132.植物研究学者と薬草使い
白く華奢な手が黒いマントから伸びる。
そしてその指先は黒いマントの上に乗っかっているような不気味な、それでいてどこか子供じみた仮面に伸ばされた。
おずおずと、ゆっくりとした動作でその人物は仮面を外した。
半分だけ仮面がずらされたそこには怪しげな人物の本当の素顔があった。
マサトは思わず分厚い透明なガラスの奥で少し目を見開く。
そこにはまだまだ幼い少女が居た。
柔らかなホワイトブロンドがひと房、肩へと流れる。
小さく口を噤んでマサトを見つめる少女の瞳の中にはきらきらと星が瞬いていた。
「…これは驚いた」
ぽつりとマサトが零す。
少女はマサトの反応に少し気まずそうに視線を逸らした。それにマサトははっとするといや、すまない、と謝罪を口にした。
「…顔を見せてくれてありがとう。改めて私はマサト。この森から少し離れた場所に住む植物学者だ」
マサトが眼鏡の奥で視線を和らげれば少女は静かに頷いた。
そして薄い唇を少し開く。
「…ノルンと申します」
決して大きくはないけれど透き通った声はマサトの耳にすっと入った。
「そうか。ノルンか。改めて礼を言わせてくれ。魔物たちから救ってもらった上に看病まで…助かった。感謝している」
マサトはゆっくりと立ち上がり、ズボンについた土を払い落とすとノルンに言った。
その言葉にノルンは小さな頭を小さく横に振った。
「…いいえ。私が勝手にした事ですので、お気になさらないでください」
マサトからノルンへの第一印象は子供らしくない子供、だった。
背は低く身体は小さく、細い。
しかしその話し口調や佇まい、少しも動くことの無い表情はとても子供らしいものとは言えず、むしろだいぶ大人びて見える。
少女の際立ちすぎる容姿も相まって少女はどこか別世界の人間のように見えた。
「…そうか。だが、礼はさせてくれ。先程も言ったが良ければこの花を持っていってくれないか。きっと君の役に立つ」
マサトは手元の花をノルンに差し出す。
ノルンは再び花に興味を示しているものの、中々踏み切れないといった様子で、その時ほんの少し眉をひそめて見せた。
「さぁ。私からのせめてもの礼だ。どうか受け取ってくれ」
続けてマサトにそう言われると漸くノルンは静かに申し訳なさそうに頷き、ゆっくりと花を受け取った。
そして花を受け取るとすんすんと匂いを嗅いだり、花を眺めたりしてマサトから受け取った花にとても興味を示しているようだった。
その後ノルンとマサトは少し場所を移動して森の中の池のほとり、白樺の木が茂る場所にやってくるとそっと転がって少し朽ち白樺の丸太に腰を下ろした。
ノルンが連れてきた馬は再び湖にやって来ると水面に顔を近づけて水を飲む。
「そうか。君は薬草使いなのか。その歳ですごいな」
ノルンはその言葉に首を振る。
「…いいえ。私にそれほど薬草使いとしての知識はありません。すごいとマサト様が仰るならそれは私の師匠の力です」
「そうか。君には師がいるのか」
「はい」
話の途中で何度かマサトは先程のように咳を何度か繰り返した。
ノルンが心配をして声をかけるもマサトは「いや…。すまない。大丈夫。いつもの事だ」、とどこか誤魔化すように言った。
薬草使いと植物研究学者。
似たもの同士の者たちが出逢えば話題は尽きなかった。
ノルンはマサトに先程の花の名前、生息地、効用などを事細かに質問した。
マサトは丁寧にそれに答える。
するとノルンはマサトの知識に感動したのか、何やら馬が積んでいたトランクを下ろすとその中から一冊の紙の束を纏めた物を取り出すとマサトに見せた。
そこには何十ページに及ぶ植物が一本の線でわかりやすくスケッチされていた。マサトはその量に、わかりやすく描かれたスケッチに思わず息を呑む。
話を聞けばノルンは師である薬草使いの代わりによく、短い間ではあるものの旅に出るそうだ。
現在も正にその旅の途中。
そこからの帰り道にマサトを発見したのだとノルンは詳細を話した。
そしてどうやらノルンは自分がまだ見たことの無い知らない植物に出会うと丁寧にスケッチをしていた様だった。
今もこれは、マサト様、此方は、と聞いてきてはマサトの言葉を聞きもらさないようにして紙に筆を走らせていく。
マサトもまた学者という性分からノルンの質問に対してそれは熱心に答えた。
今では植物のする話をする相手なぞ妻以外に居なくなってしまった、とマサトは途中零していた。
そんな出会いを通して偶然出会った二人はその後も何度か手紙のやり取りを通して交流を続けた。
ノルンから旅先で見つけた植物のスケッチを送ることもあった。
またさほど遠くまで移動することの出来ないマサトから依頼を受けてノルンが植物を採取する事もあった。
お互いがお互いの近場に訪れれば、草原で、森で、湖で、花畑で腰を下ろし会話を交わした。
そんな交流は数年、穏やかに続けられた。




