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幸か不幸か

作者: aiku

母が病気になってから父は人が変わったようだ。


物心ついた時から父との接点があまりなかった。何か事件があったわけでも家族仲が悪かったわけでもない。ただ父は俺達には興味がなく、人生の楽しみを家庭の外に見出したようだった。

母や私とは会話をせず、夜遅くに帰ってきてはすぐに寝る。そんな生活を繰り返していた。


なぜこんな奴と結婚したのかと母に尋ねたことがある。母は少し気恥しそうにどこかを見つめながら

「昔はいつも一緒にいてくれて愛をずっと感じていたから」と話していた。


その時母の中にまだ父を想っている気持ちが残っているんだと子供ながらに思ったことを覚えている。

過去の父を見続けている母を不憫に思い、顔を赤くして帰ってきた父に母の想いを語ると、父は何も言わず寝室へ向った。


翌日、いつもの笑顔が張り付いている母の姿を見て自分が取り返しのつかないことをしたのだと感じた。

それ以降、更に父と会うことは少なくなり、家に帰ってこない日も増えた。


そんな生活が続いて数年。母が倒れ病院に運ばれた。病院で検査もせずに過ごしていたことが災いしたのか、病状は悪化しており、余命は幾ばくも無いようだった。説明受けている最中、息を切らせて真っ青な顔をした父が入ってきた。連絡を受けて飛んできたらしい。

その後に自分の病状を聞きながら、「そっか」と笑っている母が嫌に印象に残った。


入院した母に父は甲斐甲斐しく世話を焼いた。仕事を休み毎日母のもとへ通い、プレゼントや美味しい食べ物を持ってくることも日常茶飯事だ。


「これ君が好きなやつ」と得意げに母にショートケーキを渡す父を見て、モンブランの方が好きなのになぜそっちを持ってこないんだろうと訝し気に思ったが、母が幸せそうで口を出す気にはなれなかった。


少し時が流れ、銀杏の木が枯れ始める頃、部屋での母の独り言を聞いてしまった。

枯れ枝のように細くなった腕で目を覆い、泣いているようだった。私はそれを自然な行動だと感じた。誰も死にたくはないだろうし、世界を恨んでいるのだと考えていた。しかし、母の口から聞こえたのは


「病気になってよかった…」


という自分を蝕んでいる病への感謝の言葉だった。

私はなぜ母が病院に行かなかったのか、なぜ病状を聞いて笑ったのか、全てを理解した。

母にとっては父に愛されることがこの世の何よりも大切だったのだろう。


その後、どんどん元気がなくなり遂に自分で起き上がることもできなくなっていった。

外の銀杏はその葉をすべて落とし、剝き出しになった木が無防備に風に揺らされてとても心細い印象を持たせる。そんな光景や母の体調とは裏腹に母自身はとても満足げに眠っている。

医者からはいつ亡くなってもおかしくないと聞かされていた。そう言っていた医者が慌てて病室に入ってきたとき、その時が来たのだなと感じた。


医者や看護師が必死に動いてる中、母がこちらを向き、

「ごめんね…」と呟いた。


幸せと罪悪感が共生しているその言葉を聞き、「いいんだよ」と笑って返した。その言葉を聞いてからか聞かずにか、母は帰らぬ人となった。その顔はとても満足そうな顔をしていた。


その後、母の死に目に会いにも、葬式をする日にも父が現れることはなかった。

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