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02.エリーゼの事情

「お姉さま、また婚約破棄したんですって!?」

「チェルシー……。部屋に入る時は一声かけなさいって言ったでしょ?」


 朝の支度中、なんの前触れもなく突然自室へ飛び込んで来た妹に、エリーゼは思いきりしかめ面をして見せた。

 しかしチェルシーは姉の言葉など意にも介さず、ずかずかと側まで近づいてくる。

 そしてごく真剣な表情で、エリーゼに詰め寄った。


「オーエン子爵とお別れしたって、本当ですか?」


 いつまでも隠し通せるとは思っていなかったが、昨日の今日とはさすがに早すぎる。


「まったく、あなたにそれを教えたお喋りはどこの誰かしら」

「今朝、クレアが教えてくれましたわ」


 馬鹿正直に告げられたのは、昨日夜会に付き添っていたメイドの名だ。半ば予想はしていたが、やはり情報源はそこだったらしい。


 思わず眉を寄せそうになったが、チェルシーはそんな姉の小さな顔色の変化を正しく感じ取ったらしい。薔薇色の頬に手を当て、あからさまに狼狽えてみせた。

 同性のエリーゼでも思わず庇護欲をそそられるほど、弱々しく可憐な姿だ。


「ああ、やっぱり本当だったのね。どうしましょう。また、悪い噂が広まってしまう……」

「仕方ないのよ。オーエン子爵は借金まみれだったんだもの。また他のお金持ちを探すわ」


 心配そうな妹とは正反対に、エリーゼは実にあっさりと言い切る。

 だが、気弱で心優しいチェルシーはそう簡単には割り切れないようだ。


「だめよお姉さま! そうやってお金持ちばかり狙って婚約破棄を繰り返しているせいで、お姉さまは守銭奴の悪女なんて呼ばれているのよ!? 前回は大商家エイムズ家の御曹司、前々回は大農場主プラント家の当主、そして前前々回は――」

「貿易会社社長のスミスさん」

「そう! それです! その全員が、お姉さまに弄ばれたと、あることないこと吹聴して回っているのよ!」

「言いたいやつには言わせておけばいいのよ。そもそもそいつら全員、碌でもない男ばっかりだったじゃない」


 エイムズ家の御曹司には愛人が四人と隠し子が十二人もいたし、プラント家の当主は労働者を奴隷のようにこき使っていたせいで訴訟を起こされた。そして社長のスミスはといえば、美人局に引っかかって全財産を巻き上げられた。


「それはそうですけど……。でも、わたしは、お姉さまのことを誤解してほしくなくて。お姉さまはこんなに素敵な方なのに、悪女だなんて酷い」


 悲しげにそう呟いたチェルシーが、唐突にエリーゼの手を掴む。


「お姉さまは、我が家のためにお金持ちと結婚しようとしているのでしょう? だからこんなに何度も婚約破棄を繰り返すんだわ」

「チェルシーったら、何言ってるの。単にわたしがお金持ちを好きなだけよ。まあ、わたしの悪評のせいでお父さまたちやあなたに迷惑をかけているのは申し訳ないけれど……」


 買いかぶりすぎだと軽く笑ってみせるが、チェルシーは真剣な表情のままだった。


「そんなこと、お父さまもお母さまもわたしも気にしてません! だけどうちが貧乏なせいで、お姉さまは……いたっ!」

「ばか。子供がそんなこと考えないの」


 深刻な顔をする妹の額を指で弾くと、彼女は涙目になりながらエリーゼを軽く睨む。


「子供って、お姉さまとわたしは二歳しか違わないじゃないですか……」

「それでも、あなたはわたしにとっていつまでも〝小さな妹〟のままだわ」


 そう。

 エリーゼがこの家に引き取られて(、、、、、、)二年後、小さな小さな赤ん坊(チェルシー)が産声を上げたその時からずっと、彼女はエリーゼにとって一番に守るべき大切な妹だ。


「さあ、そんな顔しないで。せっかくの美人さんが台無しよ。今日はコンラッドさんとデートなんでしょう? 頑張って」

「お姉さま――」

「わたしも、お仕事頑張ってくるわ。それじゃあ、行ってきます」


 エリーゼは笑顔でそう告げると、まだ何か言いたげな妹に背を向け、部屋を後にしたのだった。



◆◆◆



「ふう。まったくチェルシーは心配性なんだから……」


 職場へ向かう道すがら、エリーゼはそう独り言を零した。

 心配してくれるのはありがたいが、エリーゼ本人は別に、世間の悪口など気にも留めていないというのに。


(そうよ。外野の勝手な意見なんて、気にするだけ無駄なんだから)


 エリーゼには夢があるのだ。

 お金持ちの男性と結婚して、両親と妹に楽をさせたいという夢が。


 なぜ、彼女がそんな夢を抱いているのか。

 それはひとえに、家族への恩を返したいという思いからだ。


 ――話は十八年前に遡る。


 それはある、冬の寒い日のことだった。

 エルドラン男爵家の門前に、赤ん坊の入った籠が置かれていたらしい。

 籠の中に、その子の出自に繋がる手がかりは一切なく、長い間子宝に恵まれなかった夫妻は赤ん坊を不憫に思い、我が子として育てることにした。

 それが、エリーゼである。


 まさかその二年後に実子が生まれるとは、その時はつゆほども考えていなかったのだろう。が、妹が生まれてからも、両親は姉妹を分け隔てなく育ててくれた。

 そしてそれはエリーゼが十二歳になり、自身が両親の実の子でないと知ってからも、少しも変わることはなかった。


 エルドラン男爵家はお世辞にも裕福とは言いがたく、生活は困窮している。

 にも拘わらず、両親は途中でエリーゼを追い出すこともなく、この年まで大切に育ててくれた。

 妹だって、実の姉でないことを知っていながら、エリーゼのことを心から慕ってくれている。


 ――そんな優しい家族に、恩返しがしたい。お金持ちと結婚して、楽をさせてあげるのだ。


 そのためなら、エリーゼはどんな悪評を立てられても耐えられるのだから。

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