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【書籍化】元悪女ですが、公爵閣下に淑女教育を受けます!〜お手をどうぞ、王女さま〜  作者: 八色 鈴
二章

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06.手紙

 あれもこれもと一通り布を選び終えると、次はデザインの選定だ。

 デザイナーが持ってきた分厚い画帳には、さまざまな種類のドレスが繊細な筆致で描かれている。


 王女としての威厳に関わるからだろうが、ギデオンはかなり口うるさかった。

 夜会着や普段着に拘わらず、やれ胸元が開きすぎだの、やれ裾が膨らみすぎだのとさまざまな注文を付け、納得のいくデザインを追求していく。


 その後も、まるで彼自身が身に着けるものを選ぶかのような熱量でもって、アクセサリーや化粧品が選定されていった。

 時折、エリーゼも意見を求められることがあったが「お任せします」以外に何が言えただろうか。


 ただ唯一、宝石の中に交じっていた鮮やかな青色が目を引いた。雲一つない空の下の広大な海を思わせる、深く透き通った青は、ギデオンの瞳によく似ていた。

 別に、他意はない。ただ綺麗な色だと――これをネックレスにしたら、どんなに素敵だろうかと思っただけだ。


「そちらがお気に召しましたか?」


 宝石商が愛想良く声をかけてくる。

 気づかれるほどに熱視線を注いでいたことに気づき、慌てて宝石から視線を引き剥がす。


「い、いえ……! 別に」

「お目が高い! そちらはサンティラージャ王国の鉱山から産出された、ブルーローズ・サファイアでございます。これほどの大きさ、透明度のものは大変めずらしく、王都でも滅多にお目にかかれないお品かと」

「――君によく似合いそうだな」


 宝石商とのやりとりに気づいたギデオンが、何気なしに口を挟んでくる。一瞬ぎくりとしたが、彼はまさかエリーゼが、自分の瞳に似ている宝石に興味を引かれたなんて思ってもいない様子だ。


「気に入ったのなら、ネックレスにでも仕立ててもらうといい」


 そう言うと、デザイナーとの会話に戻る。

 残されたエリーゼは、宝石商からのやや圧の強いビジネストークに流されて、結局サファイアのネックレスを作ることになってしまった。



 その日の晩、エリーゼはヘザーにタオルで髪を乾かしてもらいながら、日中の出来事を話した。


「自分が布地やアクセサリーじゃなくてよかったわ。もしそうだったなら、あんな厳しい目で審査されることに、とても耐えられなかったもの」


 その発言がよほどおかしかったのだろう。ヘザーは目の縁に涙まで浮かべ、笑いすぎで過呼吸を起こしかけるかと思うほど大笑いしていた。


「確かに旦那さまは商人の方が帰ってからもずっと、もっとたくさん頼んでおけばよかっただろうか……なんて独り言をおっしゃってましたね」

「お店でも開くつもりなのかしら」


 そう言うと、ヘザーがまた笑い出す。

 ひとしきり笑い終えると、彼女は半乾きになったエリーゼの髪にアーモンドの香油をすり込みながら、しみじみと言った。


「エリーゼお嬢さまが来て下さってから、旦那さまはとても生き生きとしていらっしゃって……。わたしたちも、とても嬉しいです。このまま、ずっとお嬢さまがお屋敷にいらっしゃればいいのに」

「ふふ。それって、わたしに公爵夫人になれってこと?」

「その通りです!」


 冗談めかして言えば、予想外に真面目な表情で返ってきた。

 これは、かなり余計なことを言ってしまったかもしれない。アーモンドオイルをすり込むヘザーの手つきが、ほんの少し力強さを増す。


「お嬢さまはただの行儀見習いだっておっしゃっていましたけれど、あんなに楽しそうな旦那さまは本当に初めてなんです。きっと、お似合いのカップルになると思います」


 どこか興奮気味な言葉に気圧されてしまったが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。彼の隣に妻として並ぶ自分は想像できなかったけれど、今のような生活がずっと続くのは、それはそれで楽しいかもしれないと思ったからだ。


