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14.国王

 そうして、国王がノースフォード邸を訪問する日がやってきた。

 応接室で待機している間、エリーゼは何度もソファに座ったり立ち上がったりしながら、落ち着かない時を過ごした。


 やがて、馬車の車輪の音が近づいてきて、屋敷の前でゆっくりと止まる。窓の外を覗けば、二頭立ての馬車から降りる人影が見え、エリーゼは慌てて窓から離れた。


 程なくして家政婦が扉を叩き、国王の訪れを告げる。

 エリーゼとギデオンは揃ってソファから立ち上がり、この国で最も貴い人を出迎える姿勢を取った。

 会話の邪魔をされないよう、予め人払いをするよう家令には命じてある。


「ようこそおいでくださいました、陛下」

「おお、ギデオンよ。――そちらが、ハリエットか?」


 挨拶もそこそこに、国王がエリーゼに声をかける。

 少し緊張しながら顔を上げると、そこには痩せた長身の男性が佇んでいた。

 どこか身体を悪くしているのだろうか。片手には杖を持ち、その手が小さく震えていた。確か四十代半ばと聞いていたはずだが、年齢の割には髪に白い物が目立ち、顔色も悪く、やつれている。


 しかし、エリーゼの顔を見るなり、その落ちくぼんだ目に光が宿った。彼は目を潤ませると、掠れた声で「ダフネ」と呟く。エリーゼの実の母であった、女官の名だ。


「彼女に、よく、似ている……。本当にハリエットなのだな」

「もちろん、王家の痣もございます」


 ギデオンの言葉に、国王は何度も何度も頷いた。そしてエリーゼの肩を両手でそっと包み込むと、潤んだ優しい眼差しを向ける。


「ハリエット、我が娘よ。よくぞこれまで無事であった。そなたに会えて、とても嬉しく思う」


 顔立ちのどこかに、自分に似ている部分はないだろうかと探してみる。淡い青色の目と、鼻の形は少し似ているだろうか。

 けれどそれがわかったところで、国王が自分を見つめる慕わしげな表情に、どんな顔をしていいかわからない。エリーゼにとって国王はまだ、雲の上の人であるという意識が強い。血が繋がっていると分かっていても、急に父親扱いなどできるはずもなかった。


「……わたくしも、お目にかかれて光栄です。国王陛下」


 その答えは淑女としては正解だったかもしれないが、娘としては不正解だったに違いない。他人行儀な態度に、国王はあからさまに落胆の色を見せ、ギデオンは少し気まずそうな表情を浮かべる。

 しかし、国王はすぐに気を取り直したように、落胆を柔和な笑みで覆い隠した。


「よい、よい。急に実の父だなどと言われても、ハリエットも困るであろう。初めは気の良い叔父とでも思って、少しずつ慣れていけばよいのだ」


 寛容な言葉に、エリーゼは小さな罪悪感を覚えると共に、密かに安堵した。国王がどんな人間か会ってみるまで不安だったが、彼のエリーゼに対する態度は、どこまでも穏やかなものだ。

 緊張で張り詰めていた心が少し解れるのを感じながら、エリーゼは国王にソファを勧めた。先ほどより少し、親しみを込めて話しかける。


「外はお寒かったでしょう。よろしければ、おかけになってお茶でも召し上がりませんか? 身体が温まるハーブティーをお淹れいたします」

「おお、それはいい! ハリエットはお茶を淹れるのが得意なのだな」

「育ててくれた養父が、薬草園を経営していたのです」


 娘と会話できることがよほど嬉しいのか、国王は満面の笑みで優しく頷く。


「そうであった、そうであったな。ではせっかくだから、供の分も淹れてもらおうか」 


 供? しかし、ここには国王しかいないはずだ。まだ、馬車に誰か残っていたのだろうかと首を傾げていると、再び扉をノックする音が聞こえた。

 入室を促すと、扉の向こうから見知らぬ男性が姿を現す。


 長く伸ばした灰色の髪をひとくくりにし、全身を、靴や手袋に至るまで黒で統一した細身の男性だ。猫のような切れ長の目と薄い唇が特徴的な、涼しげな美形といった印象である。


