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01.とんでもない悪女

 悪女なんて世の中にありふれている。

 他人の恋人を奪ったり、他者を籠絡して財産をかすめ取ったり、あるいは美貌によって相手を破滅に追いやったり。

 そして今宵、この場所にも悪女がまたひとり――。


「オーエン子爵。わたくしたち、婚約破棄しましょう」


 月の綺麗な夜だった。

 大勢の人がひしめきあう広間に、その玻璃を思わせる繊細な声は不思議とよく響いた。


 年の頃は、十八、九歳あたりか。

 長く切れ上がった眦に、濃い色の目化粧。真っ赤に塗られた唇。

 紫色のドレスがよく似合う少女だ。


「――はっ!? えっ、なんで!? 僕たち、半年後には結婚する約束だったよね!?」


 そして突然婚約破棄を突きつけられたのは、いかにも好色そうな雰囲気をした五十がらみの男。

 年の差だけ見れば親子とも、あるいは祖父と孫にも思えるが、実はこのふたり、婚約者同士である。

 今夜はふたり揃って某貴族の夜会に招待されており、ひとしきり挨拶が済んだところで、少女が『話があるのですが』と切り出したのだ。


 今日の天気でも口にするような雰囲気であっさりと告げられた言葉に、オーエン子爵と呼ばれた男は目を白黒とさせて混乱している。

 突然の事態に驚いたのは、もちろん彼だけではない。

 この場にいる他の招待客たちや主催者も、目を丸くしてふたりを見つめている。


 その内の何名かは顔を突き合わせ、扇の陰でひそひそと囁き合っていた。


「まあ、婚約破棄ですって」

「ご覧になって。またエルドラン男爵令嬢よ」

「これで何度目の婚約破棄? なんて人騒がせな悪女なのかしら」


 しかしそんな噂話もどこ吹く風。少女は婚約者を見据え、更に言葉を続ける。


「子爵は先日、投資に失敗して莫大な借金を背負ったそうですわね」

「な、なぜそれを……! いや、あのくらい、屋敷や家宝を抵当に入れて賭博でもすればすぐに取り戻せる――」


 子爵は懸命に言い訳をしていたが、少女はそれを遮るようにため息をついた。


「そんな一か八かの賭けに乗れるほど、わたくしも余裕があるわけではないのです」

「だけど、ハニー! 君は言ってくれたじゃないか。僕と婚約できて嬉しいって……!」

「それはあの時、あなたがお金持ちだったからですわ。ごめんなさい。わたくし、お金持ちの男性にしか興味がないのです」


 歯に衣着せぬ物言いに、半泣きだった子爵がへなへなとその場に(くずお)れる。


「そんな……そんな……」


 彼はめそめそと子供のように泣き始めたが、少女は眉を僅かにひそめただけだった。


「貧乏生活なんてまっぴらごめんですもの。お互い、新しい婚約者を探して幸せになりましょう。それではごきげんよう、みなさま。そろそろ自宅へ戻りますわ」


 ドレスの裾を摘まんで優雅に一礼すると、薔薇色の髪をなびかせながら、春のそよ風のように去っていく。

 自らへ降り注ぐ侮蔑の視線など、意にも介さず。



 ◆◆◆



(――なんて女だ)


 ギデオンは目の前で繰り広げられた一部始終に、小さくはない衝撃を受けていた。

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 訳あって参加した辺境の夜会で、まさかこんなとんでもない光景に出くわしてしまうとは。


 婚約者が投資に失敗するやいなや無慈悲に婚約破棄を突きつけ、あまつさえ泣いている彼に対し、『金持ちにしか興味がない』だの『貧乏生活なんてまっぴらごめん』だの。

 血も涙もない。


「お騒がせして申し訳ございません、アレンビー卿」


 愕然としていると、主催者の娘が慌てて謝罪へやってきた。


「ああ、これはアニー嬢」


 名を呼ばれ、娘がぽっと頬を赤く染める。

 あからさまに媚びるような視線に気付かないふりをしながら、ギデオンは問いかけた。


「――あれは一体何事です? 先ほどの女性は……?」

「エルドラン男爵令嬢、エリーゼ・プリムローズさまですわ。華やかで目を惹くご令嬢ですが、お金に対して並々ならぬ情熱をお持ちの方のようで……。お金持ちからお金持ちに飛び移って、これまで何人もの男性が泣かされてきましたの」


 そう言うと、彼女は目を不安そうに潤ませ、弱々しい表情でギデオンへすり寄ろうとしてくる。

 一見すると気弱な令嬢のように見えたかもしれないが、その瞳の奥に浮かぶしたたかな光は、これまで嫌というほど見慣れたものだ。

 ギデオンは僅かに身を引いて、彼女の手を避けた。

 するとアニーはやや不満そうに唇を尖らせる。


「……まさかアレンビー卿はあのような、殿方の心を弄ぶ奔放な女性がお好きでいらっしゃいますの?」

「いや、私は別に」


 素っ気ない言葉に、アニーが途端に瞳を輝かせる。


「よかったですわ。何せ彼女は、妹君の婚約者を奪った過去もございますのよ! アレンビー卿が領主さまの遠縁だと知ったら、きっと取り入ろうとするに違いありません! 絶対に近づいてはなりませんわ!」


 その後も彼女は鼻息荒くエリーゼの悪口を捲し立て続けたが、ギデオンの耳にはほとんど入っていなかった。

 思い出すのは、紫のドレスの裾を翻して颯爽と去って行った、彼女の後ろ姿。


(王都でも、あんな悪女には滅多にお目にかかれないぞ……)


 ギデオンの意識に鮮烈な印象を残した。

 それが、エリーゼ・プリムローズとの出会いだった。

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