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20.媚薬

 ウィルフレッドは国王の付き人だ。ゆえに、エリーゼは幼い頃から父より口を酸っぱくして言いつけられていたことを忘れ、すっかり油断していた。


『知らない人から貰った食べ物や飲み物を、口にしてはいけないよ。きっと、怖いことが起こるからね』


 薬師でもあった父は、きっと毒物の類を想定してそんなことを言ったのだろう。けれど――けれどまさか、レモン・メレンゲパイに媚薬が盛られているとは考えもしなかった。


 ――カチャリ


 扉の鍵を閉める硬質な音が響いたのは、なんだか動悸がすると思い始めて少し経った頃だった。気づけば、古式ゆかしい礼儀作法に則って拳ふたつ分ほど開けられていた扉は、ぴったりと閉ざされている。

 扉の前にはウィルフレッドが佇んでおり、先ほどまで歓談していたのが噓のような無機質な 目で、エリーゼを見つめていた。


「なん――っ」


 声を上げようとして、喉がカラカラに渇いていることに気づく。身体も顔も熱く、苦しさに自然と目が潤む。息が、上手く吸えない。手足に力が入らない。

 へなへなとソファの背もたれに身体を預け、不格好な 呼吸を繰り返すエリーゼに、ゆっくりとウィルフレッドが近づいてくる。まるで 、地獄の使者が近づいてくる音の ように聞こえた。


「――苦しいですか?」


 ウィルフレッドが労るようにエリーゼの頰に触れ、神妙な表情で問いかける。けれどその目の奥には、獲物を前にした猛獣のような残忍な光が宿っていた。


 ――ああ、これだ。


 エリーゼはなぜ、自分があれほどに彼に忌避感を抱いていたのか、その正体にようやく気づく。上手く隠されていたが、初めて会った時から、彼はエリーゼに 値踏みするような視線を向けていたのだ。


「失礼ながら、先ほど殿下が口にしたパイに媚薬を忍ばせていただきました。ああ、もちろん私には効きませんよ。効果を打ち消す薬を飲んでいますからね」

「どうして……」


 どくどくと早鐘を打つ胸を服の上から押さえながら、エリーゼは苦しい呼吸の合間にやっとの思いで尋ねる。こんなことをしなくとも、このままいけば彼はいずれエリーゼと結婚できたはずだ。


「私はまだるっこしい ことが嫌いでしてね。王位が転がり込んでくるのを、ただ手をこまねいて眺めているだけというのは性に合わないのですよ」


 肩を竦めながら、世間話でもするような軽さでウィルフレッドは言う。


「それに半年後のお披露目までに、貴女とギデオンが何か間違いを起こすかもしれないでしょう?」

「何を、言っているの……?」

「私が気づかないとでも思いましたか? 貴女の、ギデオンを見る眼差し……。恋する乙女そのものだったではないですか」


 さも愉快そうな笑い声が響く。叶わぬ相手に焦がれるエリーゼを滑稽だと嘲笑うような、そんな笑い方だった。


「私がこの国を支配するためには、どうしても貴女と結婚する必要があります。ですから今ここで、ギデオンが仕事に行っている内に、既成事実を作ろうと思ったわけです」

 ウィルフレッドの手が、エリーゼの胸元に伸びる。絶体絶命の状況に、エリーゼは思わず悲鳴を上げた。


「誰か……っ!」

「無駄です。メイドに小銭を握らせ、人払いをするよう頼んでいます」


 どこの誰だ、そんな不届き者は。小銭で買収されるなんて、あまりに薄情ではないか――なんて、吞気に怒りを募らせている場合ではない。

 圧しかかってくるウィルフレッドに全力で抵抗すべく、エリーゼは無我夢中で手足をばたつかせ、手当たり次第に物を投げつける 。

 それでも彼は構うことなく、エリーゼのドレスの胸元を引きちぎる。


 ――シャノン夫人から借りた、大切なドレスを。


「やめてって……言ってるでしょ……!」


 頭にティーポットが直撃し、彼の頭から血が零れ出す。その時ふと、エリーゼの脳裏に、雑貨屋の女性が口にした一言が蘇った。


『原液を飲ませると、鼻血を出しながら昏倒しちゃうし』


 そこからのエリーゼの行動は早かった。懐に忍ばせていた小瓶の蓋を外すと、怯んだウィルフレッドの口の中に無理矢理突っ込む。瓶を押し当てたまますかさず鼻をつまんでやると、彼は中身を全部飲み干したようだ。

 間もなくその鼻から、血が噴き出した。

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