11.ウルガルフ到来
それから三日が経つと、二人は雪山で白い吐息を零していた。ザクザクと雪を踏み固め進んでいく。時折吹く風が冷たく肌を撫でる。まだ雪が溶けきっていない平地。前面には大きく聳え立つ真っ白な山が見えている。
その手前の方には小さな集落が見えてもくもくと煙突から煙を出していた。
「…ぅぅ…相変わらずここはまだ雪みてぇだなぁ」
アトラスは「俺、寒いのは苦手なんだ」といって厚手のジャケットにマフラーを巻いても尚、身を縮ませている。
ノルンもまた厚手のコートを着てマフラーに顔を埋めるようにして歩いた。
「もうすぐ着くぞ」
しばらく歩きアトラスの声に視線を足元から上げれば集落までもう少しのところまで来ていた。
集落に着くとアトラスに続いて村に足を踏み入れる。
そこは家の数が十にも満たないような小さな村だった。
アトラスとノルンが村に入ると村の入口付近でバスケットを抱えた女性が柔らかく笑って声をかけてくれた。
「あら?貴方は少し前にここに寄った旅人さんね。今日は…まぁ。素敵なお嬢さんを連れてるのね」
どうやら女性は以前訪れたアトラスを覚えているようだった。ウール族は珍しいという事もあるだろうが。
「まぁな。以前は世話になったな!」
「いいえ。何も無いところだけれどどうぞまたゆっくりして行ってくださいね」
優しく出迎えてもらいノルンは軽く女性に会釈する。
「あぁ。ありがとな!…なぁ、ところで少し聞きたいんだが以前ここに滞在した時にウルガルフの話を聞いた気がしたんだが…何か知ってるか?」
アトラスがそう聞くと女性は話を聞いたあと小さく頷いた。
「…えぇ。1ヶ月くらいほど前の夜遅く、ウルガルフがこの村にやってきたの。それ以降も2回ほど…こわくて仕方がないわ」
女性は眉を寄せて困惑したようにそう言った。
「…そのウルガルフは何か悪さをしたのでしょうか」
ノルンがつい口を挟めば女性は首を横に振る。
「いいえ。ウルガルフいつもは村の一軒にだけ訪れるわ。そして特にそれ以外の村の家には近寄ることもせず山へ帰っていくの」
「…そう、ですか」
女性の話にノルンは頷くと礼を言った。
その後、別れ際に女性は気になることがあるなら家に行ってみるといい、と言ってそのウルガルフに襲われた家の場所を教えてくれた。
やっとウルガルフの情報を直接聞けたことに鼓動が早くなる。そして同時にウルガルフの不可解な行動がノルンは気になっていた。
いくつかの茶色のレンガ造りの家を通り過ぎ、目的の家に着くと玄関の戸をノックする。
コンコンコン。
木材を叩く軽い音が響く。
しばらくして足音が聞こえると、ゆっくりと扉が開いた。そこには杖をついた人の良さそうな老齢の女性がいた。
「…はじめまして。突然申し訳ありません。フォーリオの街から来ました。ノルンと申します。…こちらはロベル様のお宅でお間違いありませんか」
ノルンが丁寧にお辞儀をしてそう言うと老婆はええ、と頷き微笑みながらノルンの言葉を待っていた。
「…すみませんが、ここにウルガルフが来たと村の方にお聞きしました。少しお話を聞かせていただけませんか?」
ノルンがいつもの調子で丁寧に淡々と述べる。
ロベルは少し驚いている様子だったが快く頷くと、足が悪いということで家の中に迎え入れてくれた。
四人がけのテーブルに通され、アトラスとノルンは隣り合わせで座る。
ロベルはノルンの正面にゆっくりと腰を下ろすと少し息をついてからノルンを見つめ、その日のことを話してくれた。
「…ウルガルフはある日の夜。突然この村に訪れました。とても大きくて立派な真っ白な毛並みのウルガルフでした。ウルガルフが山から村に降りてくることなど今まで無かったものですからとても、とても驚きました。今まで裏の山に入ってウルガルフと遭遇した村人は何人もいましたが、いつも決まってウルガルフはどこかへ行ってしまったそうですので…」
