06 血獣
「な、何だ今の声!?」
突然鳴り響いた獣の雄叫びにレイヤが驚くと同時に、険しい目つきのメアリーが森の一方へ睨み付けるように視線を向ける。
タルコズを含めた他のエルフ達も俄かに騒めきだし警戒を強めている様子である。
ジルたちエルフ幼女三姉妹は恐ろしさに身を寄せ合って震えていた。
そんな中、続いてレイヤの耳に僅かにだが獣の声とは別に何者かの悲鳴を捉えてる。
「誰か襲われているんじゃないか?」
「そのようね。どうやら盗賊共の仲間じゃなさそうだけど。王国の冒険者かしら?」
「里の警邏隊は俺たち以外は出ていない筈だし、住民達もこの時間に出歩いている者はいない筈だ」
タルコズがそう言った瞬間、レイヤは馬車から飛び降りて声の聞こえた方向へ走り出す。
突飛な行動を始めたレイヤにエルフ達は仰天しつつ慌てて制止の声を掛ける。
「おい!あんた何処行くんだ!?」
「戻れ!さっきの話を聞いてただろ!今は夜行性のモンスターが」
「そのモンスターに他の誰かが襲われてるんだろが!聞こえてきた悲鳴は無視できない性分なんでね!!」
制止を振り切り馬車から離れ森の奥へ突き進むレイヤに、メアリーは頭を抱えため息を吐きつつも自分の得物である弓矢を担ぐ。
「まったく、何を聞いてたのあいつは」
「メアリー、行くのか?」
「当たり前でしょ。助けてくれた恩人を見殺しにでもしたら寝覚めが悪いわ」
「確かに。それに我々も他人ごとではないな。冒険者にもしものことがあったら大長老に何を言われるかわからん」
大振りのナイフを携えたタルコズがそう言うと部下へ指令を飛ばす。
「俺とメアリーが現場へ向かう。お前たちはこのまま里へと迎え!念のため、応援の手配も頼む!」
「了解しました!」
「お気を付けて隊長!」
部下達からの応答を背に受けメアリーとタルコズが馬車から飛び出しレイヤの後を追う。
深夜とはいえ満月の光が木々の間から差しこみ、地面や木の幹に生えた淡い光を発するコケ類やキノコ類と言った照明のお陰で、完全な暗闇ではないことに安堵しながらもレイヤが走っているとメアリーとタルコズが追い付く。
「お前らも来たのか」
レイヤの呑気な言葉にメアリーが呆れた表情でぼやく。
「来たかじゃないわよ行き成り飛び出したりして。あんた良く土地勘も無い筈なのに突っ走れるわね」
「んー、まあ、勘?」
「勘!?」
ギョッとするメアリー。
何を言っているか分からないといった表情を見たレイヤは補足をするように続きを話す。
「よく爺ちゃん家の裏山とか駆け回ったり猟に付いてったりしてたから、山や森の中でどういうルートが行きやすいか何となく分かるからな」
「一応、星霜森林は各国の冒険者ギルドが必須装備に位置特定アイテムを指定するほど上級ランクでも遭難者が続出する場所なんだが……旅人とは言え随分と命知らずだな」
「はあ……まったく、冒険者っていうのはこんな奴らばっかりなのかしら」
溜息を吐いて額を抑えるメアリーだったが、すぐに切り替えて腰に佩いているダガーと背中に担いだ弓を構えて臨戦態勢を取る。
タルコズも同様にナイフと独特な色彩をした羽飾りのついた手斧を腰帯から手に取った。
やがて獣の咆哮と悲鳴が徐々に大きく近づいていることがわかる。
興奮し荒げた声を上げて暴れる獣が出す音に紛れ、悲鳴と震えながらも立ち向かう声が聞こえる。
「やっぱり冒険者ね。でもこのモンスターの声・・・・・・」
「ブラッディグリズリーだな。満月の夜に遭遇するとはついていない連中だ」
「一応聞くけど結構強いモンスター?」
「一介の冒険者では太刀打ちするのも難しいわ。特に満月の夜は気性が荒くなって能力が上がるの」
