10.貴方に会いたい
ノルンがまだ幼い頃にノルンはそのウルガルフと出会った。
それはまだフローリアと出会う前。
父と母と穏やかに暮らしていた日々の事だった。
ノルンは一人、家からさほど離れていない森を一人で散歩していた。
その散歩の最中でノルンは街の子どもたちが何かを囲むようにして集まっているのを見つけた。
「その中心に居たのが一匹の子どものウルガルフでした」
街の子ども達はウルガルフを囲んで弱っているところに漬け込んで傷つけ虐めていたようだった。
___おい、見てろよ!ほらっ!
___…グルルルルル…。
___は…ははっ!こいつ噛まねぇぞ!
___おら!
子どもは時に酷なことを平気で行う。
善と悪の区別がつかない純粋なものほど凶器なものは無い。
子どもはここぞとばかりに石や枝をウルガルフに投げつけた。
ウルガルフの毛並みは鈍く汚れ、赤い血痕が所々に見られた。
それを目にした幼いノルンは気づけばウルガルフの元へと駆け寄り、街の少年4、5人の前に割り込み立ちはだかった。
___あ…お前…。
___…なんだよっ!こいつらは俺たちが見つけたんだぞ!
___へへっ!まぁいいさ!おい、どけよ。お前にも見せてやる!
一人の少年がまた石を頭の高さにまで振り上げる。
___…やめて。
ノルンの悲痛な小さな声が掠れる。
ノルンは少年達より小さな体をふるふると震わせながらウルガルフの前に立ちはだかっていた。
___あ?なんだよ、どけよ!
___お前に当たってもいいのか!?
___何でお前がこいつを守るんだよ!
ノルンは大きな宝石の瞳に今にも零れ落ちそうな膜をはりながら、恐怖に怯えながら懸命に両手を横いっぱい広げていた。その指先は震えている。
少年たちの顔が不機嫌に染まる。ノルンは視線をそらさない。どうなることかと思われたその時ノルンを探す女性の声が森に響いた。
ノルンの名を呼ぶ声。その声を聞くと街の少年たちは逃げるように去っていった。
___ノルンー?ノルン〜どこなのー?
___…おかあさん…。
___ノルン!?…ッ…!?…そのウルガルフはどうしたの…!
その後恐怖で力尽きて尻もちをついて涙をぽろぽろと流すノルンをノルンの母が見つけた。そしてノルンの後ろで倒れるウルガルフを見つけ一瞬顔を青くしたもののすぐにノルンが拙い言葉で説明をすれば家に連れ帰り、ウルガルフに治療を施した。
「その後、そのウルガルフと私はとても仲良くなりました。ブランと名付けて一緒に暮らすようになりました」
しかしその出来事からわずか一年も経たずして別れの時は訪れた。
「…ヘレナの戦いで私は…ブランと離れ離れになりました」
ノルンの言葉にアトラスがぴくりと反応する。
「…私の母はそれなりに力のある魔法使いだったようです。そして…ご存知かと思いますがヘレナの戦いでは魔法使い狩りが行われました。母は私を逃がすためブランと私を連れて街を離れました」
「ノルン…」
アトラスが眉を下げ気遣うようにノルンに声をかける。ノルンの声はいつもと変わらず抑揚がないが、火を見つめるその瞳は揺れている。
「…しかし途中の森で魔法使い狩りを行う者と遭遇してしまったと…。そこで母はブランに私を預けその場から逃がしました。そしてその後私は師匠であるフローリアに拾われ救われました」
___しかし。
そこでノルンが一度言葉を切る。
アトラスはその後ノルンの口にする言葉の想像はつかないけれど、その先がノルンにとってとても辛い真実のような気がした。
「ノルン…やっぱり…」
それ以上は言わなくていい。そう言おうとしたがノルンはアトラスの言葉を遮るようにして口を開いた。
「___しかし…師匠によれば、私を拾った時、誰も傍にはいなかったと…」
「…っ」
アトラスはぐっと眉根を寄せた。
端正な顔立ちに子供らしからぬ冷静沈着な言動から大人びて見えていたノルンが、今はとても小さな今にも泣き出しそうな子どもに見えた。
「…私は…ずっと、ずっと…探しているのです。この世界の何処かで…生きていてくれていると信じて…。ブランと___そして父を」
アトラスは一呼吸おいて何を言うべきか考えた。
ノルンは母とは言わなかった。そこで察してしまった。
想像していたよりもひどく物悲しいノルンの過去の一遍。気の利いた言葉など思い浮かばなかった。
___ただ。ただ。まだ出会ったばかりの素直で不器用すぎるこの少女の願いが叶うことばかりを願った。
「…そっか。辛いことを話させたな」
ノルンはアトラスの言葉に何も言わずゆるく首を振る。
そして美しく瞬く星空を見上げると言った。
「…ウルガルフの情報を追っていたらキリがないかもしれません。けれど…それでも。…それでも…私は」
ノルンがその先の言葉を喉の奥に留めているとアトラスが言葉を引き継いだ。
「…俺はいいと思うぜ。微かな希望でも…素通りするようじゃ願いなんて絶対に叶わねぇからな。…ノルンが諦めなかったらいつか、きっと会える」
ノルンの瞳が大きく見開かれる。
普段ピクリとも動くことの無い表情がほんの少しだけ歪む。
眉を寄せ、口を噤む。
その瞳が一瞬、アトラスには潤んで光ったような気がした。
ノルンはアトラスの言葉に目の奥がじわりと熱くなったのを感じた。フローリア達以外の誰かにこの事を話したこともなければ肯定されたこともなかった。
ノルン自身僅かな期待を胸にしても実際のところは不安の方が大きかった。
本当はもうブランも___そして父もこの世には居ないのではないか。
探したところで見つかることは無いのではないか。
ふとした時にそんな考えが頭をよぎる。
それでもその度にそんな不安は心の奥底に封じ込めてそんなことは無いと自分に言い聞かせてきた。
しかしそんな不安を今アトラスは優しく肯定してくれた気がした。
___誰かに肯定して貰えるということが。
___こんなにも…こんなにも心強く思えるだなんて。
___本当に、知らなかった。
その後ノルンの口から出たのは「はい」という小さな音だけだった。
 




