113.太古のお伽噺
まるでそれは太古の昔の伽話に出てくる守護者様の様だったとホーラスは言った。
ハルジアが暗黒の邪の空気に包まれた時、大陸とは少し離れたここコラル島にも気づけば瘴気は生まれ、魔物も活発化し、増幅した。
島の半分とはいかないまでも、森は瘴気の影響を受けて枯れ始め、ウール族の中にも魔物に襲われる者が出た。
瘴気を滅するために炎を焚き、魔法使いは魔法を唱えた。しかし何をしようとも瘴気が消えてなくなることはなかった。
瘴気を滅する手立てが見つからず困り果てていたその時にその人は訪れた。
ダークブラウンの長い髪を揺らし、まるで宝石ような美しい瞳をもった人だった。
___初めまして。ベルと申します。ここへはウール族の方に案内していただきました。貴方様がここの長老様であらせられるホーラス様ですか?
ふわりと優しく微笑んだ彼女は危機に見舞われているコラル島には不釣り合いの美しい笑みを浮かべた。
ベルと名乗った彼女は疲弊したウール族、そして目の前に座るホーラスを見て「なにかお困り事があるのなら話してみてくださいませんか」と言った。
到底ホーラスもベルに話したところで状況が改善されるだなんてことは思ってもいなかった。
ただこのどうすることの出来ない苦難な状況を誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
日に日に重なる疲弊からついホーラスはベルにこの島の状況を伝えた。
その間ベルは真剣な眼差しでホーラスの話を受け止めた。そしてホーラスが話終わるとベルは静かに頷いて、そして言った。
___そうでしたか。瘴気ですか。
___はい。もう私どもにはどうすることも出来ないのです。それでもどうにか毎日一族を守る手立てを考えております。
ホーラスは隈の出来た光のない瞳で言った。
ベルはただ黙ってホーラスを見つめるとゆっくりとホーラスの前に数歩歩み出た。
そして。
___長老様。無理を承知でお願い致しますが、私を瘴気の元までお連れください。もちろんある程度の場所までで構いません。そうして頂けたなら私が…瘴気を浄化します。
先程見せた柔らかな笑みでそう告げたのだった。
ホーラスは目の前の女性から告げられた言葉に驚きで声が出なかった。
___貴方が…ですか?
___はい。
女性は頷く。
そんなこと出来るはずはない。
そう、思った。
まだ20にも満たない様な人間だ。
その姿は華奢で一瞬で瘴気に取り込まれてしまいそうだ。
___俄には信じられないかとは思います。ですが、ここは一度だけ私のお願いを聞いてはくださりませんか。
島に訪れた客人を死ににいかせるような事は出来ない、そう思った。
しかしベルは柔く微笑むだけで頷くことはなかった。
結局折れたのはホーラスの方だった。
すぐに一族の戦士に瘴気の溜まり場へとベルを案内するように言いつけた。
ベルは感謝の意を述べるとそのままホーラスの家を出たその足で森の奥に発生する瘴気の元へと向かった。
ホーラスは期待などしていなかった。
ベルの身が心配ではあったが、戦士にも少し離れたところで観察をして危険が伴うようならばすぐに連れ帰ってくるように告げた。
ベルの後ろ姿を見送ったあと、ホーラスは椅子に座ったままふと机の上に広げられた古い巻物を手に取った。
それはこの大陸に伝わるはるか昔の伽話だった。
太古の昔からこの大陸、ハルジアは女神によって護られていた。
しかしある時大陸に住む者たちは女神の遣いである高貴な龍を怒らせた。
龍は邪に取り込まれ、怨念と化した。
大陸は龍の怨念に取り込まれた。
そんな時聖なる血を継ぐ守護者が現れる。
その者は邪を浄化する力を持っていた。
そして守護者は自らの命をもって龍を封印することで大陸を再び光の地へ導いた___。
巻物には古代文字と共に絵が描かれていた。
巻物の最後には怨念に満ちた龍の前に守護者が立ちはだかり手を翳し龍を光で包む様子が描かれていた。
もしこの物語に記されている怨念が瘴気だとしたならば。太古の昔、始まりの時代とされる1000年より瘴気を浄化した人物というのは守護者一人にしてに他ならない。
もし___借りに。
先程のベルと名乗った彼女が本当に瘴気を浄化してしまうような事があれば。
彼女こそ守護者と呼ぶに相応しい存在となるであろう。
そんなことは雲を掴むように幻想に等しいが。
(…今はただあの娘の無事を祈ろう)
そして、再び瘴気から一族を守護る手立てを考えなければ。
ホーラスは手元に広げていた巻物を元の場所へと置く。
そして重い息を吐き出しながら嘴にかけていた眼鏡を取り外し瞳を伏せて頭を左右に振った。
その数刻後だった。
ホーラスはベルを案内した戦士より耳を疑うような報告を受けることとなるのだった。




