117.“助けて”
木の影からアオイと共に隠れるようにしてノルンはポーラ様子を伺う。
兄弟とは言え覆い囲まれるようにされているポーラに胸が軋んだ。よく見ればポーラの兄弟ではないウール族も居るようだった。
何時かの出来事を思い出す。
それはまだノルンが幼い頃の事だった。
フォーリオへと連れてこられたばかりだった頃、ノルンも今のポーラのように同じ年頃の子ども達に囲まれていた。
怖くないはずはなかった。
けれど何時しかそれが余りに頻繁に続きノルンの恐怖という感情は麻痺していったように思う。
怯えることも無くなれば、反応をすることすら無くなった。
罵詈雑言をはかれようと、化け物だと罵られようと、小石をぶつけられようとただ無機物の人形の如く、何時だってノルンは事が終わるのを待っていた。
そう。ノルンにとって今のポーラの状況は幼い頃自分が幾度となく経験したものだった。
恐怖などもうとっくに感じなくなった。
忘れていた___はずだった。
けれど今ポーラを見つめるノルンの瞳は不安げに揺れていた。
ポーラが幼い頃の自分と重なる。
周りを囲うポーラの兄弟があの日の街の子どもと重なる。
ポーラの兄弟の一人がポーラに顔を近づける。
「お前一体どこ行ってたんだよ?こっちはやっとお荷物が居なくなってすっきりしてたのに」
「はは!違いねぇ!まさか戻ってくるとはなぁ?」
きゃははは、と子どもの甲高い笑い声が残酷に響く。
ノルンは無意識に薄い唇を噛み締めていた。
___ねぇねぇあの旅人さん達は誰?ここまで連れてきてもらったの?
___あの人間もきっと迷惑だっただろうな!お前なんかを連れてくる羽目になって。
罵詈雑言がポーラの頭上で飛び交う。
中心にいるポーラは小さな両手で自分のつなぎを握って丸い黒曜石のような瞳に涙を貯めては零すまいとしている。
小さな耳はこれ以上言葉を聞かないように丸く折り曲げられている。
ノルンの瞳が見開かれた。
気づけばノルンはアオイから呼ばれる声も無視してポーラの元へ駆け出していた。
怖くなんてない。
恐怖なんてとっくの昔に忘れたはずだ。
それでも。
気づけばノルンはポーラの元まで駆け出していた。
突如ポーラを囲んでいた子ども達に影が指す。
自分たちに出来た大きな影に子ども達は目を丸くして振り返る。
そこにはいつもと変わらぬ___否、少し焦ったように眉を顰めウールの子どもを見下ろすノルンが居た。
子どもの内数人はノルンに気づいた途端不都合でも起こったかのように焦った表情をした。
他には戸惑った顔をした子ども。
誰だ、と不機嫌そうに首を傾げる子ども。
何も言わずに真っ直ぐ視線を落とすノルンはただただある一人を見ていた。
中心にいたシロクマだけを見つめていた。
そんなポーラもまた突然暗くなった視界を確かめるように顔を上げる。
そこには何時だってポーラを真っ直ぐに見つめてくれていた心の籠った優しげな宝石目があった。
“ノルン”。
そう呟こうとしたポーラだったがその声は横から発せられた高い声にかき消された。
「お前ポーラをここに連れてきた旅人だな!?」
その声はノルンを責め立てる声と言うよりは好奇心に満ちえている声だった。
ポーラだけを見つめていた瞳が声をなげかけたウールの子どもへと移動する。
ノルンはその子どもを見つめて淡々と答えた。
「はい。間違いありません」
ノルンが何も咎めることもなく、質問に答えた所を見て子ども達は先程のことを聞かれていなかった、または見られていなかったと判断したのか。
はたまたそれを知られた上でノルンが知らぬふりをしていると判断したのか。
先程まで様子を伺うようにバツが悪そうにしていた顔はどこへいったのか。
子ども達はすぐに異種族の旅人であるノルンに興味を持ったように取り囲んだ。
「へぇ、そうか!それじゃあ俺がこの島を案内してやるよ!」
「ポーラなんかと一緒に旅してたんなら次は代わりに俺を連れてってくれよ!」
突如としてポーラを嘲笑っていた者が皆瞳を輝かせノルンを取り囲む。それを目にしたポーラは再び顔を俯かせた。
先程よりも少し力を込めて服を握る。
口を噛み締めて堪えていたものはもう壊れてしまいそうだった。
そんな時だった。
ポーラの視界にダークブラウンの革靴が映る。
ポーラがゆっくりと顔を上げればそこには真っ直ぐとポーラだけを見つめるノルンが居た。
「…………………………のるん?」
ポーラの声は震えていた。
___はい。
ポーラの耳にノルンの返事が届く。
その瞬間ポーラは黒曜石の瞳から雫を溢した。
ポーラの揺れる視界に映ったノルンは薄く微笑んでいた。
少しだけ口の端を持ち上げて擽ったそうに、嬉しそうに微笑んでいた。
その瞳だけはポーラを見つめていて。
ポーラ以外の誰も映っていなくて。
「…のるん……」
「はい」
ノルンがポーラの前に膝を着く。
そして薄く微笑んでいた表情は少し申し訳なさそうに困ったような表情に変わる。
眉尻を下げてノルンは口を開いた。
「ポーラ」
“いつも”の様にノルンがポーラ名を呼ぶ。
それはノルンにとっての“いつも”であって、ポーラとっては“特別”だった。
ノルンから呼ばれる名前は初めから、何時だって涙が出るように温かった。
そしてそれはこの瞬間ポーラが涙をこぼすには十分すぎる温かさだった。