はぁ、とため息をついてロベルは言う。
「じゃあなんでウルガルフはこの村におりてきてわざわざいつもあんたの家までやって来るんだ?」
アトラスが疑問を口にするとロベルは眉根を寄せて困ったようにいった。
「…それは恐らく、私の孫のせいなのです」
「孫ぉ?」
アトラスが聞き返す横でノルンは黙って話を聞いている。
「…はい。その日の昼間、私の孫は鉱石を採取するために新しく見つけた山の中の洞窟に入ったそうです。…しかしその洞窟がウルガルフの住処だったのです」
アトラスとノルンの瞳が少し見開かれる。
ロベルは続ける。
「けれど結局鉱石は取れず…。孫はそれでも鉱石を求めて洞窟の奥深くまで進んで行ったそうです。…そして洞窟の一番奥であろう行き止まりの場所で明らかに何かの獣の住処を見つけました。孫はすぐに帰ろうとしたそうなのですが…そこで一つ、あるものを見つけたそうです」
「…あるもの、ですか?」
ロベルは顔を上げるとノルンの言葉に頷く。
「はい。大きな輝く宝石の着いたリボンでした。それを取って持って帰ってきてしまったのです」
そこまで聞くとアトラスもノルンもその出来事の全貌が見えてきたように納得した顔をしていた。
「なるほどな。つまりそれに気づいたウルガルフが宝石を取り戻しにやってきた、って訳か」
ロベルが目を伏せて小さく頷く。
「…その日の夜、低く唸る獣の声が家の前から聞こえました。怖くて、私も孫も家から出ることが出来ませんでした。…しかしウルガルフは帰ることなく、大きな声で吠え始めました」
「……」
「しばらくすると騒ぎを聞き付けた村人が、鍬や狩猟用の銃を持ってやって来てくれました。そして村人が銃を発砲し、石を投げつけたりしているとウルガルフは低く唸って山へ帰って行ったそうです。…その後2回ほど同じことがありました。つい最近のことです」
「……」
ノルンの瞳が悲しげに揺れる。
それでもノルンはぐっと何かを堪えると、丁寧にロベルに頭を下げた。
「そうですか。お話をしてくださりありがとうございました」
ノルンの言葉にロベルはいいえ、と優しく皺だらけの顔で微笑んだ。
そしてノルンとアトラスが家を出ようとした際、呼び止められた。
「貴方たちはウルガルフの元へ向かわれるの?」
「…はい」
一瞬答えるかどうか迷ったもののノルンは正直にロベルの目を見て頷いた。するとロベルはそうですか、と言ってノルンにあるものを差し出した。
それはぼろぼろになった今にも切れてしまいそうな青いリボンだった。所々解れていて、本来の色も分からないほど汚れている。
ロベルに差し出されたそれをノルンはそっと受け取る。
そのリボンを見て何故なのか分からないが、その瞬間何かとてつもない懐かしさと共に、息苦しいほどの切なさがノルンを襲った。
「これを…。もしよかったらあのウルガルフの元へ返してくださいませんか」
「…いいのか?」
「はい。申し訳ないことに宝石は私の孫が取り除いて…もう…」
申し訳なさそうにロベルは俯く。
リボンの中央がぽっかりと刃物で何か切り取られたように空いている。
恐らくその宝石はもう孫によって何処かに売られてしまったのだろう。
ロベルは切なそうに続ける。
ウルガルフはこれまで村人を一人も襲うことは無かったと。本当に自分の物を取り返しに来ただけなのだろうと。リボンだけでもウルガルフに返したかったが、それでもいざウルガルフが家の前に訪れると恐怖で足がすくんでしまい、リボンを返すことが出来なかったという。殺そうと思えば村の住民全てを葬り去ることが出来ただろうに、ロベルはそう言った。
そんなロベルと目を合わせるとノルンは
「…はい。お預かりします」
絞り出したような声でそう言った。
ロベルはただありがとう、と言って切なげに微笑んだ。
今にも壊れてしまいそうなそれをノルンはそっと優しく、けれど確かに細くしなやかな手に握りしめた。
 