 ギデオンは男性を見るなり、表情を硬く強張らせる。


「……シャルウィック公、まさか貴殿までいらっしゃるとは」

「国王陛下から、本日の供を仰せつかったのだ。何か不都合でもあったか?」

「いいえ、とんでもない」


 公爵にこれほど高慢な物言いをするなんて、彼は一体誰なのだろう。どこか不穏なやりとりをハラハラしながら見守っていると、国王が横から口を挟んだ。


「ウィル、先にハリエットに挨拶を」

「ああ、これは失礼致しました」


 男性はギデオンの前をすっと通り過ぎると、エリーゼの前までやってくる。恭しく手を取り、手の甲にキスを落とした。


「シャルウィック公爵、ウィルフレッド・カーライルと申します。以後、お見知りおきを」

「ウィルは余の弟の子――つまり、そなたにとっては従兄にあたる。宮廷では内務長官として、余を補佐してくれておる」


 国王の補足に、先ほどからのウィルフレッドの高圧的な態度にも納得した。内務長官ということは、内務副長官であるギデオンの直属の上司。そして国王の甥ということは、ギデオンより更に王族に近しい間柄ということになる。


(だけど……なんだか嫌な感じだわ)


 初対面の人にこんなことを思うのは失礼かもしれないが、彼の慇懃な態度の奥に何か底知れぬ感情が見え隠れしている気がする。目が合うたび、身体に蛇が巻き付いているような妙な心地に鳴り、落ち着かない。


「あの、わたし、お茶を淹れてきますね」

「お茶……?」


 ぴくりと、ウィルフレッドの眉が不穏な動きを見せた。彼はすかさずギデオンを振り向き、鋭い声を上げる。


「ギデオン、貴様、殿下にどのような扱いをしているのだ! 茶を淹れるなどメイドの仕事ではないか!」


 先ほどエリーゼに接していた時の穏やかさが嘘のような、厳しい態度だった。

 確かに貴族の家で茶を淹れるのは、一般的にメイドの仕事かもしれないが、そんなに怒ることでもないだろう。急に落ちた雷に驚きながらも、エリーゼは咄嗟に反論すべく口を開いていた。


「わたしが、好きで淹れているんです」

「殿下が……?」

「小さな頃から、お茶を淹れるのは得意でしたから。陛下に召し上がってもらいたくて」

「そうでしたか、それは大変失礼いたしました。ですが――」


 ウィルフレッドは困ったように眉を下げ、苦笑する。聞き分けの悪い子供を前にした、大人のような表情だった。


「まだ公的には認められていないとはいえ、御身は高貴なご身分です。下々の者の真似事は、王家の威信を落とす行為かと」


 高慢な物言いに、胸の奥を逆撫でされるような嫌悪感を覚え、拳を強く握りしめた。

 エリーゼにとって、お茶はただの飲み物ではない。エルドラン男爵家での温かな時間を思い出させてくれる、大切なものなのだ。男爵家では、誰もがエリーゼのお茶を美味しそうに飲んでくれた。父から習った大事な配合で、丁寧に淹れたお茶だ。

 それを、何も知らない初対面の相手に『下々の者の真似事』などと言われたくはない。


「まあ、堅苦しいことはよいではないか。それに余が、ハリエットの淹れたお茶を飲んでみたいと言ったのだ」

「そうでしたか……。それは、失礼いたしました」


 国王がウィルフレッドを窘めてくれてよかった。そうでなければ、その場の雰囲気は最悪なものになっていただろう。

 エリーゼは逃げるように応接室を後にし、今度こそお茶を淹れるために、台所へ向かった。 

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