知でしょうか。
と。
それは本当に…寂しげに、切なく、どこか諦めを含んだ声色のようにも聞こえた。
サナエが心を痛めながらも首を降れば少女は分かっていたというように頷いた。
その姿が余りにも儚くて、サナエはノルンが去っていった後もずっとノルンの表情が頭に焼き付いて離れなかった。