「おまけに冒険者のパーティに負傷者がいるな。血の匂いでさらに興奮状態になっている」
メアリーとタルコズの言葉にレイヤは無言でさらに動きを加速させる。正確には夜間の森林という光源が限られて見通しが利かず、生い茂った木々の根や枝葉が入り組んだ環境の中で、障害物を反射で回避したり踏み台にして加速に利用したりと、この森林地帯で生まれ育ったメアリーとタルコズも目を見張る運動能力を発揮している。
「何アイツ!?どういう目をしてんの!?」
「いや、あれはもはや体に染みついた動きだな。妙にこなれている」
追いすがるエルフ二人の感想を文字通り尻目にレイヤは嫌な気配を目的地から感じ取る。
「おいおい、これホントにゲームだってのか?」
ぼやくレイヤ。その五感には本能に訴え掛る情報が続々と届く。木々を薙ぎ倒す音。鼻に突き刺さる強烈な獣臭。肌で感じる鋭利な野性に満ちた殺意。それら全てがリアルに満ちていた。
「爺ちゃんと一緒に行った熊猟を思い出すけど・・・・・・それ以上だぞ!?」
その瞬間、レイヤの中での危険信号が生命に一段と強く訴えかけ、進行方向からくる何かに気付いて慌てて横に逸れることで、真正面からくる何かの直撃を免れることが出来た。
「あっぶな!!何、砲弾か何かか!?」
何かが飛来したコースを二度見したレイヤ。密集した枝葉を豪快に削り圧し折り吹っ飛んできたそれは血まみれの獣型モンスターだったものである。辛うじて判別できる角らしき器官と長い兎耳からアルミラージだと思われるモンスターは、何者かによって引き裂かれた衝撃で吹き飛ばされてきたようだ。
「ちょ、何今の!?」
「これは、まずいかもしれん」
追い付いてきたメアリーとタルコズが目にした状況を口にした直後、三人へ一段と強い殺気が伸し掛かる。三人それぞれ別方向に逃げると今度は巨大な毛皮の塊が血まみれのアルミラージを轢き飛ばすように突き抜ける。薙ぎ倒す轟音が通った後はまるで大型ダンプカーが通ったように地面が大きくえぐれている。
「・・・・・・俺、装備見直したいんだけどいい?」
「そんな時間ないでしょ!!」
冷や汗を流すレイヤの言葉にツッコミを入れつつメアリーが弓矢を構え、巨塊が通り過ぎた先をにらむ。先程とは打って変わって静まり返った夜の森。つかの間の静寂を踏みにじる重みのある足音が轍の奥から響いてくる。一歩一歩大きくなるごとに月明りに照らされたその全貌が徐々に明らかになる。より一層強くなった獣臭を筆頭に、目に映るのは赤茶けた毛皮に月光を反射する赤黒い血化粧。未だに鮮血が滴る鋭い爪を周囲の大木に食い込ませ、レイヤの胴よりも太い脚は大地を無情に踏みにじる。唸り声の大本には先ほどのアルミラージが咥えらえており、ナイフのような牙が深々と突き刺さっている。そして露になった頭部は口元がより黒く染まっており、次なる獲物を捉える鋭い眼光を備えた双眸がレイヤ達の前に現れる。
三人と一匹の獣が相対する中、哀れな犠牲者を加えたまま喉奥でゴロゴロと岩を転がすような唸り声を鳴らすブラッディグリズリーを見てレイヤが零す。
「あー、さっきの発言撤回していい?」
「今はふざけてる場合じゃないでしょ」
「いや、やっぱりハンターランク間違えてるって。下位装備で上位クエストきた気分なんだけど」
「何を言ってるんだこの男は」
「ただのヘタレの戯言よ」
「誰がヘタレだゴラァ!」
メアリーの辛辣なコメントにレイヤが食って掛かる。それが開戦の合図であった
ブラッディグリズリーがアルミラージの死骸を咥えたまま──唐突かつ無造作に振り回して“投げてくる”。
「うお!」
「きゃ!」
「やっべぇ!」