「そ、そうかしら。こんな田舎娘より、もっと相応しい人がいらっしゃるんじゃない?」

「そんなことありません! 前の婚約者の方なんて、本当に酷い女性で――あっ」


 興奮気味に語っていたヘザーが、我に返ったように口を噤む。しかし、一度口にした言葉が返るわけでもない。

 ――婚約者? ギデオンに、そういう相手がいたというのか。


「申し訳ございません、忘れてください」


 気になって仕方なかったが、冷静になったヘザーは、それ以上を語ることはなかった。ブラシでエリーゼの髪を梳き、そそくさと就寝の挨拶を述べて部屋を出て行ってしまう。

 残されたエリーゼは灯りを消し、のそのそとベッドに入った。掛布を被って目を瞑るが、その晩はなぜだか、いつまで経っても眠れなかった。


     ◆◆◆


 その日は朝から、エリーゼの元気がなかった。

 屋敷に来てからほぼ毎日完食していた朝食もほとんど手を付けず、あれほど嬉しそうに食べていたデザートすら一口、二口しか手をつけない有様である。

 具合が悪いのかと聞けば、そうではないという。


 昨日は年頃の乙女らしく、目をきらきらさせながら宝石を選んでいたはずなのに、うち沈んだエリーゼの様子が気がかりだ。


(ホームシックだろうか……)


 ギデオンは、食後の紅茶を口に運ぶエリーゼを密かに観察する。

 確かに、顔色は悪くない。ただ、表情はどこかうち沈んでいて暗く、いつもの活発さが感じられない。

 グレイフィールドを去ってもう一週間。そろそろ、実家が恋しくなってもおかしくない時期ではあるかもしれない。


「旦那さま、お食事中失礼いたします。本日のお手紙です」


 なんとかしてエリーゼを元気づける方法はないかと頭をひねらせていると、執事が手紙の束とペーパーナイフをトレイに乗せてやってきた。

 仕事関連の手紙がほとんどだったが、その中にエルドラン男爵家の紋章が入ったものが交じっているのを見つけ、真っ先に手に取った。

 手紙はふたつ。それぞれ、エリーゼとギデオンに宛てられたものだ。


「エリーゼ。ご家族から君へ、手紙だ」

「家族から!」


 手紙とペーパーナイフを渡すと、エリーゼが急いで封を切る。彼女は何度も何度も文面を追うと、安堵したような嬉しそうな笑みを浮かべた。


「よかった……。皆、元気だって……。ネロリア草も無事に届いたそうです。ありがとうございます。全部、ギデオンさまが手配してくださったおかげです」

「お役に立てたならよかった」


 今日彼女が初めて見せた笑顔に、ギデオンは心底ほっとした。やはり、軽いホームシックだったのだろう。

 自分宛の手紙を開くと、そこには様々な支援に感謝する言葉と共に、くれぐれもエリーゼをよろしく頼むというようなことが書かれていた。

 仕方がなかったこととはいえ、改めて、こんなにエリーゼを愛している家族から彼女を奪う形になったことに、罪悪感を覚える。


 けれど、それを顔に出すような愚かな真似はしなかった。エリーゼがどれほどの覚悟を持ってこの場所にいるのか、知っているから。


「もし、君さえよければ、町へ出かけないか?」


 それでも少しでもエリーゼに気分転換をしてもらいたくて、ギデオンは食事の後

、彼女を外出に誘うことにした。

 実家に帰してやることができないなりに、彼女を元気づけるために考えた苦肉の策がそれだったのだ。


 ギデオンはつまらない男だ。元婚約者にも、堅物で頑固なばかりで面白みのない男だと罵倒されたほど。だから、誰かを励ます方法なんて、美味しいものを食べさせるか、楽しい場所に誘うくらいしか思いつかないのである。


「町へ? 一緒に、ですか?」

「ああ、そうだ。ソーンヴィル通りには若い女性の好きそうな雑貨店やカフェがたくさんあるし、こまごまとした買い物も必要だろう。例えば……そうだな、ペンやレターセットなんかはどうだ? ご家族に返事も書きたいだろう」

「――レターセット!」


 途端にエリーゼの声が弾む。


「部屋へ戻って支度をしてくるといい。私も急いで準備をする」


 嬉しそうな表情に、どこかむずがゆい感情を覚えながら、ギデオンは手紙の束を抱えて自室に戻った。

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