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norn.  作者: 羽衣あかり
“未亡人と少女”
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137.灰色世界

 ___初めて君と出会った時のことを覚えているだろうか。


 ええ。勿論。


 ___仕事に向かう私は急いでいて書類を落としてしまった。その時君が拾ってくれた。

 君は無愛想な私に笑いかけてくれた。

 それから話をするようになって、共に生きる約束をした。君はどんな時も変わらず朗らかに私に話しかけ、私の心を癒してくれた。


 サナエの瞳が僅かに揺れる。

 そんな風に貴方は思ってくれていたのか、と。


(…貴方は無愛想だなんて言うけれど。私にとってはちっともそんなことは無かった)


 ___眼鏡の奥で優しげに細められた瞳を知っている。貴方は何時だって私の話を正面から聞いてくれていた。


 ___本当に感謝している。

 私と共に生きてくれたこと。

 私と出会ってくれたこと。

 …言葉にするということは難しいな。

 だが最期くらい君に感謝を伝えたい。

 ありがとう。

 君と出会えて、君と同じ時間(とき)を過ごせた。

 私の人生は心から満足のいくものだった。


「……っ……」


 サナエの眉が切なげに寄せられる。

 そしてその瞳からはぽろぽろと涙が溢れた。

 大切な手紙が濡れてしまわないように少し顔から手紙を離す。

 隣に少女が居ることも忘れてサナエは涙を零した。


 ___だが、一つ心残りがある。

 それはやはり君のことだ。


 サナエは小さく息を呑んだ。

 呼吸が乱れる。


 ___私が居なくなって君はどうしているだろうか。

 変わらず日が登れば目を覚まし、朝食を食べているだろうか。少し庭に出て草木の世話をしたら昼食を食べているだろうか。十五時には休息をとって君が好きな紅茶を今も飲んでいるだろうか。

 夕食を食べたあとは読書をして穏やかな眠りについているだろうか。

 ただ、それだけが気がかりだ。


 視界が霞んで文字が上手く読めない。

 手紙を読もうとして手紙に顔を近づけるけれど涙が滲んでしまいそうで。

 サナエは懸命に綴られた文字を追う。


 ___しっかり者の君だから私が心配する様なことはないのかもしれない。

 しかし、私が先にこの世を去ったことで君が心苦しい日々を送っている様なことがあれば…。

 私は今、その時のためにこの手紙を綴っている。

 この手紙は信頼のおける人物に託すつもりだ。

 そしてこの手紙が君のもとへ届き、君が今、この手紙を読んでいるのならば、その者はきっと私の願いを聞き届けてくれたのだろう。


 ___きっと、君の瞳には金色の花が映っていることだろう。


 風がふきぬけて一面の金花草が揺れる。

 サナエはその風景に唇を結んだ。


 ___君はこの花を好んでいたはずだ。


(…ええ。えぇ。………えぇ、)


 そうだった。

 何時しか彼にこの花が好きだと伝えた。

 子どもの頃に見かけてその丸く球のように弧を描く花弁が可愛らしくて。

 でも歳を重ねるにつれてあまり見かけることはなくなって。

 またいつか見てみたいとマサトさんに話したことがあった。

 たわいも無いただの雑談だった。


 ___でも。貴方は。


(…金花草を私に持って来てくれた)


 3輪ほどの金花草を包んで彼はそれを私に手渡した。

 そして、その花と共に人生を共にする約束をした。

 今日みたいに木の葉が輝く季節だった。

 一面金色で美しい場所だった。

 嬉しかった。

 たわいも無い話を覚えていてくれたことも。

 私の好きだと言ったこの花を探す為だけにきっとあちこちを駆け回ってくれたのだということも。

 全てが嬉しくて___愛しかった。


 ___本当ならば、私がこの手でもう一度探し出して君に直接渡したかった。

 だが、叶いそうもなくなってしまった。

 だから情けないが彼女に託す事にした。


 ___金花草は短い開花期間を終えるとその花に種をつける。そしてその種はまた翌年長い時間を経て同じ花を咲かせる。


 ___サナエ。秋になれば私はきっと君のもとへと帰る。その時に金花草を家の前に咲かせてはくれないか。それを目印にきっと私は君のもとへ行く。

 だから、どうか君が私の元へ再び訪れるまでは金花草で私を出迎えてはくれないか。


「…っ…そんな…無茶苦茶だわ…」


 秋になれば故人は家族の元へ数日戻る。

 この国の人々はそう信じている。

 サナエは手紙を持つ指に少し力を入れた。

 紙がくしゃりと鳴る。


 マサトから送られた最期の手紙はまるで。そう。まるで。


 サナエに生きろと伝えているようだった。

 もう、貴方は居ないのに。


(…それでも貴方は生きろというの)


 サナエの瞳から流れる涙は止まることを知らぬようだった。

 夫を思って涙をこぼすことは何時ぶりだろうか。

 夫を失って以降深く彼のことを考えないようにしていた。

 薄情だっておもうかしら。

 でも、仕方がなかった。

 貴方を思うと寂しくて辛くて、苦しくて、夜も眠れなかったのだから。

 だから、貴方はとの記憶から目を逸らした。

 でも、駄目だった。

 この家には貴方との思い出が多すぎて。

 全ての物が貴方を彷彿とさせるから。


(…私、ちっとも分かっていなかった)


 貴方の居ない日々はこんなにも寂しいものだったということを。

 こんな手紙を残して、貴方は逝ってしまったけれど、貴方は本当に私のことを何も分かっていないわ。

 私はただ、ただ___本当に貴方さえ側にいて生きてくれたら幸せだった。

 他に、何も望まなかった。

 穏やかに、四季の移ろいを二人で眺めて過ごしたかった。今年も。来年も。再来年も。その先も。ずっと。

 もう伝えることも、叶うことの無い仕様のない願いだと分かっていてもそう思わずには居られなかった。















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