127.玉砕と救済
ココナはカウンターの後ろの厨房に居るようだ。マドラは店を見渡すとココナの姿がまだ見えないことに少し安堵した。
緊張からなのか表情を固くするマドラ。
とりあえず落ち着け、とアトラスが水を差し出せばがたがたと震える手でグラスに口をつける。
そんな様子をアオイはグラスを落としてしまわないかと心配げに見つめていた。
「そうだ。マドラさん。何食べますか?今丁度メニューを見てたんですよ」
マドラの緊張を解そうとアオイが朗らかに話しかける。マドラは頷いてメニュー表を受け取る。
そしてメニュー表に視線を落とした時だった。
「あら?お客さんが増えて…ってまぁ。貴方マドラさん?」
厨房の暖簾から顔を出してノルン達の席に目を向けたココナが驚いたように声を出した。
突如想い人が登場し、また自分の名前を呼ばれマドラは目を見開き汗を滝のように流して小さく返事とも言えぬ返事をした。
ココナがグラスを一つ追加で手に持ってマドラの横にやってきた。
「旅人さん達とお知り合いだったんですね。それにしても嬉しいなぁ。マドラさん、同じ村に住んでいるのに何故かタイミングが合わなくて、お話したことありませんでしたよね」
どうぞ、とグラスをマドラの前に置くココナの言葉にアオイとアトラスははらはらしながら俯くマドラを見つめた。
「お店にもいらっしゃったことなかったですよね?今日は来てくれて本当にありがとうございます。嬉しいです。何にしますか?今日は夏野菜たっぷりのカレーとハンバーグがおすすめですよ」
