119.一緒に
ぬるい熱を持った風が通り抜ける。
ノルンと向かい合っていたポーラは口をくの字に曲げると縋るように目の前の少女の名を呼んだ。
「のるん…」
「はい」
「のるん〜…」
「はい。ポーラ」
気の利いた言葉のひとつもかけてくれる訳ではない。
慰めの言葉をかけてくれる訳でもない。
励ましの言葉をかけてくれる訳でもない。
叱責することもない。
誰を責めることもない。
抱きしめてくれることもない。
頭を撫でてくれることも無い。
ただ淡々とそこに居てその少女は幾度となく呼ばれる自分の名に返事をし続けた。
「あのね…本当はね…」
「はい」
ポーラが小さな手で大きな瞳からこぼれ落ちるものを何度も拭う。
「…僕も…ノルンに…ついていきたい」
「…はい」
そう告げたポーラは目元を擦る手を止めて、訴えかけるようにノルンと真正面から視線を合わせた。
「…本当はね…」
「はい」
「…言っちゃいけないと思ってっ….」
「はい」
「…ここまで…連れてっ…きて、もらったか…ら…」
「はい」
「わがまま、いったら…だめだと…思って」
「…はい」
でも、とポーラは続ける。
「…ぼく…ノルンたちのこと…大好きに…っ…なっちゃった…からぁ…」
嗚咽を漏らし、呼吸を乱しながらポーラは必死にノルンに伝えまいと言葉を紡ぐ。
ノルンは一度も目をそらすことなく静かに頷く。
「だか…ら…」
「………」
「ぼく…ぼく…なにも…できっない…けど、がんばるから…」
ポーラはしゃくり上げる。
「…ぼく…ノルンのそばに……そばに、いて…いいかなぁ…っ…?」
ポーラの言葉にノルンは静かに息を呑んだ。
___そんなことを誰かに言われたのは初めてだった。
面と向かってこうして、誰かに必要とされたことなどなかった。
鼻の奥がつんとした。
言葉が上手く出てこなかった。
そのためノルンもまた頷くとしか出来なかった。
「はい」
たった二文字だけ。
それしか言えなかった。
「………のるん。…いいの…?…ぼく、これからも…一緒にいられる…?」
「…はい。ポーラ」
ポーラの言葉に胸が締め付けられている感覚はするのに、それと同時に嬉しさも芽生えて。
ノルンは少しばかり眉根を寄せて、眉尻を落としていた。瞳は少しの弧を描いて細められていて。
両の口元はほんの数ミリほど上に上がっていて。
光を受けて輝くその瞳は一瞬何かを反射したようにキラリと光った。
その表情を移した黒曜石の瞳からはまた滝のように水が溢れ出した。
「わあぁぁぁんっ…!…のるん…のるん…のるん〜ッ」
ポーラは目の前にいたノルンに数歩駆け寄るとその細く柔らかな身体に自身の小さな体躯を押付けた。
美しいマントに雫が吸い込まれていく。
その様子を黙って見守っていたアトラスとアオイは安心したように息をついた。
そしてまた小さな仲間がこれからも共に旅をすることになった事に喜び微笑んだのだった。
ポーラが涙を止め落ち着きを取り戻した時には日は傾き始めていた。
ポーラの顔には泣いた跡が残り、目の下は擦ったためか赤く腫れていた。
ノルンは手の内から氷を一欠片作り出すとハンカチにくるんでポーラの目元にあてた。
「さぁて。んじゃポーラもこれからは旅の仲間になったってわけだな」
「そうだね。良かった。これからも一緒だなんて嬉しいよ。もうなんだかポーラが居るのが当たり前になってたからね」
アトラスとアオイがそう言えばポーラはまた瞳を潤ませたのでノルンがこぼれる前に拭う。
「それはそうとノルン。記録は終わったのか?」
「はい。今日のお昼頃に」
記録というのは此処の生体植物のことだ。
アトラスとアオイはノルンが記録をつけ終わるまで出発を待っていてくれた。
「それじゃあそろそろまた旅に戻るとするかぁ」
「はい」
「アトラスはもう色んな人への挨拶はいいの?」
「おう!もうとっくに済ませたぜ」
そう言ったあとで、不都合がなければそれなら明日にでも出発をしようという話になった。
そこでノルンはポーラに視線を移す。
共にこれから旅をすることになったはいいものの、ポーラにとっては余りに急なのらではなかろうかと、心配してのことだった。
それはアトラスも同様の様だった。
「てことで、明日にでも出発しようと思うが…ポーラは大丈夫か?」
「…うん」
ポーラは少し間を開けてからこくんと頷いた。
「そっか。でもちゃんと挨拶はしていきたいよね。ほらポーラのお母さんとかホーラスさんとか」
アオイがそう言えばもう一度ポーラは今度はすぐに小さく頷いた。
「んじゃこのまま行くか!出発するなら島の奴らが眠ってる早朝くらいが丁度いい」
「…そうですね」
ノルンもアトラスに同意する。
それはポーラを思ってのことだった。
昼間にノルンたちと共に島を出るとなれば嫌でも人目につき、ポーラの兄弟に知れたらまたポーラは悲しい思いをすることになるかもしれない。
そうと決まるとノルン達はまずは先にホーラスの家へと向かい、それからポーラをポーラの家へと送り届けたのだった。