メアリーは樹上に、タルコズは斧とナイフを構えたまま横に飛び、レイヤは頭を抱えて体を投げ出すことでアルミラージの砲弾を回避する。顔面から地面に着地したレイヤはすぐさま後方を確認すると、アルミラージが突き抜けたと思しき空間が枝葉と木の幹を荒々しく砕けていて突き抜けたことを物語っている。息を付けないまま、次なる行動の予兆—―重々しい脚が地面を強く踏みしめる音が聞こえた瞬間、レイヤは反射的に体を横に回転させその場から退避する。数秒前までいたレイヤがいた場所をブラッディグリズリーの巨躯が踏み砕き、その余波でレイヤは吹き飛ばされて巨木の幹に叩きつけられる。
「がはっ!!」
肺の中の空気が一気に口から吐き出されるような強い痛みが身体を駆け巡る。ずるりとレイヤの身体が叩きつけられた幹から落ちると、肋骨付近に強い痛みを感じる。体力の減少を警告するメッセージが明滅する視界の端に映る中、2階建ての建物よりも大きい獣が立ち上がる姿が見える。
「ああ、これは流石に」
"やべえ”とレイヤが直感すると同時に目の前の巨体が、次なる犠牲者を作り出す無慈悲なカギ爪を振りかざした瞬間。
パリンとガラスが砕ける音がレイヤの頭上でなると同時に、濃緑色の少し粘性の有る液体がレイヤへ降りかかる。
「うぶえ!?」
続いてブウンと空気を切り裂き飛来する音の後、何かの肉に突き刺さる音と苦悶に満ちた怒号がほぼ同時に辺りにこだまする。慌てて液体を顔面から拭ったレイヤの目に映ったのは羽飾りのついた手斧が、ブラッディグリズリーの大木の様な腕に深々と抉り刺さっていた。痛みに振り下ろそうとした腕を後方に振り上げながら、ブラッディグリズリーの痛みと怒りが混じる咆哮が轟く中、再び風切り音が連続して聞こえ次々と矢が突き刺さる。
「ぼさっとしない!死にたいの!?」
メアリーが怒声を上げながら頭上から矢の雨を降らせる。ブラッディグリズリーは鬱陶し気に矢を射続けるメアリーに体を向け、彼女がいる樹を八つ当たりのように爪と怪力で引き裂き倒す。メキメキと大きな音を立てて傾き始める足場を蹴り、メアリーは枝の上を疾走する合間に休みなく矢を射かける。怒り狂ったブラッディグリズリーの腕から手斧がずるりと血しぶきと共に抜け落ちると、タルコズがすかさず回収しつつ、体を捻らせ遠心力を上乗せした投擲で正確にブラッディグリズリーの毛皮の鎧を切り裂いて命中させる。が簡単にはいかないようで少し身動ぎした程度でポトリと落ちるがタルコズは構わず回収と投擲を繰り返す。頭上からの矢と足回りからの斧の連携にブラッディグリズリーの動きが一瞬鈍るも、すぐに怒りに上書きされ、己の傷口から鮮血をまき散らしながら暴れ狂う。そんな中、レイヤは自分の体力が回復していることに気付き、体の痛みも和らいでいることに驚く。そしてエルフの二人がレイヤの位置からブラッディグリズリーを離そうと誘導していることが見て取れた。よろよろと立ち上がるレイヤは自身の周囲に散らばるガラス片と液体を見て自身に起きた事象に納得が行く。
「飲ませるタイプじゃなくてぶっかけて回復させるタイプのポーションかよ。っ、全くエルフってのは意外と粗っぽいんだな」
「つべこべ言ってないであんたも戦いなさい!あんだけ大見栄張って逃げようってんなら背中から射抜くわよ!!」
「こえーよ!つかそれも含めてNPCにそんな連携見せつけられたら余計にそんなダサいこと」
パンと両手を太腿に叩きつけ大きく息を吸い込み一気に吐き出す。気合を入れなおしたレイヤはキッと不敵な笑みを浮かべてブラッディグリズリーを睨み付ける。
「死んでもやらないっつの!!」
啖呵を切りつつ両腕に赤色の闘気が陽炎のように灯る。レイヤの反撃を示す狼煙が上がった。