ノルン達に説明したのと同様にココナはお盆を胸の前にして可愛らしく微笑んでみせた。
すると突如マドラが勢いよく椅子から立ち上がった。
「…コ…ココナさん…!!」
突如目の前で立ち上がって名を呼ぶマドラにココナは目を丸くして一瞬遅れて返事をした。
ノルンは突然の出来事に少し目を見開いてマドラを見た。
「は…はい」
至近距離で見つめ合うほぼ初対面の男女二人。
アトラスとアオイはいよいよまずい予感がして顔を青くさせた。
「ま…マドラ…」
アトラスが呼びかけた時にはもう遅く。
マドラはすぅっと息を吸うと声を大にしてココナへの愛を叫んだ。
「…ずっと…ずっと、貴方のことが好きでしたッ…!!…良ければお付き合いしてくださいっ…!!!!」
「………………へ…?」
「(…言ったーーーーーッ…!!)」
その瞬間アオイとアトラスは思わず内心で悲鳴をあげていた。
ノルンだけは突如目の前で行われた公開告白に何事かと瞬きをしてきょとんとしている。
そして愛の告白を受けた当の本人ココナもまた何が起こったのか分からないと言った様子で間抜けな声をあげていた。
当初の予定では皆で夕食を食べたあと、人が少なくなったところで少しの間ココナを外へ呼び出しそこでマドラが思いを伝えるという予定だった。
しかしマドラは度を超える緊張からか、焦りからかココナが目の前に立った瞬間に思いの丈を叫んでしまった。
嫌な予感というものは当たるものだ。
突如落ちたなんとも言えぬ気まづい静寂にアオイとアトラスは同情の視線を送ることしか出来なかった。
恐る恐るマドラとココナに視線を向ける。
マドラは乱れた呼吸を整えるようにはぁ、はぁと肩を小さく上下させて呼吸を整えている。
そしてココナはと言えば戸惑ったように視線を動かして、そして数秒後に口を開いた。
答えは___。
「…あ…あの、ごめんなさい」
否だった。
アオイは眉を八の字にして口を結んでマドラを見つめる。アトラスは頭を抱えている。
正直なところを言えばそうだよなぁ、と言ったところである。むしろこれで成功してしまう方が怖い。
本来ならば告白とは言うものの、想いを伝えて少しずつ仲を深めていきたい、自分のことを知ってもらいたい、という意を伝えるという話だった。
けれどマドラは結局それを伝えることはなく、ノルンに練習をしていた時のように真っ直ぐ自分の気持ちをココナに伝えたのだった。
ノルンも状況を少しばかり理解しているのか、はたまた目の前の今にも塵になりそうなマドラを案じているのか、心配げな雰囲気だ。
マドラが言葉を発する様子は無い。
余りのショックにより呆然としている。
しかしそんなマドラに声をかけたのも目の前にいるココナだった。
「…あの。マドラさん」
「……………はっ…はい」
ココナが申し訳なさげに気遣うように名を呼ぶ。
「…お断りしてしまってすみません。その、まだ余りにもあなたの事を知らなさすぎるので…」
「…………ぅ…そ…そう、ですよね…」
ココナの言葉にマドラは漸く状況を理解し自分が振られたということを理解したのか俯く。
「…はい。でも」
ココナが言葉を切る。
マドラは奥歯を噛み締めながらも続きを言わないココナを不思議に思ったのかゆっくりと顔を上げた。
そこには困ったように、けれど嬉しそうに微笑むココナがいた。
「お気持ちすごく嬉しかったです。ありがとうございます」
「………っ………ココナ…さん…」
「…それで、急にお付き合いは難しいですが、少しずつマドラさんの事を教えてくれませんか?せっかく同じ村に住んでいるのですから。これからはたくさんお話しましょう」
「…僕のこと…」
「はい」
予想外のココナの言葉にマドラの瞳に、悲しみなのか、はたまた喜びなのかわからない涙が浮かんだ。
マドラは泣きそうな目元を必死に擦った。
そして必死に頷いた。
ココナはそれを見てまた微笑んだ。
「ふふ。そうですね。それじゃあ…まずは」
マドラは首を傾げる。
___貴方の好きな食べ物はなんですか?
そう言うと、目の前の想い人は柔らかく微笑んで可愛らしく首を傾げたのだった。
*****
翌日村の入り口でノルン達はマドラと向かい合っていた。昨夜数年思いを秘めてきた人物に振られ玉砕したと思われるマドラだったが、その後のココナからの言葉により一気に気を持ち直していた。
その印に振られた翌日とは思えぬほどマドラの顔色は良かった。
「もう行くのか?」
「おう!」
「そうか。お前たちは旅をしているんだもんな。そういえばどこへ向かってるんだ?」
「…ベルンです」
「そうか。いいなぁ。俺も一度でいいから行ってみたいよ」
マドラは羨ましそうに言う。
軽く挨拶がわりの話をしてノルン達が村を出ようとする。そこでマドラはノルン達を引き止めた。
「…あ…あのさ。その、ありがとうな。君たちが居なかったらきっと僕は…ココナさんと話すことなんて出来なかったから」
恥ずかしいのか視線を逸らしてどこか気まづそうに頭をかいて伝えるマドラ。
「いや?俺たちはたまたま居合わせただけだぜ」
「うん。頑張ったのはマドラさんですよ」
アオイに同意するようにノルンも小さく頷く。
「それで、あのお嬢さんのことは諦めるのか?」
アトラスがどこかからかうようにマドラに笑いかければマドラはとんでもない、と言った様子で首を振った。
「まさか!これからは僕のことを知ってもらって、それで、時間がたってからもう一回伝えてみるさ…!」
「そうか!頑張れよ」
拳を握って意気込むマドラにアトラスは嬉しそうに笑う。そして「んじゃ、またな」と言ってアトラスが背中を向けたのを合図にアオイとポーラも別れの言葉を述べた。
ノルンが最後にマドラと向かい合う。
「…本当にありがとう。ノルンちゃんも…またな。気を付けて行けよ」
「はい」
マドラの言葉に頷き、そこで別れの言葉の続き述べようとしていたノルンはそれでは、と言おうとして一瞬口を一度閉じる。
マドラが不思議そうに首を傾げる。
そこでノルンは一瞬黙ってマドラの瞳を見つめたあとで小さく口を開いた。
「………………がいいと思います」
「え?」
風にノルンの声が攫われてよく聞こえなかった。
マドラが聞き返せばノルンはもう一度口を開く。
そして。
「…お花がいいと思います」
脈絡もなく突然そう言った。
ノルンの言葉にマドラ含め、ノルンの後ろに立つアトラス達も首を傾げていた。
「…次に、マドラ様がココナ様にプレゼント…を渡す機会というものがありましたら」
そして何故か少し片言でそう告げた。
その言葉に漸くマドラはノルンに昨日初めて会った際に自分が質問した内容の話だと気づいた。
初めに聞いたノルンの貰って嬉しいもの。
「…きっと…嬉しい、のだと思います。私が…もし、何方かから頂いたとしたら」
何故か疑問形で話す彼女。
その文脈はどこか拙くて片言で。
にこりとも笑わないどこか大人びた彼女が一気に幼く見えた。
そんなノルンを見て思わずマドラの表情がきょとんとしたものから緩んだ。
ずっと考えていてくれたのだろうか。
昨日から。
何気なく聞いた質問の続きを。
そう考えたら自然と頬が緩んだ。
「…あぁ。そうか。覚えておくよ。それなら参考になりそうだ」
正直にそう伝えれば、目の前の少女は少しだけ目を見開いて、ほんの僅か。
ほんの一瞬だけその美しい瞳に弧を描いてみせたのだった。




